とにかく、皆さんどうして、過去に起きたチェルノブイリの経験を学ばないのかが僕には理解できません。その当時は学生の頃から、若い社会人だった僕には、あたりまえの話になっていたチェルノブイリの情報をも一度トレースするだけで、今後起きること、すへきことのあらましは分かります。なぜその感覚がないのかわかりません。例えば「誕生前の死」(綿貫礼子著、藤原書店)の第二章を読めば、おおまかな当時の情報は分かります。当時のソ連の隠蔽などもアウトラインが分かります。日本政府が、類似パターンにハマっている事も。しかも強制権限が、共産圏より弱いのでさらにやっかいです。
このところ政府は「除染」にすがっていすます。児玉さん詣でもその一環です。勿論、除染は必要です。しかし、除染できないところはみなさんが想定しているよりもはるかに多いです。石造りの建物、コンクリート道路の共産圏の都市、例えばキエフでもうまくいっていない。都市部でも相当なコストと日数がかかるのです。まして、土の多い場所は全体としては無理です。おそらく綿密な土壌調査をして、有効な場所を探すのですが、かなり限定されています。その作業にも時間がかかりますし、高濃度の地域は、ほぼ不可能です。過剰な期待は幻想としか言えません。東京でさえ、木造住宅をどうするのか、庭をどうするのか、さらにアスファルト道路を全て剥がさなくてはならないのか、浸透する歩道タイルもどうするのか、できないことの方が多いです。
僕も友人に、高濃度の庭をどうすればよいかと相談されて、とにかく庭の土を乾燥させないことがよい以外は、特に対応が思いつきません。勿論、樹木の葉っぱや樹皮に大量に付着していますから、枝を落として、葉っぱを落として、丸坊主にすることは対策としては有効ですが、結局後始末が大変です。
福島の除染は四百兆円という試算があります。それを全額投入しても、除染が本当に効果があるのかわかりません。除染をするのに、コストを費やすよりも、今後の生活の構築や次に起こりうる健康被害に対して、さらに医療的な対応のために、お金を使うほうが、僕は望ましいと思います。その地域での居住というこだわりに縛られる気持ちは理解しますが、それよりもおこってきた災厄に対して、もっとも必要な対応策をとらせることが、やはり望ましいと僕は思います。シビアに、判断していかないと、間違った政策判断は完全に国を崩壊させかねませんし、さらに国民は追い詰められます。
「追記」
このところ、ブログの記述について、事実を書くことで追い詰めるられるとの声が届く事が多くなりました。申しわけないですが、僕は、例えば、被災地住民だから同情して事実を伝えないなどの行為はいたしません。こちらが認識した事を、そのまま、おきていることを書くだけなんです。現実を認識しないと、対応を間違います。でも、対応を、間違う人々は実は多いです。例えば、周りと揉めずにこっそり事を行う事で、何とかしようという人々は多いです。絶対に無理です。今回は、闘うスタンスがないと無理です。その気構えがなく、周りと調和して何とかごまかそうとしたり、自分の社会的な地位との関連を優先して、有効な対応ができない人々に、僕が同情する気持ちは、1パーセントもありません。被害は多くの人が受けています。もう、五ヶ月が経過して、悩んでうろつく時間はありません。大きな被害を避けるためには、ある意味ごまかして、時間を浪費していることは、愚かな行為です。これは、国や行政、企業、学校がなんとかしてくれる話ではありません。みなさん1人1人が立ちあがり、自分が立ち向かわないと解決策はありません。その覚悟がなさすぎる人々が余りに多いことに、毎日毎日絶望します。
ある程度被曝しているエリア(首都圏も入ります)の人、特に子ども、妊婦、妊娠可能な女性は、被曝線量の低い場所に退避すべきだと僕は思います。優先順位は「避難する」ことです。僕はそれしか言う事ありません。慢性的に被曝することは避けるべきですから、できる限り早く退避することをすすめます。