瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

■再び唯識へ

2004年10月24日 | 輪廻説
ブッダの悟りの根本に無我があった。仏教の教えの中心に無我があった。だとすれば輪廻するものは何なのか。その後の仏教は、無我であるにもかかわらず輪廻するのはなぜか、という問いをめぐって展開したとすら言えるようだ。

唯識でいう阿頼耶識も、この問いに対する解答のひとつだった。だから、無我と輪廻の矛盾を問おうとすればどうしても唯識にも触れていかなければならない。

しかし唯識は、仏教哲学のなかでも難関中の難関と言われる。そうかんたんに分け入ることはでいないが、心理療法や深層心理学に深い関心をもつ私にとっては、仏教の深層心理学として、もともと唯識にも関心が深かった。自分にできる範囲で、輪廻という新たな関心から、再び少しづつ学んでいくことになるだろう。
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■ダイアリーとして新たな出発

2004年10月24日 | 普通の日記
これまで実験的にいくつかのブログを使用しつつ、使用の仕方などを確認してきた。このブログの内容は、もうひとつのブログでも平行してアップしていた。

今後は、こちらのブログは、日常的な瞑想や、精神世界探求のための日記として使用したいと思う。といってもその内容も、「臨死体験・気功・瞑想」ダイアリーと言う、もう何年も続けている日記と同じ内容を、しばらく平行してアップすることになる。

「臨死体験・気功・瞑想」ダイアリー(従来の日記形式)の方は、その検索機能や、シンプルな使いやすさなど慣れ親しんだ良い面もあるので、こちらに完全に移行するかどうかは迷っている。

どちらにせよ、しばらくは実験的にいろいろ試しながら、学んでいきたい。

◆以下で、これまでのこのブログの方針をそのまま引き継いだ記事を続けて読むことができる。

精神世界の旅日記

◆しばらく平行して、同じ内容でアップしていく従来の日記はしたのBookmarkのなかの瞑想ダイアリーである。こちらにもリンクしておく。

「臨死体験・気功・瞑想」ダイアリー
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