夜中に目覚めてトイレへ行く。少し恐い夢を見ていたようだ。かすかな恐怖や不安、悲しみの余韻を感じながら用を済ます。その不安や恐怖は、事故や病気でいつ傷つき、終わるかもしれない、限りある肉体(いのち)に根ざしているようだった。
日常生活の中でそういった恐怖や不安を忘れてしまうのは、もちろん抑圧するからだ。一方で、一切の抑圧から解放されているがゆえに、恐怖や不安や悲しみといった感情からも、ある意味で解放されてしまった人も存在するだろう。
幻想としての「自己」が、肉体を同一化して、それに執着していく限り、恐れや不安、悩み、苦しみが止むことはないのだろう。
日常生活の中でそういった恐怖や不安を忘れてしまうのは、もちろん抑圧するからだ。一方で、一切の抑圧から解放されているがゆえに、恐怖や不安や悲しみといった感情からも、ある意味で解放されてしまった人も存在するだろう。
幻想としての「自己」が、肉体を同一化して、それに執着していく限り、恐れや不安、悩み、苦しみが止むことはないのだろう。