我が家では私が若い頃は、ホームスティやビッジトを良く行っていました。
これも私が若き日に渡米経験があり、その恩返しかも知れません。
来られた多くの方々には、「GUEST BOOK」に記帳していただいていました。
何か国の方々が来られたのか、よく覚えていません。おそらく30か国以上はあるのでしょう。
↑(上)の写真はオランダから来られた高校生です。アージェン君とジョン君です。1週間くらいの滞在ででした。
縁あってオランダ大使館ので友好レセプションにも呼ばれました。
日本語も勉強したのでしょう。記帳も日本語で書かれていました。
アージェン君の住まいであるオランダに招待されたこともあります。
ドイツからオランダに向かう列車はお教え(お知らせ)していました。
するとオランダの国境近くで(列車の中で)声をかけて来る人がいました。
"お父さん!”わざわざその列車に乗って各席を探し回ったのでしょう。
驚きと嬉しいものがこみ上げてきました。
オランダの街もお父さん(銀行員)が会社を休んで案内していただきました。
彼は今や国際人となり、ニューヨークを含み世界中で活躍しているようです。
彼らについては、たくさんの思い出や出来事がありました。
後日、ご紹介したいと思います。
インドネシアから来たエルフィーさんとメタさんです。
我が家に来る方は、みなさんに"お父さん""お母さん"と呼んでもらっていました。
当然、我が家では当たり前のように、皿洗いや片づけも手伝ってもらいました。
すると、お二人は裕福な家庭でメイドも何人もいて、お父さんが皿を洗うのは見たことが無いと・・・。
これも日本では当たり前ですので(経験ですので)手伝ってくれました。
そう、迎えで行くときの対面場所では(マッチング)私は小さなシビックだったかと思います。
しかし、彼女たちの家には大きな車が何台もあって、運転手付きだと言っていました。
これが"this is japan"なのです。
生活感の違いも新鮮だったかと思います。
女房も二人を可愛がり意気投合して、短い滞在でしたが駅で送る時も女房もお二人もお互いに涙しての別れでした。
エルフィーはジャカルタ大だったかな?やはり渡米して大成功して裕福に暮らしているようです。渡米しても大成功していない私との大違いです。
JICA関係の研修生も良く来られました。古い和風の家にお招きしました。彼らはこのようなネイティブなモノを見たっかったのでしょう。
ブラジル・タイランド・ベネゼラ・マレーシアの方々です。
母国ではそれなりの立場の方々です。(JICAで招へいされさた方ですので、それなりに上位の公務員か研究者なのでしょう)
当時、外務省の豪華なレセプションルームに呼ばれましたが、ある内容で日本の現状や手法などを皆さ前で1時間ほどお話ししたこともあります。
また、米国テキサス州のラボック市の議員さんら一行も我が家来られました。
宗教は違えど、仏壇にお線香とチンを鳴らしていました。
みなさん知り合いですので、私を" yuki"と呼んでいます。
また、いつか皆さんに合いたい方々です。
自宅の庭でパチリです。そして、関係者の取り計らい「どん亭」でランチです。
安くて、食べ放題が気に入ったようです。
自宅の庭で焚火すると、仲間が仲間を連れて来て”アイツ誰?”なんて言うこともあります。
この時はフランスの方が来られました。
ICUに在籍していたジョンです。彼のアパート(米国)も訪ねたこともあります。
差し上げた帯をこんな風に飾っていました。
米国の大学も卒業し、日本語も上手でいろいろな意味で助けられましたね。
我が家のアパートにも住んでいました。
これは仕事(研修)で、ノースカロライナ州のダラム市と下はニューヨーク市でのレクチャーです。
まだまだ、ご紹介したいものはありますが、多くの方々が来られました。
別に、おもてなしなどはありません。
いつも、来られた方に自国の料理をスーパーに連れてって、食材を買い求め作ってもらうのです。いろいろな味が楽しめて良き思い出となりました。
私の「GUEST BOOK」から何枚かをご紹介いたしました。
道志では一定の距離は置いても近所(別荘仲間)付き合いも良く、暮らしています。
Hiro