「可哀想な人」はこの世にたくさんいます。中には「自分が可哀想であること」を“売り物”にしているたくましい人もいますが。
【ただいま読書中】『移動販売車がゆく ──買い物弱者を支える「にこやか号」奮闘記』宮下武久 著、 川辺書林、2014年、1400円(税別)
長野県の箕輪町。3トントラックが「ミニスーパー」として巡回をしています。運営しているのは町の運送会社𣳾成運輸。約束の時間にかつてのスーパーマーケットの駐車場にやって来たトラックは、停車すると荷台を拡張させ階段を降ろし「ミニ店舗」に変身します。面白いのは、運転手が店員を兼ねているのは当然として、仕入れもまたその人がやっていることです。特に水産品は名古屋の市場にわざわざ仕入れに行っています。
経済産業省の試算では「買い物弱者」は600万人だそうです。1000万人以上だ、という説もあるそうです。買い物弱者が問題とされるようになってから、すでに5年以上が経過しています。長野県でも対策をいろいろ立てていて、88事業が支援事業として紹介されています。
𣳾成運輸は、名前が示すとおり運送会社です。地元密着の会社ですが、リーマンショックで業績が悪化。そこで荷物を届けた帰りに地元の野菜を仕入れて自分で販売するのはどうか、というアイデアが出ます。これだったらトラックの空きがへらせるし収入が増やせます。それが上手くいったので社員は野菜栽培も始めてこれも好評だったそうです。もっとも本業が回復したし協力農家が増えたので自社農園は1年間だけだったそうですが。ただ、集まった農産物を上手く“商売”するために、飲食店の食品営業許可を取得して自分で五平餅を焼いて売ったりするのですから、この企業のカラーはなかなかユニークなもののようです。こうして「消費者との交流」が増えると「顧客の要望」を会社として把握することになります。そのため、魚介類の販売許可、移動販売許可、と会社の“幅”はどんどん広がっていきます。そして、町役場から「買い物弱者対策として移動販売を」という要請が。国には「買い物困難地域」への助成制度があることもわかります。町も補助金を出します。
かくして、「週6回」「町内49箇所」「専従者2名」で移動販売が始まります。
面白いのは、巡回先が「過疎地」とは限らないこと。町の中心部でもスーパーや商店などが撤退したために買い物弱者が取り残されている地域があるのです。最初からなければ、それを前提に生活を組み立てます。しかし、あった店がなくなった場合、その店をアテにしていた人たちはとっても困るのです。この場合「距離」と「(商品の)重さ」がネックとなります。仕事が忙しくて買い物ができない若い人も移動販売車に商品を買いに来ます。こういった人たちもまたやはり「買い物弱者」なのです。この場合ネックとなるのは「時間」です。
一口に「買い物弱者」と言っても、様々な要素があることが本書を読んでわかります。単純に「自分の物差し」をあてはめて「高齢だから」「車社会だから」などと買い物弱者を“判定”する態度を著者は戒めます。人には各人それぞれの事情があり、地域社会にもそれぞれの事情があるのです。
私が気になるのは「独占」です。競争がないと、値段やサービスのこともありますが、もし何かの突発事で一社が動けなくなったらその地域の流通は全滅してしまいます。だけど2社以上の体制だったら、いざという時にはお互いにバックアップとして機能させることも可能となります。ただ「買い物弱者が散在している地域」は売る方から見たら「利が薄い地域」なんですよねえ。これをどうバランスを取るべきか。コープデリもあるし、最近だったらコンビニ(ファミマのファミマ号とか、最近発表になったローソンと佐川急便の連携とか)も使えそうです。でもこういった“仕事”のグランドデザイン造りは民間業者よりもむしろ行政のお仕事になるのかもしれません。
本書は「たった一つの町の状況」の報告です。しかし、本書から「今の日本」が透けて見えます。おそらく、私が現在住んでいる町の将来の姿も、ここに描かれているのでしょう。