東京に行ったのと風邪で寝込んでいたのとで案外早くに『春の雪』を読み終えました。
小説をたった一冊読んだくらいで、読んだ読んだ、と大騒ぎするほどの事でもないとお思いでしょうが
昔の純文学がもう一度読んでみたい、と思いながらなかなか取り掛かれなかったり、取り掛かっても読み進めなかったりだったので
『春の雪』を読めた、と言う事はちょっと前進した感があります。
以下拙い感想です。
先ず、この小説の導入部分に出てくる、松枝侯爵家の嫡子清顕が心惹かれている1枚の写真
日露戦役写真集のうちの「得利寺付近の戦死者の弔祭」、この写真の細かな描写が死の香りを強く漂わせて美しく、たちまち話に引き込まれます。
18歳で美貌の清顕は、父である侯爵が、武家でこそあれ幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、清顕が幼い頃に公卿の家(綾倉家)へ預けたため、
繊細で優雅を重んじる青年となってしましました。
ですので、質実剛健を旨とする松枝家に置いては彼の心情に理解を示す人は誰もいないと言う、
しかし、またそのことで彼の鋭利で空虚な自尊心が保たれていると言う事も言えるのではないかと思います。
ひたすら感情にのみ忠実に生きる清顕、彼は、自分の優雅が松枝家の没落の始まりであると言う事を、自分が優雅の棘であることを感じています。
綾倉家で幼いころに共に暮らした2歳年上の聡子、聡子がまた非常に典雅で美しく賢く、この二人は、お互い思い合っているようなのですが
生きると言う事に情熱を燃やすことのない清顕は、聡子との初めての接吻の後ですら気持ちが白々と冷めていく風なのです。
聡子を命懸けで愛するには何かが足りない、決定的にそれを遮るもの壊すことの出来ない立ちはだかる壁のようなものが。
清顕は心の底にうず巻くそれを求めていました。
そしてついにその時が訪れます。
二十歳と言うと最早婚姻には遅い年らしいのですが(今では考えられませんね)、聡子に洞院の宮第三王子との縁談が持ち上がります。
さりげないお見合いのようなものが行われ、それはもちろん洞院の宮第三王子は聡子を気に入るに決まっていますよ。
聡子からの矢のような手紙や電話にもぎりぎりまでそ知らぬ顔をする清顕。
そうこうしているうちに、とうとうその婚姻に勅許が降りてしまいます。
勅許とは、まぁ何となく意味は分かるものの調べて見ましたら、天皇の許可、だそうで一度勅許が下りると二度とその婚姻を止めることは出来ないそうです。
そのことが清顕に歓喜をもたらします。
以下、『春の雪』から抜粋します。
何が清顕に歓喜をもたらしたかと言えば、それは不可能という観念だった。
絶対の不可能。自分と聡子との間の糸は、琴の糸が鋭い刃物で断たれたように、この勅許というきらめく刃で、断弦の迸る叫びと共に切られてしまった。
彼が少年時代から、久しい間、優柔不断のくりかえしのうちにひそかに夢み、ひそかに待ち望んでいた事態はこれだったのだ。
やっと生きる或いは美しく死ぬ口実を見出したかのように、聡子とのほとばしる恋にのめり込む清顕。
そのような危うい清顕に対し肝の据わった聡子は、「何故このような事態になるまで放っておかれたのでございますか。」と、清顕をなじるわけでもなく
すでに終わりが見えているようなこの恋に、覚悟を決め身を委ねます。
シャムの国から留学している王子達をも招いている鎌倉の別荘「終南別業」にまで、聡子をこっそりと連れてきて逢瀬を楽しむ二人。
以下抜粋
「僕たちが許された仲だったら、とてもこんな大胆にはなれないだろう」
「ひどい方ね。清様の御心はそれだったのね。」
と、聡子は怨じる風情を見せた。彼らの叩く軽口には、しかし名状しがたい砂の味わいがあった。すぐかたわらに絶望が控えていたからだ。
まもなく聡子は妊娠し、すべてが松枝侯爵にも綾倉伯爵にも明らかになってしまいます。
堕胎のために関西に連れていかれた聡子は、早々と心に決めていたのでしょうか、堕胎した後に洞院の宮の王子との結婚を拒み、聡子の大叔母に当たるご門跡の元で剃髪し尼となることを決意します。
聡子への思いが断ち切れぬ清顕は、家出をし関西へ向かい何とかもう一度聡子に会いたいと月修寺へと通い詰めるのですが、聡子に一顧だにされません、そのうちに身体を壊し、二十歳と言う若さでこの世を去ります。
(ここに、老いると言う事を極端に恐れ美しく死にたいと考えていた三島の願望のようなものを感じます)
