山頭火の「うしろ姿の時雨ていくか」は、雲水の峻厳な果てしない旅程を感じさせて、時雨どきの寒々とした季節感がしみじみと偲ばれるけれども、同じ雲水の西行法師をモチーフにした長唄『時雨西行』は、その曲調の優美さもあるのか、なぜだか、花散る宵のイメージがある。
昔、玉三郎が、歌舞伎座で勤めたときに、桜の花びらが散っていたような記憶もある。夢枕獏が大和屋のために書き下ろした芝居と、記憶が錯綜してしまったかもしれない。
今日は旧暦だと如月の十六日。
西行が「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と歌った、そんなころ。
春爛漫と桜が咲きそろうのと、月が満月になるのと、同時にやってくる年はそうそうないから、今年はとても西行法師を偲ぶのによいめぐり合わせなのだ。
昔、玉三郎が、歌舞伎座で勤めたときに、桜の花びらが散っていたような記憶もある。夢枕獏が大和屋のために書き下ろした芝居と、記憶が錯綜してしまったかもしれない。
今日は旧暦だと如月の十六日。
西行が「願わくば花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」と歌った、そんなころ。
春爛漫と桜が咲きそろうのと、月が満月になるのと、同時にやってくる年はそうそうないから、今年はとても西行法師を偲ぶのによいめぐり合わせなのだ。