安土桃山時代の狩野家の棟梁である狩野永徳の生涯を書いた『花鳥の夢』は、早くに読み終わったものの
豊饒の海(二)『奔馬』は、遅々として読み進めず。
流麗な文章を味わって理解して読もうとすると、すぐに眠気が襲ってきます。
やっと、本多繁邦が清顕の生まれ変わりである飯沼勲とまさしく滝の下で出会い、さあいよいよ物語が始まろうとしているところまで何とか読みました。
偶然にも(いや、必然か?)本多が勲と出会った、率川神社にて執り行われる三枝の祭りの神事の場面がそれはそれは美しく描かれているので
映像が気になってネットで調べて見ました。
罇(そん)と缶(ほとぎ)に飾られている百合
4人の巫女達の杉の舞
(画像は率川神社のHPにてお借りしました)
当たり前ですが、美しいお祭りの様子がそのまま独特ではあっても清らかな文章によって再現されているので、やっぱり三島由紀夫は天才と思ったのであります。
ほんの一説を抜粋します。
『飯沼少年たちによって運ばれた三千本の笹百合のうち、最も姿のよいものが選ばれて、罇(そん)と缶(ほとぎ)を飾ったほかは、瓶に活けられて社前のあちこちに花やいでいる。
見渡すすべてに百合が関わり、微風も百合の香にあふれ百合の主題はいたるところに執拗に繰り返され、世界の意味は百合のなかに籠められてしまったかのようだ。
神官たちが、手ずから、罇と缶を運び出した。
その白衣、その黒い冠、その黒い紗の嬰に、目八分の捧げた罇や缶の花々が、冠より高くそびえてゆらぐ色が美しい。
そしてもっとも高く捧げられた一茎の百合の蕾は、緊張した少年の失神寸前の姿のように蒼ざめている。
笛が漲り、羯鼓(かつこ)がときめいている。
黒ずんだ石垣の前に置かれた百合は、たちまち紅潮する。』
なんと、このお祭りの様子が4ページにも渡って書かれています。
『これほど美しい神事は見たことがなかった。』と本多に言わせているので三島由紀夫もこのお祭りを見ていたく感動したのでしょうか。
このお祭りは、別名ゆり祭りと呼ばれているとのこと、率川神社は奈良県にあるらしいので一度見てみたいものです。
さて、時間がかかっても読み終えたいとは思っていますが、どうなりますでしょうか?
皆さんが忘れた頃に感想文の記事を上げるやもしれません(^^;)
豊饒の海(二)『奔馬』は、遅々として読み進めず。
流麗な文章を味わって理解して読もうとすると、すぐに眠気が襲ってきます。
やっと、本多繁邦が清顕の生まれ変わりである飯沼勲とまさしく滝の下で出会い、さあいよいよ物語が始まろうとしているところまで何とか読みました。
偶然にも(いや、必然か?)本多が勲と出会った、率川神社にて執り行われる三枝の祭りの神事の場面がそれはそれは美しく描かれているので
映像が気になってネットで調べて見ました。
罇(そん)と缶(ほとぎ)に飾られている百合
4人の巫女達の杉の舞
(画像は率川神社のHPにてお借りしました)
当たり前ですが、美しいお祭りの様子がそのまま独特ではあっても清らかな文章によって再現されているので、やっぱり三島由紀夫は天才と思ったのであります。
ほんの一説を抜粋します。
『飯沼少年たちによって運ばれた三千本の笹百合のうち、最も姿のよいものが選ばれて、罇(そん)と缶(ほとぎ)を飾ったほかは、瓶に活けられて社前のあちこちに花やいでいる。
見渡すすべてに百合が関わり、微風も百合の香にあふれ百合の主題はいたるところに執拗に繰り返され、世界の意味は百合のなかに籠められてしまったかのようだ。
神官たちが、手ずから、罇と缶を運び出した。
その白衣、その黒い冠、その黒い紗の嬰に、目八分の捧げた罇や缶の花々が、冠より高くそびえてゆらぐ色が美しい。
そしてもっとも高く捧げられた一茎の百合の蕾は、緊張した少年の失神寸前の姿のように蒼ざめている。
笛が漲り、羯鼓(かつこ)がときめいている。
黒ずんだ石垣の前に置かれた百合は、たちまち紅潮する。』
なんと、このお祭りの様子が4ページにも渡って書かれています。
『これほど美しい神事は見たことがなかった。』と本多に言わせているので三島由紀夫もこのお祭りを見ていたく感動したのでしょうか。
このお祭りは、別名ゆり祭りと呼ばれているとのこと、率川神社は奈良県にあるらしいので一度見てみたいものです。
さて、時間がかかっても読み終えたいとは思っていますが、どうなりますでしょうか?
皆さんが忘れた頃に感想文の記事を上げるやもしれません(^^;)