瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

縄文への旅

2009年09月11日 | 普通の日記
8月18日に、青森の三内丸山遺跡を訪れた。以前から行きたいと思っていた遺跡だ。7月中旬には、所用のあと諏訪を訪れ、諏訪大社や近くの諏訪市博物館を見学して、縄文時代に関係する展示を見た。

青森に発つ前、途中で読む本を何にしようかと思いながら手にとった本を開いたら、最初に開いたそのページに「三内丸山遺跡」と「諏訪大社」の文字が目に入ったので、その本『山の霊力―日本人はそこに何を見たか (講談社選書メチエ)』(町田 宗鳳)を持っていくことに決めた。旅で見たことと列車の中やホテルで読んだ本の内容とが重なり、響きあって印象深かった。

相沢忠洋が旧石器を発見した群馬県の岩宿をずっと昔に訪れたことがあった。(その発見のいきさつは、『岩宿の発見―幻の旧石器を求めて (講談社文庫 あ 16-1)』に詳しい。)その時、おそらく10万年も前にこの地に暮らしていただろう人々と現代の自分とが、強くつながっているという不思議な感慨をもった。それ以来、縄文時代にも引かれるものを感じ続けていた。

三内丸山遺跡では、岩宿を訪れたときのような感慨はなかったが、実際にその地を訪れ、その大地に立ち、見て感じたことが、その後の自分に深いところで影響を与えていることを感じる。「六本柱建物跡」の穴も、復元された「掘立柱建物」の柱の太さも、数多く見た土偶の一つ一つの表情も、ますます縄文時代への想いを強くするものであった。

『山の霊力』は、タイトルからはやや分かりにくいが、山をめぐる著者独自の観点から原始から古代までの日本の精神史を論じた本だ。縄文人にとって山は生き物であり、神であったということが、印象深く語られる。さらに山に重ねあわされた動物のイメージは、大蛇(おろち)ではなかったかという。大蛇信仰は、やがて巨木信仰へと移行する。三内丸山遺跡のやぐら(六本柱)も巨木信仰のルーツか。大蛇の化身である山の巨木を切り、ふもとにつき立て、おろちの生命力を住む場所に注入しようとしたのか。諏訪の御柱祭は、そのような巨木信仰を残すものかもしれない。蛇体、巨木への信仰は、縄ひも(蛇の変形)への信仰につながる。神社のしめ縄は、二匹の蛇がからむ姿そのものだ。さらに縄文土器の縄目模様も、山、大蛇、巨木‥‥と連なる信仰に関係するのか。

19日は、岩手の花巻に立ち寄り、宮沢賢治記念館や花巻市の博物館を見学した。宮沢賢治もまた、古代人の心を持った詩人だった。記念館に飾られる『日輪と山』という賢治の大きな水彩画は、『山の霊力』の中でも触れられており、「あの構図こそ古代日本人が山に抱いていた宗教感情を如実に表現している」のではないかという。

ともあれ、これからも私は縄文時代への旅を続けていくことになるだろう。
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