奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

松尾寺

2022-05-27 21:36:31 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第458弾


5月23日の午前中に大和郡山市の西端にある松尾寺に行ってみました。ちょうどバラ園が公開されています。松尾寺には私は何度も行ったことがあるのですが、家族はこれが初めてです。







バラ園が公開されているので混んでいるかなと思ったのですが、駐車場は空いていました。その駐車場にあったエゴノキです。



そして、テングチョウ



それから、シオヤトンボ。矢田丘陵に近いので、虫は多いですね。



松尾寺の入り口に着きました。ここから長い階段を登らないといけません。







でも、途中でこんな霊泉があったりと結構楽しみながら登れます。





カワトンボがいました。縁紋が小さく太いので、たぶん、アサヒナカワトンボの方ではないかと思います。





これは奈良県出身の万葉研究者、辰巳利文の歌碑です。「松尾寺背に立つ塔のいや高く真澄める秋の空に厳しき」





そして、やっと本堂に着きました。松尾寺は真言宗のお寺で、日本最古の厄除のお寺として知られています。718年、舎人親王が日本書紀編纂の折、42歳の厄年に当たっていたので、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立したと伝えられています。



境内にはユリの鉢がたくさん置かれていました。カサブランカという栽培品種だそうで、6月下旬ごろから5,000輪が咲き誇るとのことです。





これは本坊。



そして、鐘楼。この横を抜けていくとバラ園がありますが、それは次回に回します。

雑談1)コロナについて勉強したことを雑記としてまとめてきたのですが、今月で終わることにしたので、これまで書いた部分を製本しようと思って整理しました。これまでの原稿をまとめてみると320頁にもなりました。原稿はまとめてWordに入れたのですが、今日は目次を作ってみました。Wordの目次の機能を用いると、途中でページが変わっても自動的に修正してくれるので大変楽です。ただ、目次に用いる見出し語を思うようなフォントにしたり、インデントをなくしたりと思ったようなフォーマットにするのが結構手間でした。

雑談2)コロナの雑感の編集が終わった後、前に住んでいた大阪北部でブログに出してきた動植物のリスト作りの続きをしました。種リストはデータベースができているので、それを用いてEXCELのVBAプログラムですぐにできるのですが、これと写真を載せた図鑑との対応をつけるのが意外に大変です。種リストは2012年10月から始めたブログに出したものだけで、図鑑はそれ以前に撮ったものも含まれている一方、新しいものは入っていません。それで両者を補いながら作っています。大変な作業なのですが、意外に楽しいです。

額安寺~推古神社~鎌倉五輪塔

2022-05-26 21:35:03 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第457弾


5月22日に家族と大和郡山市の南端にある額安寺(かくあんじ)に行ってみました。



ちょっと前にテレビで大安寺をやっていたのですが、その時、大安寺は聖徳太子が学問道場として建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)の後に建てられた寺が大安寺の前身になるという話がありました。額安寺は熊凝精舎の跡地に建てられた寺として知られていたので一度見ておこうと思って行きました。







正面の門は閉まっていて、横にある受付から中に入ることができます。





中はこぎれいなお寺でした。



ここが本堂です。中には十一面観世音菩薩像、帝釈天立像、梵天立像などがありましたが、重文の虚空蔵菩薩半跏像は奈良国立博物館に移したとのことです。



市の指定文化財である宝薩印塔は鎌倉後期の作だそうです。



これも変わった形をしています。






額安寺の隣にある推古神社に行ってみました。この辺りは額田部寺町という地名のところですが、推古天皇は額田部皇女と言われ、この辺りの出身だと考えられているようです。





これが本殿です。



これは摂社・末社の天明大明神。



それから、境内にいたテングチョウ




ここからさらに北に向かって歩きました。途中で見つけたベニカミキリ





少し歩いたところにお墓があり、ここにあるのが鎌倉五輪塔と言われている鎌倉後期につくられた重文のお墓です。一番左が鎌倉後期に額安寺を再興させた忍性のものだとされています。





