小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

富裕層増税に考える:

2013年03月16日 | 社会戯評
富裕層増税に考える:
「貧富の格差の是正」や「富の公平な配分」という社会正義的な大義と、「富裕層への増税の是非」の議論は、今や、世界的にも、ホットになりつつある。単に、自分自身の自己責任のもとで、自らの才覚と努力で、獲得した富を、国家が、税金という形で、徴収、(それとも、収奪?)することは、許されるのであろうか?何とも、先頃、議論のあったところの「国富論」いや、「新・国富論」、(酷負論ではない)ではないが、富というものに対する私達の考え方も、随分と、アダム・スミスが描いていた時代のそれとは、変わりつつあるような気がしてならない。中国やロシアなどは、極端なのかも知れないが、少なくとも、フランスの映画俳優が、ロシア国籍を取得するとか、米国の著名な投資家であり、且つ、篤志家(?)とも謂われているウォーレン・バフェット氏らが、或いは、既に、外国に移住している一部の日本のファンド・マネージャー(もっとも、損失を与えた人達から、逃げていると云った方が妥当かも知れないが、、、、)それらの人達の考え方にも、色々な見方があるようである。どうも、日本は、中間層が分厚く政策的にも、創出されてきたので、「税」に対する公平感は、若干、外国とは、若干、異なり、そのオンブズマン的な監視体制や、余程、毎年、確定申告でもしない限り、支払った税金に対する使い途も、しっかりと、追うことはないのかも知れない。やはり、「年貢」という感覚なのだろうか?確かに、「期待されるべき社会像」(そう言えば、その昔、「期待されるべき人間像」なるものの白熱した議論があった時代を懐かしく想い出されるが)を、しっかり、議論することなく、或いは、コンセンサスを経ることなく、只、「増税」というのでは、議論は進まないであろうし、ますます、国を超えて、税金の安い国へと、金持ちは、移住し、日本を後にして、出て行ってしまうかも知れません。残るのは、置き去りにされた貧乏人と年金に頼る年寄りだけという構図では、困ってしまう。カネは、より居心地の良いところへと、磁石のように、吸い寄せられ、集まりますよね。どんな風に、生きて行ける社会なのか?何を公平に出来るのか?そもそも、「富を公平にする」ことなど、出来ない(?)以上、、、、、。「各人の尊厳が持てる社会」、どうも、憲法に書かれている理念みたいで、学者や官僚の作文は、よく分からないものである。孫への贈与税の改訂も、どれ程の人数の人が、そんな高額なお金を贈与できるのでしょうかね、サラリーマンの生涯獲得給与総額から、想像してみても、何とも、複雑な心境ですね。富裕層の人達も、社会貢献に、協力する風潮に、是非、載って貰いたいと思うが、、、、、。バフェットほどにもなると、流石に、「篤志家」という肩書きがつくのには、驚かされる。今日は、支離滅裂になってしまいました。別の機会に、改めて、再考してみたいと思います。まぁ、自分は、関係無いから、その必要も無いかとも、、、、、。



労働力流動性の促進という裏に思う:

2013年03月15日 | 社会戯評
労働力流動性の促進という裏に思う:
成長戦略を実現させるためのひとつの手法として、政府は、どうやら、労働者の雇用に関して、もっと、流動的に、首を切れる(?)ように、且つ、自由な労働力の移動を促進するための研究に入ったらしい。どうも、今や、労働組合も、これに対して、大きな声で、いきなり、反対だという声も、聞こえてこないように思える。「首切りや後ろ向きの合理化」という形ではなくて、何故、もっと、労働者の「自主的な転職」なり、成長分野への「積極的な転職や再就職」などを、職業訓練なども含めて、これまで、やってこなかったのであろうか?いつも、正規社員・非正規雇用とかという形でしか、謂わば、労働力の流動性というよりも、2段階、3段階という分割でしか、対応してこなかったのではないだろうか?ハロー・ワークという組織は、真剣に、そんな前向きの方向性を実現することが、出来ないようなのであろうか?いつも、「守るだけ」の何の具体的な提案も出来ないような内容では、「真の積極的な労働の流動性」は、図れないのではないだろうか?セイフティ・ネットとは、そういうことも含めて、行われるべきではないのではなかろうかと思われるが、、、、、。起業にしても、創業にしても、新しい分野で、どれ程の数の人間が、今や、自己実現できるのであろうか?そして、それを生業として、果たして、一生、生活してゆけるのであろうか?「真のセイフティー・ネット」とは、そういうものも含めて、社会的なバック・アップが、さりげなく、手助けしてあげられる体制が、必要ではないだろうか?自己実現とか、何とか言っている隙に、結局、労働力の流動化と称した労使一体になった結局、首切り紛いの改革と称する合理化とソフトな首切りの嵐が、吹き荒れないことを祈って止まないが、、、、、、。もう、今日、大きな声を張り上げて、拳を突き上げるような人間も居なくなってしまったし、社内組合的な労働組合にも、大きな期待は持てないであろう。労働の流動化促進に対して、どのような対応策が、出てくるのであろうか?



