今朝(6/21)の新聞コラムに日本の街並について触れた面白い記事があり興味深く読んだ。
「東西まちまち」よりー国際日本文化研究センター所長・井上章一氏ー
以下、要約して抜粋。
”コロナウィルスによる感染拡大が、欧米と比べて規制の緩い状態で低い水準で抑えられた日本。
この現象が海外ではいぶかしがられてきた。強権を発動せずとも人々は気ままな外出を控え感染も拡がらないナゼだ、と。
この点については民族性をあげる説明がしばしばなされてきた。受容的で集団の和を重んじる、まわりに気をつかうという傾向。
サッカーの国際試合では決定力不足がなげかれ、野球については犠打の多さが特徴的だとされる。
今回の感染症対策についての日本人論もそのような議論が反復されたのだとみなしうる。
しかし、
都市の街並みを見るとまったく逆の日本論も浮かんでくる。
ビルを建てたオーナーや建築家はみな自分の都合で形状を決め思う存分にエゴを発散させたビルが軒を連ねている。
都市の中にあって建築表現の自由が広く公認されている。
イギリスの建築家を道頓堀に案内したところ「ここは何をやってもいいところなのか。ヨーロッパではあり得ない表現の自由が
この界隈には息づいている」と述べたそうだ”
かなり中途を省いたまとまりのない要約でしたが(井上さん、失礼しました)
街並みの不思議さはかなり以前から感じていたことなので、スッとつっかえが取れたような気分でした。
”表現の自由が息づいている”というくだりは冷や汗ものです
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はっきり言って、”自由さ”が闊歩している建築物が恥ずかしい景観を作ってる場所がたくさんあります。
でも、強引に馴染ませようとするが、いつまでたっても馴染みたくない建物もありますよね。
「東西まちまち」よりー国際日本文化研究センター所長・井上章一氏ー
以下、要約して抜粋。
”コロナウィルスによる感染拡大が、欧米と比べて規制の緩い状態で低い水準で抑えられた日本。
この現象が海外ではいぶかしがられてきた。強権を発動せずとも人々は気ままな外出を控え感染も拡がらないナゼだ、と。
この点については民族性をあげる説明がしばしばなされてきた。受容的で集団の和を重んじる、まわりに気をつかうという傾向。
サッカーの国際試合では決定力不足がなげかれ、野球については犠打の多さが特徴的だとされる。
今回の感染症対策についての日本人論もそのような議論が反復されたのだとみなしうる。
しかし、
都市の街並みを見るとまったく逆の日本論も浮かんでくる。
ビルを建てたオーナーや建築家はみな自分の都合で形状を決め思う存分にエゴを発散させたビルが軒を連ねている。
都市の中にあって建築表現の自由が広く公認されている。
イギリスの建築家を道頓堀に案内したところ「ここは何をやってもいいところなのか。ヨーロッパではあり得ない表現の自由が
この界隈には息づいている」と述べたそうだ”
かなり中途を省いたまとまりのない要約でしたが(井上さん、失礼しました)
街並みの不思議さはかなり以前から感じていたことなので、スッとつっかえが取れたような気分でした。
”表現の自由が息づいている”というくだりは冷や汗ものです
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はっきり言って、”自由さ”が闊歩している建築物が恥ずかしい景観を作ってる場所がたくさんあります。
でも、強引に馴染ませようとするが、いつまでたっても馴染みたくない建物もありますよね。