瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

エロスとタナトス

2007年11月11日 | 読書日誌
◆久しぶりにガンガジの言葉より
「焦点が定まっていようと拡散していようと、どんな特定の意識状態にも到達しようとするのを止め、またどんな状態を避けることも止めてごらんなさい。代わりにいつでもそこにあるものは何かについて気づいてください。その結果、素晴らしいことに、客観的な意識状態はよりクリアに、主観的意識状態はよりソフト、そしてどんな意識状態においても心の安らぎを感じることができるようになるでしょう。」(『ポケットの中のダイヤモンド』p103)

前半部分は、読んだ直後に日記に引用したことがある。「気づく」ことすなわちサティなのだが、気づきを短い言葉で確認していくのがラベリングだ。とくに主観的な意識状態への気づきを深めるためには、言葉が重要な意味をもってくる。言葉で表現されることによって気づきへと開かれる。言葉によってすくい取られることで気づかれる、とでもいおうか。

◆『アートマンプロジェクト』より
本来全体であるはずなのに、偽りの分離した「自己」感覚が生じると、一方で「自己」という幻想を永続化しようとする衝動(エロス)が起る。他方で「自己」の消滅を匂わせる一切を回避しようとする衝動(タナトス)が生まれる。生と死、エロスとタナトス、ヴィシュヌとシヴァ、これらがアートマン・プロジェクトの肯定的側面と否定的側面である。

自己と他者との境界という幻想が確立されれば、先行する全体性が覆い隠される。その全体性を奪還しようとする欲求がエロスだ。しかし、自他の統合を図るためには、分離した「自己」の死もしくは消滅が必要となる。しかし「自己」はそれに抵抗する。「自己」を失わないまま全体性を回復しようとして、結局は偽りの全体性、金や名誉や権力といった代用品しか手に入れることができない。それゆえ欲望する「自己」は、決して満たされない。「自己」が「自己」である以上、そこにはつねに飢餓がある。「エロスとは存在論的な飢餓なのである。」p226

「自己」の決して満たされない欲望、飢餓の根底には、全体性を見失った分離の不安があるという洞察。「自己」が「自己」である限り逃れることのできない、飢餓と不安と絶望。そして、その絶望から逃れるための代用物への執着。しかし、代用物に執着すればするほど、実は矛盾は深まっていくという現実。「自己」が持っているこの八方ふさがりにどれほど深く気づくか、が問われる。

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二つの洞察

2007年11月04日 | 読書日誌
ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト・精神発達のトランスパーソナル理論』を再読している。これから何度か読み返すだろう。私にとってそれほどに大切な本だ。とくに今回は、「第13章・アートマンプロジェクト」が印象深かった。書名と同じ名の章であり、この本の核になる箇所だろう。

人間の心理発達は、しだいに高度な統一を生み出すという目標をもっている。その心理的成長の究極は、アートマン(仏陀)であり、それをめざすことが広い意味でのアートマン・プロジェクトだ。個人は、最初からアートマン意識を内包しているが、それは隠されている。それを実現しようとする衝動が、アートマン・プロジェクトのひとつの意味である。

人間は、何よりもまず超越を欲する、「統一」を求める。自覚しようがしまいが、誰もがそのような内発的な目標をもっている。しかし、そのためには正常な個人が所有する分離した「自己」感覚を捨てなければならない。それは「自己」にとって恐怖である。全体を求めながら「自己」に死ぬことを恐れる。

それで実際には、超越を妨げる代用(セックス、食物、金、名声、知識、権力など)に満足を見出そうとする。アートマンを求めながら、それを恐れるゆえに、その代用品を無限に追求する。人間の欲求が飽くことを知らないのはそのためだという。このような、代用品を強いる形で何とかしてアートマン意識を得ようするこの努力が、アートマン・プロジェクトのもうひとつの意味である。

ここには、人間の無限の欲望にたいする深い洞察がある。第13章は、この洞察をさらに様々な側面から掘り下げており、実に読み応えのある章だ。

もうひとつ今日、読んだ本がある。竹内敏晴の『「からだ」と「ことば」のレッスン』だ。この著者の本は、関心がありながらまだ読んだことがなかった。これも実に面白かった。ふだん、表面的、儀礼的、慣習的なやりとりのなかで、人と人との本当の意味での出会い、交わりがどれほど抑圧されているかが、著者の体験やワークの具体例によって強烈に示される。著者自身の試行錯誤の中で生まれてきた方法であるところがよい。ここにも、より人間の具体的な姿に即した深い洞察が輝いている。

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