65歳定年制の延長に考える:

2013年03月14日 | 社会戯評
65歳定年制の延長に考える:
公的年金の延長に伴い、その空白期間の対策として、定年を65歳にまで、延長して、その希望者全員の雇用を確保しようとするものであると。私は、社会に出てから初めて、随分と、色々なことを組織から、社会から、教えて貰い、或いは、学ばせて貰ったが、石の上にも、3年ではないが、21年間、修行(?)を積んでから、選択定年制が、施行されるや否や、「待ってました!」とばかり、独立することにしたが、それ以来、サラリーマンという被雇用者の気持ちも、同時に、雇用する側の立場も、両方、幸いにも、よく理解出来るようになった。いつの頃だったか、忘れてしまったが、確か、夫婦揃って、定年後の生活設計とかを学ぶセミナーを会社が開催してくれて、一日24時間の過ごし方を事細かに、円グラフで、起床から、就寝まで、描きなさいとか、生まれてから、死亡するまでの年表を、イベントを記載しながら、書き出しなさいなどと、結構、目から鱗的な「定年前の心構え」を学んだことを想い出す。今、考えると、まさか、病気になるとか、中には、友人ではないが、鬼籍に仲間入りしてしまうとは、本人も思っていなかったであろうが、こうした予測不能な出来事が、人生にはつきものである。しかし、その時、まだ、若いと思っていても、万人に、時間というものは、非情にも、これだけは、「時間は均しく平等」である以上、後、何年かすれば、両親も、幾つになり、自分も、幾つになり、そして、その時、どのような生活をしているのであろうかということを想像することは、決して、無駄ではないであろう。若い人の雇用の機会を脅かすことなく、社会貢献や地域貢献などと云うとおこがましいが、むしろ、これまで学ばせてもらったノウハウを、お返しするような作業を、若い人達と一緒に、協働作業できる機会をつくりだすことが肝要であろう。いつまでも、社会的な肩書きや地位や、名刺に拘っていても仕方ないであろう。むろん、総人件費が、どのくらい上がるかどうかは、定かではないが、その分、年金の支給が、後になる分と較べると、同じ程度でなければならないが、、、、。生涯現役であれば、別であろうが、なかなか、そういう訳にはいかない以上、若い時から、遅くとも、「人生設計」を描いておかないと、知らぬ間に、気が付くと、親爺と同じ歳になっていた等という笑えないことが、起きてしまいそうな時代である。もっとも、「それが、描けない時代ですよ!」と云われると、本当に、そうなのであろうかとも思わざるを得ない、いつの時代でも、幕末も、明治も、大正も、昭和の戦前・戦後も、まさに、同じだったのではないだろうかと思うが、、、、、、、。本当ならば、もっと、若い時から、自由に、気儘に、最低年金が保証されるような制度が出来れば、何も、65歳になるまで、働かなくても良さそうであると思うが、、、、、、。さて、どうしたものであろうか?



シャープ・ザウルスに思う:

2013年03月13日 | 社会戯評
シャープ・ザウルスに思う:
久しぶりに、ザウルスという言葉を聞いたものである。懐かしい響きである。と同時に、その名前をどれ程の人が、覚えているのであろうかとも思い至る。未だ、電話会社が、ISDN回線を、必死に、その高速性とFAXとの共用性を訴えて、全社あげて、販売促進をしていた時代のことである。それは、キーボードを無くして、タッチ・ペンで、液晶画面を触って、公衆電話からも、メッセージを送信できるというモバイル性を訴求していた、当時としては、最先端の、今で云うところの「スマホ」やアップルのiフォンの「魁のような存在」、所謂、元祖、PDA商品であった。未だ、FAX全盛の時代であり、メールやwindows95が華々しくデビューし、あっという間に、世間を席巻する時代よりも、少し以前のことである。何が、ザウルスを、「恐竜」のように死滅させてしまったのであろうか?思えば、VHS:ベータ・ビデオや、その後の第二次ブルーレイ・HDD録画機ビデオの覇権争いと良い、「技術の囲い込みとOSのオープン・ソース化の闘い」は、今日でも、形を変えて、果てるところを知らないようである。GoogleとMSN, アンドロイド系とアップル系、皮肉にも、シャープという会社は、電卓もそうであったし、このザウルスも然り、ワープロの書院なども、これ又、そうであるが、それなりに創業者利益とファースト・ランナーで在りながら、その後の熾烈な競争の中で、自己変革できず(?)に、今日、サムスンとの提携交渉を進めざるを得ないという皮肉な結果に至っている。ソニーではないが、「クローズドな技術の囲い込み」戦略が、良いのか、それとも、「オープン・ソース化」というどちらの途が、正しいのか?そう言えば、リナックスという官民挙げてのOSもあったが、今は、どうなってしまったのであろうか?門外漢の私には、よく分からないが、いつまで、スマホやアップルの隆盛は、続くのであろうか?「永遠」という美しい言葉は、この業界には、存在しないことは、間違いなさそうであるが、、、、、、。ガラパゴスというネーミングをしなかったのは幸いだったかも知れないが、結局、その行き着く結果は同じだったのか、皮肉にも、、、、。



一寸、気になるCM:

