瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

心の穴を受け入れる

2009年06月14日 | 瞑想日記
◆『Stillness Speaks: Whispers of Now』は、もうすぐ4回目の読了となる。10回まで続けようと思っているが、4回目が最後まで行ったところでひとまず休止して、今度は同じくエックハルト・トールの『ニュー・アース』の英語本を読み、また心に響く言葉があったら紹介し、訳し、感じたことを記していくことをしばらく続けたい。英文で読むと、訳本とはまた違った受けとめ方ができるので、期待している。

ところで『Stillness Speaks: Whispers of Now』の方にも、章によって私に強く訴えかけてくる部分と、そうではない部分があった。たとえば第7章、Natureの、自然や動物に注意を注いで、気づきに至るというところは、今の私にはあまり訴えかけてくるものがなかった。

逆に今読んでいる第9章、Death & Eternal のところは強く訴えかけてくる。たとえば次のようなところ‥‥。

◆エックハルト・トール『Stillness Speaks: Whispers of Now』(訳書は、『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』)より

形あるもの(財産、自分の身体の一部、肉親、家)など、自分の一部として同一化していた失われることは大いなる苦痛だ。それは、自分という織物にいわば大きな穴を空ける。

When this happens, don't deny or ignore the pain or the sadness that you feel. Accept that it is there. Beware of mind's tendency to construct a story around that loss in which you are assigned the role of victim.(P108)

「このようなこと(喪失の体験)が起ったとき、あなたが感じる苦痛や悲痛を否定したり、無視したりしないで下さい。それがあるということを受け入れてください。喪失の体験に関して、自分は犠牲者だという「物語」を作り上げる心の傾向に気づいてください。」

喪失によって心にぽっかりと開いた穴を、受け入れよ。それができれば、心の穴はもはや敵ではない。「この受容によって、予想もしなかった平和の思いが、心の和泉からあふれだすかもしれません。」(訳本のP189)

◆日常生活の中でサティをはじめると、自分の中の小さな苦痛に直面することが多い。日常的なさまざまな思い(雑念)は、苦痛を忘れさせる働きもあるのだろう。そんなとき私は、自分の命をはじめ一切がいずれ無に帰すことを受け入れ、前提とした生き方をしたいと思う。それは難しいことだが、それを感じるたびに、私の中で、たとえわずかでも何かが変わるのだと思う。それを感じて周囲を見直すと、身近な人に対する見方も、対し方も少し変わるような気がする。深い意味で苦痛は、私に覚醒をうながす素晴らしいプレゼントだ。
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1 コメント

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大きな穴 (えり)
2009-06-15 12:31:00
>自分という織物にいわば大きな穴を空ける。

これは、すごく分かります。
大きな穴で、喪失感を深く感じます。

今、私が感じる大きな穴は、子供ですね。

子供も自分のものではない。
私がいなくなっても、なんとかして、きちんと食べていくだろうし、成長もしていくだろう。
母親を亡くしたという心の穴を、幼い子供に残すかもしれないが、それもこの子にとって必要なことかもしれない。

それでも、自分のほうに、ものすごい執着が生まれます。自分も子供も、大きな輪廻の輪の中にいるのに、しっかりつかんだ手の力を緩めるというのは、とても難しいことですね(汗)
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