さて、あまりにも事務的にあらすじを書きましたが、
最初から最後まで随所に死の匂いが立ち込めているこの小説
だからこそ、最後に清顕が親友本多に夢日記と共に残した言葉「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。」と言う言葉が勢いをもって強く迫ってくるのでしょうか。
(この「春の雪」は、輪廻転生を描いた全四巻から成る豊饒の海の第一巻ですものね)
そして、今回再び読んで見て清顕と聡子の激しい恋のみならず、至る所に散りばめられている人生における普遍的な真実、これにとても納得と言うか深く頷かされるものがありました。
その一つ
聡子が出家したことに対して何の案もなくひたすら途方に暮れる伯爵に対し、松枝侯爵は強く怒る、しかし今までのことを内省してみる侯爵でもあった。
以下抜粋
侯爵は怒れば怒る程、その激情が自分に跳ね返って来るほかないことを徐々に発見していた。
そもそも息子に文雅の教育を授けてくれるよう頼みこんだのは侯爵自身である。
今度の禍の端緒をなしたのは清顕の肉体に違いないが、それはそもそもは清顕の精神が幼児から綾倉家に毒されていたからと云えるにしても
その毒される原因を作った大本は、侯爵自身である。
今も又、土壇場でこうなることを予見せずに、強いて聡子を関西へ送ったのも侯爵自身である。
こうしてみると、侯爵の怒りはすべて侯爵自身へ返って来ざるをえぬ仕組みになっている。
どの部分を切り取っても美しい比喩と美しい文章を楽しむことが出来る、そして三島由紀夫の膨大な知識が堪能出来る、
また、自然描写はもちろんの事、登場人物を表す言葉選びの素晴らしさ
何度読んでも発見があるような気がします。
(無くてもいい追記)
さて、誰しも思うのは、これを演じてもらうとしたら誰がいいか?
私の意見としては、清様は若かりし頃のミッチーこと及川光博と玉木宏を足して2で割ったような人がいいかな
そして、聡子は、平成細雪で三女役をされた伊藤歩さんと北川景子ちゃんをこれまた足して2で割ったような人はどうだろうか、、と。
妻夫木聡さんと竹内結子さんで映画を撮られたようですが、ちょっとちゃうかな、と思います。(~_~;)
妻夫木君は、あのとにかく人のよさそうな所が俳優としては損かな、近寄ったらひりひりしそうな感じがないもんね、ごめんね、妻夫木君。
小説をたった一冊読んだくらいで、読んだ読んだ、と大騒ぎするほどの事でもないとお思いでしょうが
昔の純文学がもう一度読んでみたい、と思いながらなかなか取り掛かれなかったり、取り掛かっても読み進めなかったりだったので
『春の雪』を読めた、と言う事はちょっと前進した感があります。
以下拙い感想です。
先ず、この小説の導入部分に出てくる、松枝侯爵家の嫡子清顕が心惹かれている1枚の写真
日露戦役写真集のうちの「得利寺付近の戦死者の弔祭」、この写真の細かな描写が死の香りを強く漂わせて美しく、たちまち話に引き込まれます。
18歳で美貌の清顕は、父である侯爵が、武家でこそあれ幕末にはまだ卑しかった家柄を恥じて、清顕が幼い頃に公卿の家(綾倉家)へ預けたため、
繊細で優雅を重んじる青年となってしましました。
ですので、質実剛健を旨とする松枝家に置いては彼の心情に理解を示す人は誰もいないと言う、
しかし、またそのことで彼の鋭利で空虚な自尊心が保たれていると言う事も言えるのではないかと思います。
ひたすら感情にのみ忠実に生きる清顕、彼は、自分の優雅が松枝家の没落の始まりであると言う事を、自分が優雅の棘であることを感じています。
綾倉家で幼いころに共に暮らした2歳年上の聡子、聡子がまた非常に典雅で美しく賢く、この二人は、お互い思い合っているようなのですが
生きると言う事に情熱を燃やすことのない清顕は、聡子との初めての接吻の後ですら気持ちが白々と冷めていく風なのです。
聡子を命懸けで愛するには何かが足りない、決定的にそれを遮るもの壊すことの出来ない立ちはだかる壁のようなものが。
清顕は心の底にうず巻くそれを求めていました。
そしてついにその時が訪れます。
二十歳と言うと最早婚姻には遅い年らしいのですが(今では考えられませんね)、聡子に洞院の宮第三王子との縁談が持ち上がります。
さりげないお見合いのようなものが行われ、それはもちろん洞院の宮第三王子は聡子を気に入るに決まっていますよ。
聡子からの矢のような手紙や電話にもぎりぎりまでそ知らぬ顔をする清顕。