2013年03月12日 | 映画・テレビ批評
一寸、気になるCM:
軽自動車のCMで、裁判陳述風の設定の中で、役所広司が、鈴木京香を証人質問の中で、九官鳥を担ぎ出して、運転中の静かさを訴える設定場面で、「九ちゃんは、鳥ではありません。家族です!」と云うと、九官鳥がすかさず、「そういう時代よねぇ!」と、応えるシーンがある。何故か、私には、この「そういう時代よねぇ!」と言う言葉が、重く、のし掛かるように、自問自答してしまう。本当に、「そういう時代」なのか?と、別に、ペットが、家族であると云うことを、否定するわけではないである。我が家にも、満18歳になる、家族同様の老犬が一緒にいるから、、、、。むしろ、「そういう時代よねぇ!」と、済まされてしまうことのほうが、怖いのである。何でもかんでも、「そういう時代よねぇ!」という一言で、時流に、贖えずに、大衆迎合とは謂わぬが、何気なしに、そういう時代なのかと、変に納得してしまう自分が、或いは、知らず知らずのうちに、「納得させられてしまう」ようなそういう世間の風潮や、自分自身の受け身のだらしなさに、何とも言えぬ虚しさを、この言葉の裏には、どういう訳か、感じてしまう。特に、この言葉が、まだ若い人達から、年寄りに向けて鋭く放たれた瞬間には、何故か、反論の余地のない、思わず身も縮こまるような、そんな寒々しい響きが、最後のフレーズである「、、、、よねぇ!」に、「駄目押しされている」ような感じがしてならない。きっと、時代が大きく移り変わるときに、その変化に対応できないようなときには、幕末でも、明治でも、戦後でも、そして、今でも、尚、時代に対応できない人間には、「そういう時代よねぇ!」と言う言葉は、きっと、水戸黄門の印籠を突き出されたときのような感じがするのではないだろうか?ウゥーンと唸ってしまうのは、何故だろうか?しかも、九官鳥に云われてしまうところが、何とも、寂しいではないか、、、、、。そういう時代だから、やはり、軽自動車の燃費に良い、静かな、車に、替え買えるべきなのでしょうかねぇー?!「そういう時代よねぇ!」が、耳の奧底に、何故か、残ってしまう。



チリ・チロエ島の30年前の想い出:

2013年03月11日 | 社会戯評
チリ・チロエ島の30年前の想い出:
随分前のことになってしまったが、ロス・アンゼルスから、ラン・チリ航空で、首都のサンチャゴへ、そして、更に、そこから、南へ、1000キロばかり、下ると、小さなローカル空港が、ポツンと、あったものである。州都のプエルトモントである。今でも、覚えているのは、港の岸壁が、干満の差が、著しく、下も見下ろすと、3m以上は、あろうかと思われる水面の高さであったのを想い出す。当時は、まだ、目立った産業がなくて、道を車で走っていても、大きな建物と云えば、せいぜいが、水産加工場の建物程度であった。そんな中でも、200海里規制の実施される前の遠洋漁業の母船方式での実績により、大手水産漁業会社が、それでも、現地の水産加工工場を利用しながら、何とか、鮭の養殖の調査とか、たまたま、私は、海藻の天敵になるウニの採集と塩ウニの加工を行う日本人の工場を、出張で、見に行っていったものである。考えてみれば、当時は、カリフォルニアのジャバ半島とか、ボストンとか、チリとか、様々な地域で、日本人が、技術指導しながら、ウニの加工と輸出を現地指導していたものである。今は、どうなってしまったのであろうか?随分、日本人は、色々な国で、世界の果てまで行っては、食品の開発輸入を手掛けてきたし、今も尚、この流れは、変わっていないであろう。新聞の記事をたまたま見ていたら、プエルトポントの文字を見つけ、更に、チロエ島の懐かしい名前が出てきた。今や、高級住宅も、大規模な養殖チリ銀鮭加工場や養殖場が、開発され、一大輸出産業と雇用の確保が、この小さな街にも、島にも、なされたようである。2011年の実績で、日本向けが45%で、17万トンもの養殖チリ銀が、輸出されているそうである。もっと、南に下れば、もうその先は、南極が目の前である。海藻の天敵であったウニを食べる日本人、そして、フィヨルド湾の地形を巧みに利用して、外来魚の銀鮭養殖に成功して、しかも、寄生虫の危険性のある生食用の鮨ネタまでをも、開発して、流通させてしまった日本の水産加工業の技術指導・開発力は、改めて、すごいノウハウと実績があるのであると驚かされる。今や、世界で、鮨ネタは流通し、脂ののったトラウト・サーモンは、人気の一品である。もう、二度と、行くことは無いであろうが、新聞記事を読んでいて、懐かしく想い出された。と同時に、その光の裏に潜む陰としての餌の海底沈殿に伴う環境汚染問題や養殖魚の病気蔓延のリスクという矛盾も併存していることは、間違いないし、実際、そういう現象が、押し迫ってきているのも、残念乍ら、現実であろう。僻地の産業振興による地域経済の雇用の確保と貧困からの脱出と、環境汚染の可能性という問題は、何とも、両立させることが悩ましい問題であろう。何か、よい技術開発が、なされないのであろうか? 遠く離れた国の出来事のようであるが、懐かしさと同時に、複雑な思いを抱かせられる。そう言えば、被災した東北でも、リアス式海岸を利用した銀ザケの養殖は、盛んであったが、、、、、、、。




まちづくりコンペ受賞作を見る:

