瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

■落ち込んだら

2004年11月26日 | 瞑想日記
◆落ち込んでいるとサティ
職場で、少し落ち込むようなことが重なった。それで帰宅時の駅までの自転車は、その関係の思考におぼれた。少しはサティをしようと思ったが、思っただけで実質はほとんどできなかった。電車の中は昨日書いた『禅の鍵』を読んだ。

帰宅後も意欲があまり湧かなかった。パソコンに向かってこのダイアリーも読書日誌エポケーの方も、別の原稿もあまり書く気になれなかった。時間に少し余裕があったから座禅をすることもできたが、どうせ思考に巻き込まれるだろうと、あまりやる気になれなかった。

毎日読んでいるブッダのヴィパッサナー瞑想の『今日の一言』を開いた。
             ☆
11/26(金) 心がグチャグチャになってくると何もしたくないし、何とかしようという気持ちも失せて固まってしまう。
 そんな時は、思い切って部屋の掃除をするとよい。善行はもっとよい。
 一番よいのは、「落ち込んでいる」「心がボロボロだ」「何もやる気がない」と現状を素直に認めて気づきを入れることです。
 …サティの瞑想をしましょう。
             
◆「自我」が意欲している
もちろん今日の私にぴったりの言葉であった。こんな日にこそサティの瞑想を。落ち込んでいるからこそ座禅を。そして今の状態を素直に認めること。これから座禅をしよう。

意欲が湧かない自分についてひとつ気づいた。「自我」がやる気を失っているのだな、ということ。「自我」が傷つけられ、傷つい「自我」の意欲がうせている。哀しいかな、再び立ち直って元気になると、再び「自我」の意欲が出てくるのだ。

ということで、そういう自分を批判するのではなく、そういう自分なのだと素直に認めること。そういう自分にただ気づく。
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