そうこうしているうちに、とうとうその婚姻に勅許が降りてしまいます。
勅許とは、まぁ何となく意味は分かるものの調べて見ましたら、天皇の許可、だそうで一度勅許が下りると二度とその婚姻を止めることは出来ないそうです。
そのことが清顕に歓喜をもたらします。
以下、『春の雪』から抜粋します。
何が清顕に歓喜をもたらしたかと言えば、それは不可能という観念だった。
絶対の不可能。自分と聡子との間の糸は、琴の糸が鋭い刃物で断たれたように、この勅許というきらめく刃で、断弦の迸る叫びと共に切られてしまった。
彼が少年時代から、久しい間、優柔不断のくりかえしのうちにひそかに夢み、ひそかに待ち望んでいた事態はこれだったのだ。
やっと生きる或いは美しく死ぬ口実を見出したかのように、聡子とのほとばしる恋にのめり込む清顕。
そのような危うい清顕に対し肝の据わった聡子は、「何故このような事態になるまで放っておかれたのでございますか。」と、清顕をなじるわけでもなく
すでに終わりが見えているようなこの恋に、覚悟を決め身を委ねます。
シャムの国から留学している王子達をも招いている鎌倉の別荘「終南別業」にまで、聡子をこっそりと連れてきて逢瀬を楽しむ二人。
以下抜粋
「僕たちが許された仲だったら、とてもこんな大胆にはなれないだろう」
「ひどい方ね。清様の御心はそれだったのね。」
と、聡子は怨じる風情を見せた。彼らの叩く軽口には、しかし名状しがたい砂の味わいがあった。すぐかたわらに絶望が控えていたからだ。
まもなく聡子は妊娠し、すべてが松枝侯爵にも綾倉伯爵にも明らかになってしまいます。
堕胎のために関西に連れていかれた聡子は、早々と心に決めていたのでしょうか、堕胎した後に洞院の宮の王子との結婚を拒み、聡子の大叔母に当たるご門跡の元で剃髪し尼となることを決意します。
聡子への思いが断ち切れぬ清顕は、家出をし関西へ向かい何とかもう一度聡子に会いたいと月修寺へと通い詰めるのですが、聡子に一顧だにされません、そのうちに身体を壊し、二十歳と言う若さでこの世を去ります。
(ここに、老いると言う事を極端に恐れ美しく死にたいと考えていた三島の願望のようなものを感じます)
さて、あまりにも事務的にあらすじを書きましたが、
最初から最後まで随所に死の匂いが立ち込めているこの小説
だからこそ、最後に清顕が親友本多に夢日記と共に残した言葉「今、夢を見ていた。又、会うぜ。きっと会う。滝の下で。」と言う言葉が勢いをもって強く迫ってくるのでしょうか。
(この「春の雪」は、輪廻転生を描いた全四巻から成る豊饒の海の第一巻ですものね)
そして、今回再び読んで見て清顕と聡子の激しい恋のみならず、至る所に散りばめられている人生における普遍的な真実、これにとても納得と言うか深く頷かされるものがありました。
その一つ
聡子が出家したことに対して何の案もなくひたすら途方に暮れる伯爵に対し、松枝侯爵は強く怒る、しかし今までのことを内省してみる侯爵でもあった。
以下抜粋
侯爵は怒れば怒る程、その激情が自分に跳ね返って来るほかないことを徐々に発見していた。
そもそも息子に文雅の教育を授けてくれるよう頼みこんだのは侯爵自身である。
今度の禍の端緒をなしたのは清顕の肉体に違いないが、それはそもそもは清顕の精神が幼児から綾倉家に毒されていたからと云えるにしても
その毒される原因を作った大本は、侯爵自身である。
今も又、土壇場でこうなることを予見せずに、強いて聡子を関西へ送ったのも侯爵自身である。
こうしてみると、侯爵の怒りはすべて侯爵自身へ返って来ざるをえぬ仕組みになっている。
どの部分を切り取っても美しい比喩と美しい文章を楽しむことが出来る、そして三島由紀夫の膨大な知識が堪能出来る、
また、自然描写はもちろんの事、登場人物を表す言葉選びの素晴らしさ
何度読んでも発見があるような気がします。
(無くてもいい追記)
さて、誰しも思うのは、これを演じてもらうとしたら誰がいいか?
私の意見としては、清様は若かりし頃のミッチーこと及川光博と玉木宏を足して2で割ったような人がいいかな
そして、聡子は、平成細雪で三女役をされた伊藤歩さんと北川景子ちゃんをこれまた足して2で割ったような人はどうだろうか、、と。
妻夫木聡さんと竹内結子さんで映画を撮られたようですが、ちょっとちゃうかな、と思います。(~_~;)
妻夫木君は、あのとにかく人のよさそうな所が俳優としては損かな、近寄ったらひりひりしそうな感じがないもんね、ごめんね、妻夫木君。