そのすぐ近くには額田部窯址がありました。ここは鎌倉時代に額安寺の瓦を焼いたと言われている場所です。



額安寺に戻る途中で見つけたテイカカズラです。





それからヒルザキツキミソウ



これはGoogle Mapによれば寺町地蔵尊と書かれている場所です。





これはカキツバタなのかなぁ。これで額安寺周辺を一周したことになります。

雑談)額安寺について書こうと思ったのですが、どうしてここが大安寺の前身なのか、ここが本当に熊凝精舎の跡なのか、国宝の「額田寺伽藍並条里図」にある「額田寺」との関係はどうなのかという点がはっきりしません。そこで、星野良史、「大安寺の熊凝草創説話について」、法政史学39、44(1987)を読んでみました。星野氏の説では、やはり熊凝精舎の跡地に額田氏の氏寺である額田寺が建てられたようです(額田寺は8世紀後半に描かれた「額田寺伽藍並条里図」に載っています)。その後、大安寺を平城京に移転するときに大きな貢献をした額田氏である道慈がこの地域に住んでいたことから、額田寺縁起が大安寺縁起に組み入れられたのであって、額田寺あるいは熊凝精舎は大安寺とは関係ないという説のようです。額田寺(いつから額安寺と呼ばれるようになったのかはよく分かりませんが)は平安時代に一時衰えたのですが、その後、鎌倉後期に叡尊と忍性により再興されました。その後、再び、衰退し、豊臣秀吉により塔を四天王寺に移され、ほとんど廃寺同然になりました。昭和になってから、前々住職の喜多亮快師が自力で復興させたものが現在の額安寺であるそうです。

散歩の途中で見つけた植物、鳥、虫、猫

2022-05-25 20:13:05 | 奈良散策
奈良散策 第456弾


5月20日用事で駅前に出かけたときCanonのコンデジを持っていきました。その時に撮った写真です。





草むらにいたバッタです。おそらく、ヒメギスの幼虫だと思います。







キキョウソウがまとまって咲いていました。帰化植物でも綺麗ですね。



これはヤナギハナガサ



それにムシトリナデシコ





アカメガシワの花外蜜腺に集まっているアミメアリです。昨年、何度も撮りました。

ここからは5月22日早朝の散歩にときに撮った写真です。





まだ田植え前なのですが、水を張った田んぼに小さなカブトエビが出てきていました。これからが楽しみです。



いつもの黒猫のいる場所に行ったら、眠そうな黒猫がいました。



これはため池の縁にいるいつもの猫です。網の中で寝ています。





金魚池の縁には別の黒猫がいました。この辺り、黒猫は3匹います。













草むらにセッカがいました。この日は虫をくわえていたからか意外に飛び立ちません。



ウシガエル





これはモズ







最後はオオヨシキリでした。

霊山寺のバラ園

2022-05-24 20:53:49 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第455弾


5月18日に奈良市にある霊山寺に行ってみました。ちょうどバラ園が開いているので、様子を見に行ったのですが、ついでに境内も歩いてみました。昨日の続きです。







境内には放生池という小さな池がありました。





その脇にミズバショウが生えていました。霊山寺のHPによると、富山県の信者が1株植えたものが20株ほどに増えたそうです。もともと山地湿原で育つ植物なので奈良県では珍しいそうです。4月20日頃から咲くというので、来年は見に行こうかな。



ここから少し階段を登ると、ちょっとした広場があります。そこに行者堂がありました。





その横には重文の三重塔があります。鎌倉時代の創建だそうです。





木にこんなものが設置されていました。樹液でも取るのかなと思ったのですが、後日、春日山遊歩道を歩いた時にも見つけました。調べてみると、カシナガキクイムシのためのトラップで、カシナガトラップKMC型というそうです。被害木の近くにある健全木に仕掛けるようです。下にエタノールやフェロモンなどの誘引剤を入れて、飛んでくるカシナガを集めるという仕組みになっています。



