新型コロナワクチン接種が開始されたら、マスコミがわっと群がっていますね。「接種が開始された」ことがビッグニュースだ、ということのようですが、大切なのは「どのくらい有効か」「副反応がどのくらいか」「行き渡るか」などではないです?
ちなみに、副反応がゼロ、はあり得ないと私は考えています。で、それで死者や重篤な障害が出たらまたマスコミが大騒ぎをするのでしょうが、「コロナが広まってもいいからGoToは必要」と言っていた人たちは「副反応が出てもいいからワクチンは必要」と言わなければ、主張に整合性がないことになりません?
【ただいま読書中】『新薬の狩人たち ──成功率0.1%の探求』ドナルド・R・キルシュ/オギ・オーガス 著、 寺町朋子 訳、 早川書房、2018年、2000円(税別)
イタリアアルプスのエッツ渓谷で氷漬けのミイラ状態で発見されたアイスマン(名前はエッツィ)は、腸に寄生する鞭虫に苦しめられていましたが、それに効く成分を含むカンバタケを携行していました。新石器時代にすでに「治療薬」が存在していた最古の証拠です。もちろん彼以前の人類も、試行錯誤によって様々な「薬」を発見していたはずです。
ドラッグハンター(創薬プロジェクトに携わる人)の構想に会社の経営陣が資金を提供する確率は5%、その中でFDAに承認される医薬品につながるのは2%、つまりドラッグハンターの努力が結実するのは「0.1%」です。ちなみに新薬の開発費用は平均15億ドル、FDAの承認を得るまで一品目あたり14年だそうです。経営者が慎重になるのは当然ですね。
この宇宙で「薬になる可能性のある化合物」の種類は、3×10の62乗だそうです。これを総当たりでスクリーニングするのは、大変な作業です。だから「新薬」がなかなか見つからないんだな。
偶然出会った物質を片っ端から人体に試してみる試行錯誤が、少しでも科学的になったのは1847年。手術痲酔につかうエーテルに似た化合物でもっと良いものがあるかもしれない、と思いついた医師たちがクロロホルムを発見しました。もっとも試行錯誤のスクリーニング、という新薬探求の本質はそのままだったのですが。
ドラッグハンターが最初にとり組んだのは「植物」でした。その時代の代表選手が16世紀のヴァレリウス・コルドゥス(ドイツ人)です。彼は該博な知識を持ち、新薬を発見するために異郷の僻地に調査旅行を敢行、まだ新しい学問である「化学」も取り入れました(彼の最大の業績は「エーテルの合成」と本書では述べられます)。これによって、単に「植物から薬を得る」から「合成をする」に新薬探索の場は移行していきます。
化学合成を産業に最初に利用したのは、染料企業でした。特に19世紀ドイツには世界でトップクラスの研究者が揃っていて資本主義と科学が結合して合成化学が急成長します。そのトップを走っていたフリードリヒ・バイエル商会は染料の次の目標を医薬品とします。化学構造変換の候補として選ばれたのはサリチル酸とモルヒネ。どちらにもアセチル基を結合させて生まれたのが、アスピリンとヘロインです。ここでは「公式のアスピリン開発話」とは違う“裏話”が実に興味深く読めます。
そして新薬開発は次のステージへ。19世紀、エールリヒは一部の染料が細胞の特定部分を染めて他の細胞は染めない現象に気づき、細胞には特定の染料が結合しやすい“標的”があると考えました。ならば特定の病原体を染める染料がその細胞に有毒だったら「薬」になるはずです。エールリヒはそれを「魔法の弾丸」と呼びました。新薬開発についに「人間の意図」が入ってきたのです。ただしその条件にかなう物質を探す過程はやはり「試行錯誤のスクリーニング」でしたが。さらにエールリヒは一つの物質で「魔法の弾丸」とするのではなくて、「標的に直行する染料」と「病原体を殺す(でも人体には安全な)毒物」とを結合させた「魔法の弾丸」を構想します。これだと選択の幅が大きく広がりますから。病気としては梅毒を選択し、九百種類以上の染料を合成してそれに砒素を結合させて片っ端から試し、ついに「606(6つめの化合物グループの6番目の染料)」が有効で安全であることを確認、これは「サルバルサン」と命名されました。人類が初めて得た「伝染病の原因に確実に効く薬」でした。エールリヒは突然“有名人”になりますが、彼を取り巻くどろどろした人間関係を見ると、ため息をつきたくなります。病原体と人間の関係の方が、よほどすっきりしているぞ、と。
「病原体に有効な薬が開発できる」という事実は、「人類を救う」という崇高な目的から「金儲け」「有名になりたい」という下世話なものまで面倒を見てくれるものでした。新薬開発ラッシュがおき、その過程で“悲劇”も起きます。それも何度も何度も。そのたびにFDAは規制を強化しています。それでも新しい副作用による悲劇が繰り返されます。
ペニシリンについて、「栄光の物語」ではなくて、フレミングが慎重で悲観的な人間だったことが描かれます。最初ペニシリンは「それほど有効ではない薬」と見なされていたのです。大規模な製造法はなく、適切な投与法や適切な量もわからない状態でごく少量をこわごわ(皮膚にすり込む方法で)使っていたのですから、患者の治りはとても悪かったのです。だから十年以上ペニシリンは注目されない存在でした。それを劇的に変えたのは二人の科学者なのですが、フレミングほどには有名ではないですね。ともかくペニシリン以後に新薬を求める科学者は「土壌」をあさるようになりました。著者も新薬を求めて泥土をあさって回った過去を持っています。
「新薬の誕生」は、紆余曲折の物語です。いろんなところに行き止まりや落とし穴が仕掛けてあって、ドラッグハンターは真っ直ぐに成功に突き進むことができません。本書に登場する人たちは、成功者であってもけっこうかわいそうな目に遭っています。まして成功できなかった人がどんな目に遭ったかは、頑張って想像する必要もないでしょう。この苦労を見ていたら、「薬を作るなら、ジェネリック薬を製造している方がよほど楽」と言えますね。成功者の形だけ真似していれば良いのですから。そんな人生が面白いかどうかは、不明ですが。