2013年03月10日 | 社会戯評
まちづくりコンペ受賞作を見る:
元来、私の育った街は、戦後の闇市から発展した謂わば、焼け跡闇市的な雑然として、都市計画も、地権者が入り乱れたせいだろうか、整然とはせずに、何とはなしに、発展(?)してわけである。自分は、文系のせいもあり、都市工学とか、都市デザイン、等には、全く、無縁な無知蒙昧も良い門外漢を自認する存在であった。セミ・リターヤーを契機に、色々な人々とのお付き合いを通じて、まちづくりの手法を色々と勉強できる機会を得たことは、その意味では、誠に、有意義であった。金賞受賞作品を含めて、佳作や10数点のコンペ受賞作品が、写真やデザインや航空写真等を駆使して、ビジュアル的にも、理解しやすいように、そのコンセプトとともに、ディスプレイされていた。成る程、都市というものは、一種の生命体のようなもので、ヒト・モノ・カネ・情報の流れではないが、車やバスや自転車などの流れとも、おおいに、密接に関係していることが、改めて、了解される。そこには、商店街のそっくりそのままのレンタル方式による再生化、アートや音楽、ガーデン・グリーンや遊び場を、或いは、保育園やショッピング街や更には、高層住宅なども含めた有機的な小川の流れる木の生い茂る、小鳥も来るような広場の概念とか、まちづくりの視角とはこういうことなんだなぁと、素人なりに、理解出来る。子供の頃あった、駅の南北を分断していた中央線の開かずの踏切も、単純に、地下歩道を作れば良いってモノではなくて、成る程、高層化して、ドームではないが、空中庭園化、広場化することも、夢ではないことが、そのコンセプトのビジュアル化で、納得する。様々なヒトの流の流入が、まるで、血液の流のように、八方から、入っては出て行き、流れて行くことが、改めて、理解される。少子高齢化を踏まえて、多世代交流の場が創出されることを目指したり、幼児・子供や若い人から、お年寄りまでもが、駅を中心にして、再び、単なる箱物では無くて、しっかりした100年のグランド・デザインやコンセプトをもって、描かれているように思う。むろん、防災・減災の機能や省エネ・自然エネルギー、福祉・介護・保育なども、反映されていて、改めて、都市計画、都市工学、都市デザインとは、何かということを、朧気ながらも理解出来たような気がしたことは、少し、心が愉しく感じられましたね。
大学や建設会社だけではなくて、こういうことは、それこそ、小学校や中学・高校でも、夢のまちづくりの一環として、教育課程にも、取り入れられて然るべきではないだろうか?いや、知らないだけで、既に、取り入れられているのかも知れないが、、、、、、。



戦争孤児と震災遺児:それでも生きた!

2013年03月08日 | 映画・テレビ批評
戦争孤児と震災遺児:それでも生きた!
NHK特報首都圏で、3.10の東京大空襲や神戸空襲で、一瞬にして戦争孤児になってしまった人達のその後の生き方に関して、重い口を開いたり、当時の生活を絵に描いている元戦争孤児達の言葉を聞いたが、確かに、重いモノがある。浮浪児とか、バイ菌とか、学校では、犬小屋とか、本来は、擁護すべき立場であるはずの教師達にすら、差別されて、それでも、失われてしまった何年間の空白を埋めるべく、必死に、学業に励み、定時制や夜間学部を卒業して、教員免許を取り、教師になったり、或いは、住み込みで、丁稚奉公で働きながら、毎日を生き抜いてきた戦争孤児達が、今、その残された人生に向けて、養護学校の同じ境遇の子供達に、その重い口を、やっと、開き始めた様子が、描かれていた。同じことは、3.11の震災孤児達にも云えることで、今日のことだから、流石に、犬小屋はないであろうと信じたいが、それでも、色々な社会的な差別の中で、必死に、生き抜こうとしている震災孤児達が、現に、数多く居ることは間違いない事実であろう。社会のシステムの中で、こうした弱者、とりわけ、幼少期の孤児や遺児、更には、親が自死したり、病気で、孤児になったりした子供達に、セイフティー・ネットが、十分、手助けされる仕組みや、心理的なケアーが、施されているのか、考えさせられる。そういう物心両面での援助が、戦後60有余年も経過した今日でも、別の形で、存在していることを忘れてはならないし、援助の手を差し伸べなければならないであろう。それは、換言すれば、日本社会の成熟度のバロメーターでもあろう。考えさせられる問題提起の番組であった。



超小型EVの実証実験に期待する!:

2013年03月08日 | 社会戯評
超小型EVの実証実験に期待する!:
我が家の自動車替え買いは、いつも、裏目裏目で、失敗続きである。替え買える度に、すぐその後から、燃費の良い車が出てきたり、ハイブリッドが、出てきたりと誠に、インターネットの回線と同じ蹉跌を踏んでいる。従って、今度こそは、もう最後になるであろう車の選定は、慎重にも慎重を期して、行いたいと考えているが、果たしてどうなることやら、、、、、、。そうした中で、TPPの中で、アメリカから、折しも、的外れな、というよりも、自動車の関税を維持するための一つの嫌がらせではないのかと思われる軽自動車の税金問題提起が、皮肉にも、浮上してきている。そんな中、それを更に、逆手にとるかのように、大手メーカーでは、コムス始め、一人乗りのEV車の販売開始だけではなくて、今度は、超小型の二人乗りのEV車を実証実験に、入るという報道が目についた。ガソリン車でも、今や、軽でも、自動停止とか、ハイブリッド並に燃費が向上したり、或いは、ハイブリッドでなくても、燃費が良くなったりと、ライフ・スタイルに合わせて、様々なニーズが、カー・シェアリングも含めて、出始めてきている。我が家も、家族構成の変化とライフ・スタイルの変化に伴い、いよいよ、人生の最終局面での車の選定を準備しなければならない。どうせ、消費税が上がっても、前回同様、消費の先食いがあれば、液晶テレビではないが、その反動で、焦って、買った方が、損をしたことから、じっくり、その反動と成り行きを見ながら、購買時期のベスト・タイミングを見計らわなければならないであろう。もう、どんな車が、何が、ベストで、いつが、ベスト・タイミングなのか、分からなくなってしまう。やはり、高速道路も走らなければならないのであれば、二人乗りのリチウム・イオン電池EV車では、頼りないのか?そうすると、老夫婦だけだと、軽自動車か、それとも、やはり、プラグ・イン・ハイブリッド車か、勿論、今更、外車でもないし、、、、、。マセラティを地方都市で、取り回していた懇意にしていた社長さんは、デリバティブの大損失で、自己破産してしまったが、あのオレンジ色の愛車は、どうしたのであろうか?要らぬお世話ではあるが、フェラーリやロールスロイスを見る度に、不思議と想い出される。まあ、いずれにせよ、身の丈に合わせて、ゆくゆくは、その近未来のライフ・スタイルや家族の変容に合わせて、考慮しなければならないのであろう。そうすると、やはり、車椅子搭載可能なウェル・キャブ仕様も、視野に入れておかなければいけないのか?実に、悩ましい限りである。地方都市では、車なしには、生活が成り立たないのも事実である。そんなことを考えている内に、てめぇがくたばっちまうかも知れねぇが、、、、、、べらぼうめ!。とも、思ってしまう。。。。。。。。。。



HALスーツ、リハビリに効果!:

2013年03月07日 | 健康 医療
HALスーツ、リハビリに効果!:
筑波大学によれば、脳卒中や脊椎損傷などのために歩行障害がある患者に、リハビリに取り組んで貰ったところ、患者の9割で、歩行速度が改善したとの発表があったそうである。私も、脊柱管狭窄症の手術後、リハビリに取り組んでいるが、杖をついて歩いていると、どうしても、頼ってしまいがちになり、そうは言っても、杖なしでは、イザというときに、転ばぬ先の杖ではないが、何とも、不安感が拭えないものである。神経や筋肉の難病患者を対象とした臨床試験の手続きも、国内で進められているらしい。安全基準の国際取得もできたことであるし、国の積極的な普及への後押しを、官民挙げて、或いは、地方行政組織との協働を通じて、具体的に、一日も早く、広く国民に理解され、普及されることを、願ってやまない。もはや、過去の2年間に亘る臨床安全実験の時期から、今や、具体的な使用・実施の普及を、如何に進めて行くかという段階であろう。良い意味での補助金が、普及を後押しして貰いたいものである。こういう先端ロボット技術の進化を様々な分野で、生かされるようにするためには、どのような方策が必要であるのかを、真剣に、行政も考えて行かなければならないのではないだろうか?それこそ、ゲームセンター等にも、置いて貰って、ゲーム感覚でも良いから、その重要性を認識して貰える場の提供が、逆転の発想で、必要なのではないだろうか?今後の展開が、楽しみである。



Change.orgは、日本を変えられるのか?:

2013年03月06日 | 社会戯評
Change.orgは、日本を変えられるのか?:
色々なソーシアル・メディアがあるが、果たして、Change.orgは、ソーシアル・プラットフォームを根底からチェンジ出来るのであろうか?そして、日本をも、、、、?色々な変革への提案が、確かに、世界中には、あるものであることは分かる。ネット特有の善意に裏打ちされた自然発生的な下からのムーブメントを否定するわけではない。むしろ、一人一人が、確かに、自分の小さな力の表明で、一身独立して初めて、或いは、更には、行動へと繋がってゆき、究極的には、世界を変革できるという確信へと昇華していくことは、決して、間違ってはいないであろう。しかしながら、現実には、悪意に充ち満ちた中傷やら、意図的な官製とは云わないが、国家権力による意図的な思想的なキャンペーンに利用されるようでは、「両刃の剣」の一面を有していることも否定しきれないものがあるし、現実の世界は、そうバラ色のモノでないのではないだろうか?残念乍ら、善意が、無垢のママに、善意として、生かされるとは限らないのが、現実の世界であろう。既存のソーシアル・メディアでは、何故、下からのこうした提案ともとれる、或いは、ソーシアル・プラットフォームなるものが、変革しうる、敢えて云えば、どこが違っているからこそ、変革可能であるというのか?どうも、そこら辺が、ハッキリとしていない、むしろ、漠とした、朧気な感じがしないでもない、いやそうではなくて、そんな保証は出来ないから、それは走りながら、やりながら、追求して行くのであるとすれば、それはそれで、宜しいのではないだろうか?信用するかしないかは、別としても、、、、、。確かに、今の時代は、初めから、何事も、キチンと、意図したような方向には、進まない以上は、、、、、、。しかしながら、少なくとも、明るい未来だけをバラ色に喧伝するのではなくて、それはそれで、結構でもあるし、(ネガティブ・キャンペーンよりはマシかも知れない)。小さなニーズやシーズが、新たな商品や社会的なムーブメントになるのであれば、その意味では、結構であるが、予想されるべきネガティブな面、下からではなく、ある種上からのある意図が巧妙に隠された方向性が、下からのムーブメントをいかにも偽装したような流れが、仮に、国家なり、特定の団体が、個人を装って、(まるで、中国のネトウヨ紛いのものが)出てきたりしたときには、どのように、対応するのか、責任はないのかと言う疑問には、どのように、応えるつもりなのであろうか?確かに、ベジタリアン向けのカップ・ヌードルを作って貰いたいとか、様々な要望が、形として、具現化されて行くのは、妥当なことであると思われるものの、マス・メディアが、そんなバラ色の一面だけを紹介するのは、甚だ、問題ではなかろうか?何が、どう異なり、差別化されているのであろうか?未だ、その「本当の正体」が、つかめない感じがする。“Yes, We Can”と自信を持って、云えるのであろうか?それなら、話は、別であるが、、、、、、、。その証拠を示して貰いたいが、、、、、、。
関連参照HP:
http://www.change.org/ja