これは境内の写真です。境内は木に覆われ、深い山の中の寺という感じでした。






バラ園は霊山寺の入り口付近にありました。200種2000株あるそうです。



これはプリンセス・ド・モナコというフランスで作られたバラです。



これは宴という日本作出のものです。







バラ園の中の様子です。見物客が写らないように撮るのが大変でした。



これはニューウェーブという日本産。



庭園風に造られています。





池で咲いていたスイレンです。









バラ園風景です。

霊山寺見学

2022-05-23 20:19:04 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第454弾


5月18日に家族と一緒に奈良市にある霊山寺(りょうせんじ)に行ってきました。今ちょうど、バラ園が公開されているので、ちょっと様子を見に行ったのです。平日だからそれほど混んではいないだろうと思ったのですが、駐車場前に10台ほどの車の列ができていました。折角、来たのだからと思って並んで待っていると、第一駐車場はいっぱいなので、第二駐車場に行ってくれと言われて、ちょっと離れた駐車場に止めました。



霊山寺のHPによると、由緒は次のように書かれていました。小野妹子の息子の右大臣小野富人が壬申の乱に関わったということで、ここ登美山(奈良市富雄)に閑居し、薬草湯屋を建てて薬師三尊仏を祀り、病を治していたので、鼻高仙人と呼ばれていました。ちょうど聖武天皇の皇女が病いを患ったので、行基菩薩が代わりに薬師三尊仏にお祈りをしたところ直ったので、聖武天皇はこの場所に寺を建てることを命じました。これが734年のことです。2年後、インドのバラモン僧が来て、国の地形と似ているということで、霊山寺という名前を付けました。平安時代になり、弘法大師がこの地に強い龍神様がおられるということで、弁才天を祀りました。それで、入り口には鳥居が建てられています。







鳥居をくぐってすぐのところで花を見つけました。カルミアというツツジ科の植物です。蕾が金平糖状になっています。葉には毒があるようです。



これが薬師湯の入り口です。



これはモクレン科のカラタネオガタマです。



境内にはこんな川が流れています。





八体仏霊場といって、八つの像が並んでいました。生まれ年と生まれ日星座でお祈りする像が決まっているようです。





境内の写真です。森深くにある寺という感じがします。



これは霊山寺を建立した行基菩薩の像です。



弁才天を祀ってある弁天堂の入り口にある鳥居です。



階段を登るとちょっと広場になっていました。



これは本山寺務所。





これが弁天堂です。



奥には、金箔を貼った黄金殿、プラチナ箔を貼った白金殿がありました。





ここからちょっと奥に行くと重文の鐘楼がありました。室町初期の創建だそうです。







こちらは国宝の本堂です。鎌倉時代の創建のようです。





本堂の奥の景色です。右にあるのは地蔵院です。この続きは次回に回します。

雑談1)家族と一緒に、昨日は額安寺、今日は松尾寺に行ってきました。共に、大和郡山市にあるお寺です。額安寺は聖徳太子建立の学問道場「熊凝精舎」跡に建てられ、大安寺の前身と言われている由緒あるお寺です。松尾寺は日本最古の厄除け霊場として知られていて、今はバラ園が公開されています。奈良県は由緒のあるお寺や神社、古墳が無数にあります。
雑談2)これまでにブログに出してきた写真が全部で48,000枚ほどになるのですが、EXCELでこれら写真のデータベースを作りました。ブログの日付、写真順にずらっと和名、分類などのデータが並んでいるのですが、そのうちの一つを選択するとブラウザーに写真を出すというVBAプログラムを作ってみました。プログラムを実行すると、マウスで選んだ行の写真がIEブラウザーで表示でき、メッセージボックスの3つの選択肢の一つ目を選ぶと一つ下のデータの写真、二つ目を選ぶと一つ上のデータの写真、三つ目を選ぶとプログラム終了という具合です。何とか動くようになりました。