久しぶりに車で出かけたところで、新しくバイパスができていて、以前の渋滞ばかりしていた国道はがらがら。それどころか道路標識が「国道」ではなくて「県道」になっていました。一桁の幹線国道も降格されるんですね。
【ただいま読書中】『ふしぎな国道』佐藤健太郎 著、 講談社現代新書2282、2014年、980円(税別)
まず登場するのは「階段国道」。これはテレビでも何度か見た覚えがありますが、さすがマニア、なぜ階段が国道に指定されそれが今でも外されないのはなぜか、の謎解きと同時に、階段の下に続く「国道」もまたスクーターでも走行が困難な路地であることも紹介してくれます。ちなみの「車で走行不能な部分」の前後は、とても素晴らしいドライブコースだそうです。そんなことを言われたら、行ってみたくなりますね。
こういった「階段」とか「狭い登山道」とか「とんでもないヘアピンカーブ」とか、車が通れない・通りにくい国道を「酷道」と呼び、「酷道マニア」がついているそうです。今だとグーグルマップのストリートビューで状況を見ることができますから、酷道に興味を持った初心者はまずそれで“予習”をするべし、というアドバイスが本書にはあります。ということは、著者はうっかり迷い込んでひどい目に遭った経験者ですね?
酷道ではありませんが車が走れない国道として「エレベーター」があります。関門トンネルの人道も法律的には「国道2号線」なのですが、そのトンネルに降りるエレベーターも国道指定をされているのです。
権力者にとって「道」は重要なインフラでした。ただ、明治政府は、道よりは鉄道整備を急ぎ、国道が制定されたのは明治9年(1876)、初めてナンバーが振られたのは明治18年(1885)のことです。明治・大正期の国道はほとんどすべての起点が東京でした。さすが中央集権国家です。ちなみに明治期の国道1号線の行き先は横浜港、大正期は伊勢神宮でした。
昭和27年(1952)に現代版の「国道」が始まります。1号~40号の40本の「一級国道」が指定されましたが、「帝都中心」ではなくて「各都道府県庁を結ぶ道路ネットワーク」という発想でした。しかし1955年でも国道舗装率は13.6%だったと聞くと、時代を感じさせられます。おっと、時代ではなくて「お国柄」かもしれません。56年に来日したワトキンス調査団は建設省に「日本の道路網は信じ難いほど悪い。工業国にしてこれほど完全にその道路網を無視してきた国は日本の他にない」と「本当にあきれました」という意味の報告書を提出しています。
最長の国道は……これが難しい。「道路の長さ」なら4号線ですが、地図上なら58号(鹿児島ー那覇)が最長になってしまうのです。最短は174号の187.1m(kmではありません)。二番目は130号の480m。神戸の人は174号を、東京の人は130号を「完歩」したら、ちょっとした自慢話になるかもしれません。
「鉄」に廃線マニアがいるように、国道好きにも「旧道好き」がいます。慣れると「ここはもと国道だ」とわかるようになるのだそうです。たしかに、「国道」と並行して走っている狭い道になぜかバス停が並んでいたりすると、「ここは元はメインルートだったんだろうな」と想像はできますけどね。
国道の楽しみ方の一つとして「国道完走」が紹介されます。著者のお勧めルートは、国道238号線(網走ー稚内)、121号(米沢ー益子)、122号(日光ー東京都豊島区)、361号(高山ー伊那)、423号(大阪市梅田ー亀岡)、191号(広島ー増田ー下関)、317号(松山ー尾道)、324号(長崎ー宇城)です。私個人としては、このうちの3本は完走しています。しかしこうして読んでいると、他の国道も走りたくなってしまいます。