カップ&ソーサーとマグカップ:

2013年03月05日 | 社会戯評
カップ&ソーサーとマグカップ:
お客様専用としての「カップ&ソーサー」は、いつも、飾り棚の中に、置かれていて、お客様が、いらっしゃらない限り、滅多に、使用されることはあまりない。もっとも、日常的な、とりわけ、朝食時には、ほとんど、個人専用のマグカップが、コーヒーや紅茶を飲むのに、使用されている。考えてみれば、日常生活のなかで、毎日、ランチョン・マットや箸置きや、ましてや、カップ&ソーサー等を、使用している人は、余程のお金持ちか、デザイナーや芸術家などのセンスに敏感な人達ではないだろうか?或る時、テレビで、朝食のシーンに、さりげなく、左手で、ソーサーを軽く手を添えながら、右手で、カップを持ちながら、何かを飲んでいる人が映し出されていたが、何とも、優雅で、心落ち着いている感じがして、宜しいではないか?非日常でしか、我が家では、滅多に使用されない、日の目を見ない「カップ&ソーサー」も、こうしてみると、実に、実用性に富んでいて、洗う手間が一つ増えたとしても、(いやいや、それが、問題であると云われてしまうと、致し方ないが、、、、)何とも、心、穏やかに、そして、何とはなしに、心、豊かになるような気がしてならないのは、どういう訳であろうか? 先日も、料理の盛りつけに、ヨーロッパ製の飾り皿に、一寸、盛りつけてみたところ、何やら、料理も、美味しそうに見えるのには、何か理由があるのであろうか?きっと、料理自身よりも、こちら側の心持ちの問題なのであろう。たまには、飾り棚に寝ている「カップ&ソーサー」や、飾り皿を、ランチョン・マットや箸置きと一緒に、使ってみるのも、良さそうである。またまた、洗うときに、手を滑らせないように、注意しないといけないが、、、、、、。マグカップのコンテンポラリーなデザインとは、又、一味違ったデザインが、愉しめるかも知れませんね。早速、試してみることにしよう!



施政方針演説を読んでみた:

