日々、思うことをサラサラと。

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日本の不思議・・・に合点

2020年06月21日 | 喜怒☆楽
今朝(6/21)の新聞コラムに日本の街並について触れた面白い記事があり興味深く読んだ。
「東西まちまち」よりー国際日本文化研究センター所長・井上章一氏ー
以下、要約して抜粋。
”コロナウィルスによる感染拡大が、欧米と比べて規制の緩い状態で低い水準で抑えられた日本。
この現象が海外ではいぶかしがられてきた。強権を発動せずとも人々は気ままな外出を控え感染も拡がらないナゼだ、と。
この点については民族性をあげる説明がしばしばなされてきた。受容的で集団の和を重んじる、まわりに気をつかうという傾向。
サッカーの国際試合では決定力不足がなげかれ、野球については犠打の多さが特徴的だとされる。
今回の感染症対策についての日本人論もそのような議論が反復されたのだとみなしうる。
しかし、
都市の街並みを見るとまったく逆の日本論も浮かんでくる。
ビルを建てたオーナーや建築家はみな自分の都合で形状を決め思う存分にエゴを発散させたビルが軒を連ねている
都市の中にあって建築表現の自由が広く公認されている。
イギリスの建築家を道頓堀に案内したところ「ここは何をやってもいいところなのか。ヨーロッパではあり得ない表現の自由が
この界隈には息づいている」と述べたそうだ”

かなり中途を省いたまとまりのない要約でしたが(井上さん、失礼しました)
街並みの不思議さはかなり以前から感じていたことなので、スッとつっかえが取れたような気分でした。
”表現の自由が息づいている”というくだりは冷や汗ものです
はっきり言って、”自由さ”が闊歩している建築物が恥ずかしい景観を作ってる場所がたくさんあります。
でも、強引に馴染ませようとするが、いつまでたっても馴染みたくない建物もありますよね。



コメント

え、緩み過ぎでは・・・

2020年06月21日 | 喜怒☆楽
コロナ規制が一気に緩んできた。
ちょっと出かけただけでも「それはダメでしょ」の場面にいくつも出くわす。

例えば、コミュニティバス(小型バス)に乗車して立っている人がいると座るように運転手が注意喚起している。
「え、え」と驚く。
乗客の皆さんは隣に座ったら(二人掛けでしかも狭い)体が触れることが避けられないので双方の為に座らないでいるのに
わざわざ「座れ」という運転手。・・・誰も異を唱えず従順に従う乗客
もし感染した方が居たら追跡アプリの通知がきますね→密の状態で15分以上接触していたということで。

ドライアイの点眼薬が切れたのでしぶしぶ眼科に寄った。
あれ??どこに行っても入り口にあるはずの”消毒薬”がここにはない。病院にない!?
いつもの検査で顎と額を機器にくっつけて画像を撮るのだが、技師の消毒がまったくいい加減(軽く触れてるだけ)
そして肝心の視力検査がおかしい??画像の真ん中に黄色い汚れと点々があり「見えずらい」と訴えるが「機械が
どうのこうの。。。」と濁される。検査用の眼鏡の使用前・後の消毒なし
恐らく・・・こちらの眼科は普段は来院者が多く検査員も多数揃っていた。
コロナで患者が激減し、それが2~3か月続き有資格者の検査員は解雇(?)され訓練されていない人(安い)が居るって感じかな。
不慣れでいい加減な検査だったなぁという印象が残る。
医院がコロナの被害をもろに受けた感がある。残念だけどここはもう来ないな。

未だにビニール手袋着用のレジの方。
ずっとビニ手は不快だったが、TVで汚染の懸念が報道されていたのでこれは無くなると思っていたが。
コンビニは早い時期に辞めてましたね。

まぁ、小さなことには目をつぶって行かないと経済が廻っていかないし・・
けれど、政府が「GO TO キャンペーン」と旗を降り上げるのはどうかと思います。
県を跨いで移動する行為はほぼ確実に感染者を増やしますが、でも、もう、解禁するしかない。
そこは民間の企業の奮闘を黙認する形でお願いしたい。

共存、バランス 共存、バランスと自身に念じて日々暮らしております



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