「投手」と「強打者」の二刀流では大谷選手が有名ですが、「捕手」と「強打者」の“二刀流"もけっこう難しいもののようです。だけど、数はとっても少ないけれど、三冠王の野村さんとかヤクルトの古田捕手や読売の阿部捕手とか、過去に存在することはしています。人間は「やればできる」ということなのでしょうか。それとも「多方面に才能豊かな人間はとっても少ない」というだけのこと?
【ただいま読書中】『白い死神』ペトリ・サルヤネン 著、 古市真由美 訳、 アルファポリス、2012年、1600円(税別)
内乱と独立を経験したばかりのフィンランド、農園と森林で育ったシモ・ヘイヘは、1925年からの新兵訓練および民間防衛隊で狙撃の才能を開花させました。彼はライフルと短機関銃の腕の良さで国内で知られるようになり、戦闘射撃競技では民間防衛隊のチームを率いるようになります。そしてヘイヘが33歳の夏、「レニングラードの防衛を万全にするため」という理由で領土の割譲を要求してきたソ連との戦争が始まります。フィンランド軍は全予備役35万を召集しますが、装備は旧式(多くは第一次世界大戦時のもの)で貧弱でした。ただし全軍の1/3を占める民間防衛隊は装備が充実していました。隊員は各個人で自前の装備を持っていたからです。
ヘイヘ兵長の戦果があまりに大きく狙撃成功が1日に10名を越えたため、公式の記録官が付けられます。その記録によると、1939年のクリスマスイブの時点で、ヘイヘが殺したソ連兵は138名。特筆すべきは、ヘイヘが愛用していた狙撃銃はオープンサイト(狙撃専用のスコープがついていないもの)だったことです。ヘイヘは「スコープを覗くために頭が数センチ上に出る。それが撃たれたときに生死の分かれ目になることがある」と考えていました。
ソ連軍の兵士は「フィンランドを解放する」ために戦っていました。そもそも公式には(ソ連政府の見解では)「戦争」ではなくて「解放のための軍事援助」だったのですが。圧倒的に戦力に差がある状況で、フィンランド軍は遅滞作戦に活路を見いだしました。ソ連軍に打撃を与え、圧倒されてきたら村を焼いてちょっと退却してまた戦う、というやり方です。ソ連は戦車部隊を先陣として突っ込んできますが、フィンランド軍には対戦車兵器は足りず、一番有効なのは火炎瓶という有様でした(ノモンハンでの日本軍と同じですね)。ただ、戦車にとって一番の大敵は、道路が少ない森林が続くフィンランドの地勢でした。地雷の餌食になり易いのです。やがて戦局は膠着し、陣地戦へと移行します。「2週間でヘルシンキの大通りをパレード」というスターリンの目論見は崩れ、国際社会はスターリンの主張に疑念を持ち始めます。そこでスターリンは「領土を少しよこせば、和平交渉をしてやる」とスウェーデンを通じて申し入れます。同時に大規模な侵攻作戦を開始します。その頃ヘイヘの戦果は、小銃で219名、短機関銃でもほぼ同数。身長160cmの小男は、戦地の名を取って「コッラーの脅威」と呼ばれるようになっていました。しかし血みどろの乱戦の中、ヘイヘは顔を撃たれます。なるほど、彼の顔の左側に大きな傷跡と歪みがあるのは、この時のものだったんですね。そしてその1週間後、停戦が成ります。
しかし、ヘイヘが撃たれた弾は、国際条約で禁止されている炸裂弾でした(正規軍が使うべき小銃弾はフルメタルジャケットです)。ソ連軍のやり口は、えげつないものです。そして「和平」により、フィンランドは国土の10%を失いました。ヘイヘが育った土地も“国境の向こう"になってしまいます。40年夏、ヨーロッパはドイツに席巻されます。そして大国に見捨てられた(「冬戦争」でソ連に対して国際社会は何もしてくれなかった)と感じていたフィンランドは、ソ連に復讐するためにドイツの傘下に加わることとします。
第二次世界大戦後、「ファシズムの脅威から世界を救った大祖国戦争」の陰に、ソ連はフィンランドとの「冬戦争」を隠してしまいました。フィンランドは東西の狭間でバランスを取らざるを得ず、ソ連を刺激しないためにヘイヘは沈黙を続けます。本書は、その「沈黙」の向こう側を覗いた、初めての本です。著者は「文字」を弾として歴史を狙撃したのでしょう。