◆久しぶりにガンガジの言葉より
「焦点が定まっていようと拡散していようと、どんな特定の意識状態にも到達しようとするのを止め、またどんな状態を避けることも止めてごらんなさい。代わりにいつでもそこにあるものは何かについて気づいてください。その結果、素晴らしいことに、客観的な意識状態はよりクリアに、主観的意識状態はよりソフト、そしてどんな意識状態においても心の安らぎを感じることができるようになるでしょう。」(『ポケットの中のダイヤモンド』p103)
前半部分は、読んだ直後に日記に引用したことがある。「気づく」ことすなわちサティなのだが、気づきを短い言葉で確認していくのがラベリングだ。とくに主観的な意識状態への気づきを深めるためには、言葉が重要な意味をもってくる。言葉で表現されることによって気づきへと開かれる。言葉によってすくい取られることで気づかれる、とでもいおうか。
◆『アートマンプロジェクト』より
本来全体であるはずなのに、偽りの分離した「自己」感覚が生じると、一方で「自己」という幻想を永続化しようとする衝動(エロス)が起る。他方で「自己」の消滅を匂わせる一切を回避しようとする衝動(タナトス)が生まれる。生と死、エロスとタナトス、ヴィシュヌとシヴァ、これらがアートマン・プロジェクトの肯定的側面と否定的側面である。
自己と他者との境界という幻想が確立されれば、先行する全体性が覆い隠される。その全体性を奪還しようとする欲求がエロスだ。しかし、自他の統合を図るためには、分離した「自己」の死もしくは消滅が必要となる。しかし「自己」はそれに抵抗する。「自己」を失わないまま全体性を回復しようとして、結局は偽りの全体性、金や名誉や権力といった代用品しか手に入れることができない。それゆえ欲望する「自己」は、決して満たされない。「自己」が「自己」である以上、そこにはつねに飢餓がある。「エロスとは存在論的な飢餓なのである。」p226
「自己」の決して満たされない欲望、飢餓の根底には、全体性を見失った分離の不安があるという洞察。「自己」が「自己」である限り逃れることのできない、飢餓と不安と絶望。そして、その絶望から逃れるための代用物への執着。しかし、代用物に執着すればするほど、実は矛盾は深まっていくという現実。「自己」が持っているこの八方ふさがりにどれほど深く気づくか、が問われる。
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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。
皆様による、数分でできる投票が、あと350集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。
ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。
「焦点が定まっていようと拡散していようと、どんな特定の意識状態にも到達しようとするのを止め、またどんな状態を避けることも止めてごらんなさい。代わりにいつでもそこにあるものは何かについて気づいてください。その結果、素晴らしいことに、客観的な意識状態はよりクリアに、主観的意識状態はよりソフト、そしてどんな意識状態においても心の安らぎを感じることができるようになるでしょう。」(『ポケットの中のダイヤモンド』p103)
前半部分は、読んだ直後に日記に引用したことがある。「気づく」ことすなわちサティなのだが、気づきを短い言葉で確認していくのがラベリングだ。とくに主観的な意識状態への気づきを深めるためには、言葉が重要な意味をもってくる。言葉で表現されることによって気づきへと開かれる。言葉によってすくい取られることで気づかれる、とでもいおうか。
◆『アートマンプロジェクト』より
本来全体であるはずなのに、偽りの分離した「自己」感覚が生じると、一方で「自己」という幻想を永続化しようとする衝動(エロス)が起る。他方で「自己」の消滅を匂わせる一切を回避しようとする衝動(タナトス)が生まれる。生と死、エロスとタナトス、ヴィシュヌとシヴァ、これらがアートマン・プロジェクトの肯定的側面と否定的側面である。
自己と他者との境界という幻想が確立されれば、先行する全体性が覆い隠される。その全体性を奪還しようとする欲求がエロスだ。しかし、自他の統合を図るためには、分離した「自己」の死もしくは消滅が必要となる。しかし「自己」はそれに抵抗する。「自己」を失わないまま全体性を回復しようとして、結局は偽りの全体性、金や名誉や権力といった代用品しか手に入れることができない。それゆえ欲望する「自己」は、決して満たされない。「自己」が「自己」である以上、そこにはつねに飢餓がある。「エロスとは存在論的な飢餓なのである。」p226
「自己」の決して満たされない欲望、飢餓の根底には、全体性を見失った分離の不安があるという洞察。「自己」が「自己」である限り逃れることのできない、飢餓と不安と絶望。そして、その絶望から逃れるための代用物への執着。しかし、代用物に執着すればするほど、実は矛盾は深まっていくという現実。「自己」が持っているこの八方ふさがりにどれほど深く気づくか、が問われる。
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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。
皆様による、数分でできる投票が、あと350集まれば、このアニメが、アニメランキングのトップ10内に躍り出て、世界にその存在を知られる可能性が見えてきます。
ぜひ投票をお願いします。またブログ「はだしのゲン」を世界へ を紹介していただいたり、呼びかけ文 をブログやメールに貼り付けていただけると、なお目標が実現しやすくなります。詳しくは、呼びかけ文 や、 「はだしのゲン」への投票を!! をご覧ください。