瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

むかっ腹を立てずに

2008年11月27日 | 瞑想日記
今日は書くのを止めておこうかと思ったが、やはり書くことにする。ちょっと気持がだらけていても、書くことで心が引き締まるような気がする。そして、書くことが日々の「あり方」にわずかでも影響を与えていくだろう。

私のなかで「白鳥」「白鶴」のイメージとして象徴される「生き方」は、まだ充分に言葉で表現しきれていない気がする。行為の結果や評価や利害損得にかかわりなく、それらに影響されず、惑わされずただひたすらに心をこめてなすべきことを行うこと。ここまでは何回か書いてきた。日常生活のなかでそのような「生き方」に徹することができたとき、それはもう、修行者が俗世間から出家して修行に徹するのと本質的に変りはないと感じる。俗世間の只中で行為しながら、俗世間での利欲に汚されずに行為しているからだ。修行とは、そういうことなのだろう。何も狙わず、求めず、恐れず、落胆せず、ただただ一瞬一瞬なすべきことを、全幅の気づきをもって行うこと。

ただ、言葉で言うのはかんたんだが、日常生活のなかでそれに徹するのは、そうかんたんではない。今日も、自分が世話した相手に意図的に無視されたような気がして、むかっ腹を立てた。相手に感謝されようがされまいが、そのどちらにも惑わされず、相手が求めること、必要としていることを一心に行っていけばそれでよい。相手の姿勢や対応がどうでれ、なすべきことを惑いなくひたすらに行う、そう徹していれば、腹を立てることもなかっただろうに。

今日の、あの出来事は、「白鶴」のごとく行為することがどんなことなのか、私に思い知らせるために起ったのかもしれないと思えるほどだ。こうしてブログを書いて始めて、あの出来事と「白鶴」のあり方とを、まさしく正反対の態度として理解することができた。
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