スポーツ関連のニュースで、選手が「感謝の気持ちを持って」とよく言っていますが、その感謝する相手って、具体的に誰かも言った方が良いのではないです? 少なくともそれが私ではないことは確実なのですが、では誰を念頭に置いているのだろう、とちょっと気になったもので。
【ただいま読書中】『美術は地域をひらく ──大地の芸術祭10の思想』北川フラム 著、 現代企画室、2014年、2500円(税別)
1999年「平成の大合併」が行われました。その5年前から新潟県では「ニューにいがた里創プラン」を立ち上げていました。これは県を16の広域行政圏に分けて、それぞれの区域独自の魅力を発信するプロジェクトを県が後援するものです。「県が出す金」に様々な業者が群がってきましたが、「アートでの地域作りは可能か?」と新潟県が著者に声をかけます。
十日町広域行政権(十日町市+津南町)でのプロジェクトを著者は始めますが、名称を決めるだけで事態は紛糾。すったもんだの末「越後妻有アートネックレス構想」で名称は落ちつきます。次は「何」を「どこ」で「誰」がおこなうか。そして、住民参加型の「大地の芸術祭」が始まります。
この過程で著者が見たのは、地域の現状でした。若者が都市に集中し、村は高齢化。空き家が増えますがそれはすぐに雪に負けて廃屋となり、所有者不明の棚田が増え、若手がいないため無理して雪下ろしをする高齢者が転落事故に見舞われます。その地域の「特性」を「美術」とどう結びつけたら?
作品を田圃に展示しようとしても所有者が嫌がったらできません。所有者が行方不明でも、できません。批判や反対も声高です。その雰囲気が変わったのが、國安孝昌の作品からでした。木を組み煉瓦を積む作業に難渋していた作家を遠巻きにしていた地元の老人たちが、ちょっと手伝うか、と手を出したらそのチームワークの見事なこと。「協働」の始まりです。その時作品は「地域の人たちの作品」になったのです。だからでしょう、はじめは「50日だけの展示」の約束だったのに、地元の人は誰も撤去を求めず、何年も経って作品が傷んできたら自分たちで補修(というか、さらに大規模なものへの作り直し)を行っています。
著者は「美術家と一般の人との共犯関係」と刺激的な物言いをします。アートは美術館に閉じ込めておけば良いものではない、とも言い換えることが可能でしょう。さらに「個人の所有物」に留めるのではなくて、「地域」に置くことで美術にはさらに新しい命が生まれるのかもしれません。本書の写真を見ていて、私はこういった作品が、地域の神への捧げ物でもあるように見えました。自然と人の営みとを美術でつなぐこともまた、一種宗教的な行為なのかもしれません。