桜狂騒のあと、腑抜けたような幾日かを過ごしているうちに、いつの間にか春霞がどこへやら退いている。久しぶりに見る青空の向こうは、海を思わせる鈍い夏色に輝いている。陽光が遠慮なく差し込むようになると、さてさて、四月末の藤の季節である。
藤は執着深い花である…といったのは誰だったかしら。古典柄では、藤蔓が松の木に絡みつくのがオーソドックスな図案だから、そのイメージもあるのかもしれない。
小学2年生の遠足の帰路、バスへ乗り込むために、稲荷大社の駐車場で待機させられていたときのことである。じっと待っているところへ、とてもいい匂いがする。すがすがしくて、今までに嗅いだことのない、素敵な香りだ。いったいどこからこんなにいい香りがするのだろうと、子供らしくキョロキョロしていると、眼の隅の、広場の向こうのほうに、白い花房の垂れている藤棚が見えた。
それまで白い藤を見たことがなかったので、それもあってよく覚えているのだが、藤の花って、こんなにいい匂いがするんだ!と、びっくりした。それまでマイ・ベストいい匂いの花は、無条件でバラだったのである。幼稚園児のとき、ばら組だった私の薔薇信仰は、かなり深く刷り込まれていたから、これはかなりのカルチャーショックだった。
小学生時代の遠足の記憶はほとんどないのだが、なぜか、この時の嗅覚をともなう白い藤の記憶は、40年を過ぎた今でも鮮烈に残っている。
長唄の舞踊「藤娘」は、昭和の名優・六代目菊五郎によって、メルヘンと叙情性に満ち、なおかつ艶のある、女形の魅力あふれる素敵な舞踊作品へと生まれ変わった。
大道具に、人間の身の丈ほどもある藤の花房を垂らすことにより、江州の田舎娘だった藤娘が、藤の花から生まれてきた妖精のように可憐で可愛らしくみえる。
もちろん、私は六代目の舞台は観たことがない。梅幸の藤娘である。音羽屋の朱色と萌黄色の片身替わりの衣装が好きだった。京屋の藤娘は、愛嬌たっぷりで可愛かった。
平成ひとケタ時代の晩春、亀戸天神へ行った。もちろん、目当ては太鼓橋と藤の花である。そしてまあ、なんと度肝を抜かれたことには、あの「藤娘」とそっくり同じ大きさの藤の花房が、池を取り巻くように配された天神様の境内の藤棚に、いくつもいくつも、見事に垂れさがっていたのだった。
本当に芝居の作り物と同じほどに大きい、しかも境内のすべての藤の花が……私は仰天した。紫のスイートピーのようなひとつの花が、私の掌の三分の二ほどはあった。
さすがは、菅原道真公の祀り処。ひとしきり感心し、すっかり満足して、船橋屋のくずもちを買って帰った。
それから何年か経ったのち、再びあの藤の見事な花房を見たくて、亀戸天神に行った。しかし、再び驚愕したことには、天神様の池のぐるりの藤棚の藤は、よく見かける普通サイズの藤の花房に変わっていた。
どうしてなのか、株の寿命がきて植え替えたのか、そのときは誰に訊ねることもできず、何となくしょんぼりして帰った。いつも混んでいて入れない、船橋屋の茶店に入れた。
生き物の管理はかくも難しい。変わらないということは、想像以上に難しいものなのだ。これは芸にも、上手も下手も同様に通じることだなぁ…と、初夏の明るい日差しの下で、私は背筋を冷たくしたのだった。
藤は執着深い花である…といったのは誰だったかしら。古典柄では、藤蔓が松の木に絡みつくのがオーソドックスな図案だから、そのイメージもあるのかもしれない。
小学2年生の遠足の帰路、バスへ乗り込むために、稲荷大社の駐車場で待機させられていたときのことである。じっと待っているところへ、とてもいい匂いがする。すがすがしくて、今までに嗅いだことのない、素敵な香りだ。いったいどこからこんなにいい香りがするのだろうと、子供らしくキョロキョロしていると、眼の隅の、広場の向こうのほうに、白い花房の垂れている藤棚が見えた。
それまで白い藤を見たことがなかったので、それもあってよく覚えているのだが、藤の花って、こんなにいい匂いがするんだ!と、びっくりした。それまでマイ・ベストいい匂いの花は、無条件でバラだったのである。幼稚園児のとき、ばら組だった私の薔薇信仰は、かなり深く刷り込まれていたから、これはかなりのカルチャーショックだった。
小学生時代の遠足の記憶はほとんどないのだが、なぜか、この時の嗅覚をともなう白い藤の記憶は、40年を過ぎた今でも鮮烈に残っている。
長唄の舞踊「藤娘」は、昭和の名優・六代目菊五郎によって、メルヘンと叙情性に満ち、なおかつ艶のある、女形の魅力あふれる素敵な舞踊作品へと生まれ変わった。
大道具に、人間の身の丈ほどもある藤の花房を垂らすことにより、江州の田舎娘だった藤娘が、藤の花から生まれてきた妖精のように可憐で可愛らしくみえる。
もちろん、私は六代目の舞台は観たことがない。梅幸の藤娘である。音羽屋の朱色と萌黄色の片身替わりの衣装が好きだった。京屋の藤娘は、愛嬌たっぷりで可愛かった。
平成ひとケタ時代の晩春、亀戸天神へ行った。もちろん、目当ては太鼓橋と藤の花である。そしてまあ、なんと度肝を抜かれたことには、あの「藤娘」とそっくり同じ大きさの藤の花房が、池を取り巻くように配された天神様の境内の藤棚に、いくつもいくつも、見事に垂れさがっていたのだった。
本当に芝居の作り物と同じほどに大きい、しかも境内のすべての藤の花が……私は仰天した。紫のスイートピーのようなひとつの花が、私の掌の三分の二ほどはあった。
さすがは、菅原道真公の祀り処。ひとしきり感心し、すっかり満足して、船橋屋のくずもちを買って帰った。
それから何年か経ったのち、再びあの藤の見事な花房を見たくて、亀戸天神に行った。しかし、再び驚愕したことには、天神様の池のぐるりの藤棚の藤は、よく見かける普通サイズの藤の花房に変わっていた。
どうしてなのか、株の寿命がきて植え替えたのか、そのときは誰に訊ねることもできず、何となくしょんぼりして帰った。いつも混んでいて入れない、船橋屋の茶店に入れた。
生き物の管理はかくも難しい。変わらないということは、想像以上に難しいものなのだ。これは芸にも、上手も下手も同様に通じることだなぁ…と、初夏の明るい日差しの下で、私は背筋を冷たくしたのだった。