【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

義務と責任

2019-06-08 06:56:29 | Weblog

 「避難は自分の判断でやれ、自治体に頼るな」「老後の生活は年金では足りない。自分で何とかしておけ。国に頼るな」と次々言われるようになりました。もちろん「自分の命」を誰かに丸投げするのは自分に対して無責任な態度ですが、あれだけ税金を取っておいてエラそうに支配者の顔をしておいて、それで「俺たちに頼るな」って、それもまたずいぶん無責任では? 

【ただいま読書中】『書物の破壊の世界史 ──シュメールの粘土板からデジタル時代まで』フェルナンド・バエス 著、 八重樫克彦・八重樫由貴子 訳、 紀伊國屋書店、2019年、3500円(税別)

 50世紀前から書物は破壊され続けていますが、その原因のほとんどは不明ですし、その「破壊」についてまとめた書物が存在しません。だから著者は本書を書いたのだそうです。
 「ビブリオクラスタ(書物破壊者)は無知な人々」はステレオタイプの間違った思い込み、と著者は自らの研究から結論づけます。知識と教養を有し、世界を「彼ら」と「私たち」に区別する傾向が強く、批判されることを嫌う人間が、書物を破壊しようとするのです。
 人類最初の書物は、メソポタミアのシュメール、ウルク第四層から発掘された大量の粘土板で、前3200年ころのものと推定されています。ところがその多くは焼かれたり粉々にされていました。「文明の発祥」は同時に「書物破壊の始まり」でもあったようです。
 「パピルス」と言われると私はすぐ「古代エジプト」と反射的に答えてしまいますが、古代ギリシアでもパピルスが使われていました。ところがこれは保存性がとんでもなく悪いものなので、わざわざ破壊しなくてもどんどん失われてしまうそうです。さらにそれを意図的に破壊する人もいます(たとえば、プラトン)。ああ、もったいない。
 大量焚書で有名なのは、アレクサンドリア図書館でしょう。当時、世界最大の図書館ですが、エジプト軍とユリウス・カエサル軍の戦闘で倉庫の(おそらく図書館に搬入予定の)4万の本が焼失。西暦391年にはローマ皇帝テオドシウス一世の許可によってエジプトの非キリスト教宗教施設や神殿の破壊がアレクサンドリア総主教テオフィロスの命令でおこなわれ(まったく、野蛮人の所業ですな)、図書館分館も略奪・破壊の対象となりました。ただ、図書館本館の破壊については、ローマ人・キリスト教徒・アラブ人・地震と諸説あります。タイムマシンが欲しいなあ。破壊の真犯人捜しのためじゃないです。蔵書の救出のために。
 モーセも「書物破壊者」として紹介されます。十戒の石版を持って山から下りたらユダヤの民が金の仔牛像を拝んでいたので、怒ったモーセは石板を砕いたからです。
 中国ならもちろん「焚書坑儒」の始皇帝です。その後も動乱のたびに大量の書物が失われ続けました。そのため、日本が輸入した書物が「古い中国」を保存することになり、明治頃に中国の文人が大喜びで日本にある「古い中国」を読みふけることになりますが、それはまた別のお話です。
 キリスト教は、異端の破壊に非常に熱心で、たとえば「グノーシス文書の消失」だけで本が一冊必要になるそうです。逆に、修道士たちの尽力で異教の本が写本として保存された例もあります(たとえばラテンとケルトの古典がアイルランドの修道士のおかげで救われています)。イスラムはキリスト教の都市を陥落させると図書館を破壊し、モンゴルはイスラムで同じことをします。こういった図書館の破壊の歴史は人類の歴史とぴったり重ね合わされていました。第二次世界大戦後も、軍事政権やイラクでの図書館破壊など、人類は図書館を破壊するのが大好きなようです。
 本書で面白いのは「フィクションにおける書物の破壊」の章があることです。これ、調べるのが大変だったでしょうね。著者が調べた限りでその初出は『ドン・キホーテ』。けっこう古くから「焚書」について文学者は言及していたんですね。本章では様々な作品が紹介されますが、もちろん私が大好きな『華氏四五一度』(レイ・ブラッドベリ)も含まれています。ブラッドベリは他にも焚書に関連した短編をいくつも書いているそうです。そのほとんどを私は読んでいるはずですが、全然覚えていないなあ。これは“その視点"で読みなおさなければならないかもしれません。
 デジタル時代になったら焚書は流行しなくなるでしょうか。もちろん「もの」としての本の破壊は難しくなりますが、逆に、「特定の本のデータがダウンロード(閲覧)できなくなる」という形での「書物破壊」はやりやすくなるでしょう。となると、ものとしての本を別のところに安全に保管しておかなければならなくなるのかもしれません。




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