2013年03月04日 | 社会戯評
施政方針演説を読んでみた:
これまで、首相の施政方針演説が、新聞に、詳細が報じられても、読む気がしなかったが、
(もっとも、仕事を抱えていれば、そんな時間も無いのは事実であるが)時間があるので、それに、今日の内憂外患の折も折りであるから、何も、人の足を引っ張り合うときでもないだろうから、冷静に、一字一句、キーワードを追いながら、読んでみることにした。忙しい方は、しばし、お付き合いいただければ、その目指そうとする方向性は、見えてくるのではないだろうか?
1章:はじめに:
福澤諭吉の「一身独立して、一国独立す」の譬えから、独立した個人を基礎にして、国民も、国家も、苦楽を共にし、共助・公助の精神の大切さを訴える。
2章:被災者の強い自立心と復興の加速化:
思いやりの心、自立して支え合う気概、個人では解決できない問題・課題の存在、復興の加速化、復興庁の現場主義の徹底による課題の具体的な解決、除染・風評被害・早期帰還の実現、その先の希望の創出、東北での将来の成長産業の育成、新たな創造と可能性の地である東北の創出、
3章:経済成長を成し遂げる意思と勇気:
日本経済に希望が持てるように再生させる責任と3本の矢(金融政策・財政政策・成長戦略) その実現の為の意思と勇気、テロの犠牲を繰り返さないための具体的な方策、海外の成長を日本へ取り込むべき施策、攻めの農業政策、強い農業の育成、再生医療・創薬、先端医療、健康長寿大国を生んだ医療技術・サービス、コンテンツ産業、ファッション・文化伝統・クールジャパン、日本食文化、環境技術、低炭素社会実現をビジネスにまで高めて行くこと、技術・サービス・知的財産等の国際的なルールの調和、ルールを待つのではなく、積極的に、創って行くという国になる、外交力を駆使した国益に叶うTPP, FTA,等の経済連携、世界から優れたヒト・モノ・カネを集めることが出来るような仕組み創り、総合科学技術会議、メタンハイドレード、海洋開発、宇宙利用、テレワーク、遠隔医療、IT活用、新たな可能性のあるイノベーション、責任あるエネルギー政策(エネルギー安定供給とエネルギー・コストの低減)、電力システムの抜本改革、国際先端テスト、規制改革会議の使命、公務員改革、地域分権、地域の元気創り、世界一を目指す気概、高い技術と意欲を有する小規模業者の挑戦を応援する仕組み、働く意欲のある人の報酬の引き上げを可能にする税制改革、強い経済を取り戻す、
4章:世界一安全・安心な国:
国土強靱化政策、防災・被災対策・インフラ老朽化対策、サイバー犯罪・テロにタイする対策、悪質商法から消費者の防衛、安心・安全な国創り、
5章:暮らしの不安に一つ一つ対応する政治:車座ふるさとトーク、子供の教育、子供の命、虐め・体罰、教育再生実行会議、道徳教育の充実、教育委員会の抜本的な改革、学力の向上、大学力の在り方、平成の学生大改革(6・3・3・4制の見直し)待機児童解消、夜間・休日保育の検討、放課後児童クラブの拡充、地域子育て支援、仕事への復帰、マザー・ハローワーク、仕事との両立支援事業者への助成、介護と子育てと仕事との両立、トライアル雇用制度、再就職支援、女性が輝く日本の創出、若者・女性活躍推進フォーラム、何度でもチャレンジできる社会の創出、持続可能な社会保障制度(三党合意に基づき、国民会議で協議)、プライマリー・バランスと財政健全化目標の実現、
6章:原則に基づく外交・安全保障:
3つの原則(戦略的な外交・普遍的価値を重視する外交・国益を守る主張する外交)、基軸としての日米同盟と不断の強化、日米安保同盟の抑止力としての価値、米軍再編に伴う日本の役割、普天間の移設、北朝鮮の核・ミサイルの問題と拉致問題、尖閣領有権の問題、レーダー照射の問題、戦略的互恵関係、韓国との問題、未来志向で重要なパートナーシップの構築の必要性、ロシアとの北方領土と平和条約締結問題、豪州・インド・ASEANの海洋アジア諸国との連携、G8,G20,アフリカ開発会議との国際的枠組み作り、
7章:今そこにある危機:
沖縄最前線での海保・自衛隊・警察官の現場を激励したことを引き合いにして、領土・領海・領空を守り抜く決意表明、防衛大綱の見直し、防衛関係費の増加、国家安全保障会議の設置、フォークランド紛争を引き合いにして、海に於ける法の支配を安全保障の危機を訴える、
8章:おわりに:
貝原益軒の牡丹の花を引き合いに、寛大な心を持って、初心に立ち戻ることを忘れないことを訴える、建設的な議論と結果を出すことの必要性、憲法改正の国民的な議論を深めることへの理解、

こうしてみてくると、成る程、色々な「時限爆弾や地雷」が、巧妙に、ちりばめられていて、知らないで聞いていると、いずれ、爆発したり、うっかり踏んづけてしまいそうである。一方で、これまでの余りにもひどいネガティブ・キャンペーンに、麻痺しているせいか、明るい心理的な再興への期待が、一見力強い言葉の中に、ある種の「願望的な期待感」が、そそられることはないとは言えない。外交上では、中国や韓国への配慮が、言葉としては、なされているようであるが、読み方によっては、逆に、「強い政治的メッセージ」が、言外に、感じられることは否めないであろう。別に、マスコミが、相変わらず、鸚鵡の如く囃し立てる、「痛みが分からない」内容では無くて、むしろ、実に、色々なキーワードが、巧妙にちりばめられている。(太字で表示してみたが)それにしても、夏の参議院選挙までは、刺激的な憲法改正も、デフレとの闘いや経済復興・成長戦略を最優先して、建設的な議論と結果を出す方向性を打ち出しているのは、極めて、その意図がわかりやすいではないか?謂わば、誰しもが、反対意見を出しづらいという状況を十分、反映している。前回の蹉跌を踏んだせいだろうか、張り裂けそうな漲る気概を、むしろ、冷静に、手綱を締めるように、内に秘めこそすれ、決して、相手には、気取られないようにする配慮、考えようによっては、TPPが、経済安保を前提にしている以上、「安全保障」という言葉が、食品ではないが、生活の隅々にも「安心・安全」のセイフティー・ネットのコンセプトが、待機児童対策や女性の雇用対策などにも、反対しにくいように、生かされている。自民党が下野してから、色々と学んだ結果が、各種分野に、適用されているように見受けられよう、エネルギー政策でも、単純に、これ迄の原発依存という何も変わらない方向性でもなく、じっくり、その方向性を見るべきであろうし、公共投資への拡充というのも、従来型のばらまき型や箱物型の公共投資では、もはや、国民の目をごまかすことは、出来ないであろう。その意味では、民主党による透明性の開示は、一定の成果が、継承されて然る出来であろう。もっとも、科学技術に対する圧倒的な音痴を印象づけたあの蓮舫による「何故、世界一位でなければならないのですか?」と言う発言は、今も、耳に残っているが、これを逆手に取るかのような「科学技術振興」、「教育の再生」なども、いかにも、「反対できない」雰囲気の創出は、プロらしい政治的な手法であろう。透けて見える共通する下絵は、どうやら、このプロらしい「表だって、反対できない手法」ではないだろうか?決められる政治とは、どうやら、積極的に、自分の政治的主義主張を前面に出すのではなくて、まずは、「反対できない」状況を作り出して、そこから、根こそぎ抵抗勢力をなぎ倒して、それから、後に、初めて、キー・ワードが、前面に、出てきて初めて、反対しようとしても、その時には、もはや反対できないような情勢になっているのではないだろうか?建設的な議論の提起に対して、どのように、野党は、対応するのか?それとも、もはや、既に、アベノマジックのお湯の中で「茹で蛙」状態なのであろうか?前回の蹉跌を踏んでから、この間、どういう心境の変化があったのであろうか?良い意味での君子豹変すであれば、宜しいが、、、、、。



