◆ブログの更新状況
ブログ「クールジャパン★Cool Japan」に次の二つの記事をアップした。
発信力の理由:世界に広がるマンガ・アニメ01
アニメとアニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ02
いずれもこれまで書いた、日本のポップカルチャーについての記事を集約、整理したものだ。今後も、5つの視点から記事をまとめていいく予定である。
友人3人とともに続けているブログ「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす」での対話も進行中である。「無意識を巡る対話」というタイトルのもとに行っているが、かなり哲学的な議論になっている。お相手のTakao氏はシュタイナーに依拠して語っておられるので、興味のある方には面白いかもしれない。最新の私の発言は次のものである。
無意識はあるのかという根本問題
この議論の中で私は、自己と悟りとの関係をさらに問い直していくことになるだろう。このテーマはおそらく私のライフワークになるものだが。
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化
』
読書会での必要があって、第5章「意識のスペクトル」を少しずつ読んでまとめていく予定である。第5章は、それ以前の章に比べると若干読みにくい。そのひとつの理由は、私がまだ「悟りからの視点」をもっていないからだろう。そのためか読んでいてかなりもどかしい思いがする。
「現実的には、存在するものは唯心のみである。それは「全包括的」、非二元的、あらゆる時間的事象の無時間的な基礎、「混乱なき融合」、「関係はあるが二元性なき」リアリテティである。これは、われわれが第一の意識レベル、心のレベルと名づけてきたものである。ところが、マーヤー、つまり二元論的思考のプロセスを通じて、われわれは二元性ないし区分という幻想を導入し、「一つの世界から二つの世界を創り出す。」(p168)
ここでいう唯心、第一の意識レベル、心のレベルとは、悟りのレベルといってよく、すべてその視点から語られているから、その視点から見ていないものには分かりにくいである。
ただ少し余談になるが、『意識のスペクトル』を読み直していることと、上に触れた「無意識を巡る対話」を始めたこととが、どうやら私の中では深い意味をもって重なっているのだ。私は対話を、思考を越えた立場にたって進めている。しかし、それはとりもなおさず、どこかで私に「二元論的思考」の幻想を現実に超えることを要求しているということではないのか。
ブログ「クールジャパン★Cool Japan」に次の二つの記事をアップした。
発信力の理由:世界に広がるマンガ・アニメ01
アニメとアニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ02
いずれもこれまで書いた、日本のポップカルチャーについての記事を集約、整理したものだ。今後も、5つの視点から記事をまとめていいく予定である。
友人3人とともに続けているブログ「忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす」での対話も進行中である。「無意識を巡る対話」というタイトルのもとに行っているが、かなり哲学的な議論になっている。お相手のTakao氏はシュタイナーに依拠して語っておられるので、興味のある方には面白いかもしれない。最新の私の発言は次のものである。
無意識はあるのかという根本問題
この議論の中で私は、自己と悟りとの関係をさらに問い直していくことになるだろう。このテーマはおそらく私のライフワークになるものだが。
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化
読書会での必要があって、第5章「意識のスペクトル」を少しずつ読んでまとめていく予定である。第5章は、それ以前の章に比べると若干読みにくい。そのひとつの理由は、私がまだ「悟りからの視点」をもっていないからだろう。そのためか読んでいてかなりもどかしい思いがする。
「現実的には、存在するものは唯心のみである。それは「全包括的」、非二元的、あらゆる時間的事象の無時間的な基礎、「混乱なき融合」、「関係はあるが二元性なき」リアリテティである。これは、われわれが第一の意識レベル、心のレベルと名づけてきたものである。ところが、マーヤー、つまり二元論的思考のプロセスを通じて、われわれは二元性ないし区分という幻想を導入し、「一つの世界から二つの世界を創り出す。」(p168)
ここでいう唯心、第一の意識レベル、心のレベルとは、悟りのレベルといってよく、すべてその視点から語られているから、その視点から見ていないものには分かりにくいである。
ただ少し余談になるが、『意識のスペクトル』を読み直していることと、上に触れた「無意識を巡る対話」を始めたこととが、どうやら私の中では深い意味をもって重なっているのだ。私は対話を、思考を越えた立場にたって進めている。しかし、それはとりもなおさず、どこかで私に「二元論的思考」の幻想を現実に超えることを要求しているということではないのか。