◆ブログの更新状況‥‥ブログ「クールジャパン★Cool Japan」に以下の記事をアップした。
テクノ-アニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ03
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化』
「現在、われわれが関心を寄せているのは、まさに現象世界を創出するこの原初の分断行為である。われわれが「空間を分断する」最初の動きが、一つの世界から二つの世界を創り出し、われわれ自身を現象世界に着地させる。この最初の分断行為を、われわれは原初の二元論と呼ぶことにする。認識論的にはそれは知るものと知られるものとの分断であり、存在論的には、無限と有限との分断、神学的には原罪である。一般的には、主体と客体との幻想的分裂といってもよかろう。」
この章のむずかしさは、まさに唯心、非二元の側から現象世界の創出を見ていることから来るのだろう。
以下に挙げるのは、原青民という浄土宗の僧侶の体験である(覚醒・至高体験の事例集:浄土宗僧・原青民 )。彼は、肺病にかかり、かかりつけの医者にあと五年しか生きられないといわれ、非常に悩んだという。そのうち弁栄聖者に出会い、その感化で毎日のように念仏を唱えるようになったという。
「ある晩、一心に念仏を申しながら自分と自分を取り巻いている万物との関係を考えていました。ところが念仏を唱えているうちに突然なにもなくなってしまいました。 自分のたたいている木魚の音も聞こえません。周囲の壁もなければ、天井も、畳もありません。
すきとおった明るみもありません。色も見えなければ、重くも、軽くもありません。自分のからだすらありません。まったく無一物になってしまって、ただあるのはハッキリ、ハッキリだけになりました。はっきりした意識だけがあった、意識内容はまったくなくなってしまったわけです。
しかししばらくして平常の自分にもどり、その晩はそれで寝てしまいました。ところが翌朝目がさめて、庭から外を見ていると、変で変でしかたがありません。きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています。それはつぎの日もかわりませんでした。」(佐藤幸治『禅のすすめ (講談社現代新書 27) 』 )
「 きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています」というのは、まさに主客が分裂する以前、非二元の唯心が現前している状態を示していると言えよう。
テクノ-アニミズム:世界に広がるマンガ・アニメ03
◆『意識のスペクトル 1 意識の進化』
「現在、われわれが関心を寄せているのは、まさに現象世界を創出するこの原初の分断行為である。われわれが「空間を分断する」最初の動きが、一つの世界から二つの世界を創り出し、われわれ自身を現象世界に着地させる。この最初の分断行為を、われわれは原初の二元論と呼ぶことにする。認識論的にはそれは知るものと知られるものとの分断であり、存在論的には、無限と有限との分断、神学的には原罪である。一般的には、主体と客体との幻想的分裂といってもよかろう。」
この章のむずかしさは、まさに唯心、非二元の側から現象世界の創出を見ていることから来るのだろう。
以下に挙げるのは、原青民という浄土宗の僧侶の体験である(覚醒・至高体験の事例集:浄土宗僧・原青民 )。彼は、肺病にかかり、かかりつけの医者にあと五年しか生きられないといわれ、非常に悩んだという。そのうち弁栄聖者に出会い、その感化で毎日のように念仏を唱えるようになったという。
「ある晩、一心に念仏を申しながら自分と自分を取り巻いている万物との関係を考えていました。ところが念仏を唱えているうちに突然なにもなくなってしまいました。 自分のたたいている木魚の音も聞こえません。周囲の壁もなければ、天井も、畳もありません。
すきとおった明るみもありません。色も見えなければ、重くも、軽くもありません。自分のからだすらありません。まったく無一物になってしまって、ただあるのはハッキリ、ハッキリだけになりました。はっきりした意識だけがあった、意識内容はまったくなくなってしまったわけです。
しかししばらくして平常の自分にもどり、その晩はそれで寝てしまいました。ところが翌朝目がさめて、庭から外を見ていると、変で変でしかたがありません。きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています。それはつぎの日もかわりませんでした。」(佐藤幸治『禅のすすめ (講談社現代新書 27) 』 )
「 きのうまではいっさいのものが自分の外に見えていたものが、けさは自分の中に見えています」というのは、まさに主客が分裂する以前、非二元の唯心が現前している状態を示していると言えよう。