うたの旅人、「幸せなら手をたたこう」:

2013年03月03日 | 社会戯評
うたの旅人、「幸せなら手をたたこう」:
我が家系には、二人の戦死者がいる。一人は、父方の長兄で、佐世保から海軍陸戦隊の一兵卒として、(今で云うところの海兵隊員であるが、皮肉にも、上陸ではなくて、塹壕の中で、米軍を迎え撃つ羽目になり)タラワ島嶼で、玉砕したと推測される叔父、もう一人は、母方のやはり長兄で、フィリピンで、少尉として戦闘指揮を執っていたところを大腿部、貫通銃創で動けずに、将校として覚悟の上で自決した叔父がいる。坂本九が、1964年に、陽気に明るく、歌ったこの唄は、木村利人氏が、フィリピンから帰国するときに、作詞して、いずみたくが、楽譜にしたそうである。木村氏は、1959年、YMCAの農村復興国際ワークキャンプに参加して、現地で、太平洋戦争で多大な被害を被った現地のフィリピンの人々と汗を流し、労働奉仕をした経験があるそうである。心重い現地での生活の中で、日本兵に父親を殺害されたという青年から、「これまで、日本人が許せなかったが、君と汗を流して働いてうちに、考え方が変わった。過去を許そう、戦争を起こさないよう、僕らが、誓い合おう」と、云われたそうである。そして、その帰国の船上で、民謡として歌われていたメロディーに、オリジナルの詞をつけて、更に加えて、聖書の中の「手を叩こう」という態度で示そうと、「指ならそう」まで、結局10番にまでなり、これが、広く、親しまれるようになったそうである。昔、「唄はこうしてできた」という番組があったが、この唄の謂われを知らないで、長い間歌っていたものである。もっとも、唄の謂われは、結構、知らずに、存外、歌っているものであるが、どのようにして唄が出来たのかを知ることも、決して、無駄なことではない。むしろ、改めて、噛みしめて歌ってみるのも、又、一つの唄の愉しみ方かもしれない。



学校教育での自然エネルギー実習教育の在り方:

2013年03月02日 | 社会戯評
学校教育での自然エネルギー実習教育の在り方:
太陽光発電や小水力発電、或いは、風力でも地熱でも、波力でも、何であれ、小・中学生・高校生も含めて、学校教育の実習や実験体験の中で、具体的に、こうした教育を、日常生活の上に、物づくりの一環として、学んで貰い、そのノウハウの延長線上で、各地域での活動に、将来生かすことが出来たり、或いは、地域運動の担い手としての中核的人材の育成が可能であれば、素晴らしいことではないであろうか?既に、中学生レベルでも、小水力発電のモーターの実験を通して、具体的な実証試験がなされたり、地域活動に取り組んでいることは、心強いことであろう。しかも、これまでは、余り見向きもしなかった大手メーカーも、その技術力を生かして、具体的なアドバイスをする体制が、官民挙げて、一致協力する体制が、整えば、人材の育成も含めて、地域でのオピニオン・リーダーが、育成されてくるのではないだろうか?考えてみれば、小学生の頃、電池の原理を学ぶ場で、紙製の乾電池を分解したり、+極と-極を繋いで、豆電球を点灯させる実験で、発電を学んだものの、当時は、今のような自然エネルギー教育のような概念は、これぽっちもなかったことを想い出す。しかし、科学のおもしろさとか、理科の実験の楽しみを学んだことだけは、歳をとってからも、子供心の何処かに、深く、刻まれていることは確かである。その意味からも、山梨県が、小水力発電に、注力していることや、中学生が、農業用水や身近な川を利用して、小水力発電に、取り組むことは、極めて、大きな意義があると思われる。その地域、地域の特性を生かして、太陽光発電であれ、風力発電であれ、或いは、小水力発電であれ、まずは、身体を動かして、頭を使って、クラブ活動でもよいから、そういうムーブメントが、子供の中から、自発的に、社会を動かす力になることこそ、教育の根幹ではないであろうか?それは、又、自分に対する自信にもなり、ひいては、社会に対する行動力を培ってゆく原動力にもなるのではないかと思われる。そんな後押しを、大人が、キチンとしてあげる手助けが出来れば更に宜しいのではないだろうか?長野県も、水力発電大県と云われる割には、しっかりと、推進しないと、、、、、、ウカウカしてられないのでは、、、、、、。