奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

長岳寺五智堂、大和神社

2022-05-18 21:30:57 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第449弾


5月7日に長岳寺に行って、その帰りに長岳寺五智堂(ごちどう)と大和神社(おおやまとじんじゃ)に行きました。その時の写真が残っていたので、出しておきます。





長岳寺は天理市にある花の寺ですが、そこから少し離れたところにある長岳寺飛び地に五智堂という建造物があるというので行ってみました。道沿いに黒塚古墳の市営駐車場があるので車を止めて、そこから旧道を歩いていったら、途中、見たことのない小さな花がいっぱい咲いていました。「日本帰化植物写真図鑑第2巻」を見たら、ヤワゲフウロ Geranium molleというヨーロッパ原産の帰化植物によく似ています。





途中にお地蔵様がありました。猿田彦大神というのは、ニニギノミコトの道案内をした神様で、道の神として知られているようです。





そして、これが五智堂です。屋根の下には中心に太い心柱があって、建物を支えています。





心柱上部の四面には梵字で書かれた額があります。全体として五智如来を表しているとのことです。「大和名所図会」という寛政3年に刊行された本があるのですが、その中に長岳寺も載っていて、そこには「傘塔」という名称で出ていました。鎌倉時代末期の作だそうです。





ここから長岳寺までは東5町という石碑がありました。1町は110m、従って、550mほどということですね。Google mapで測ってみると、直線距離で650mくらいでした。



ここにも猿田彦大神がありました。






169号線を走っていると、「大和神社」という大きな看板が出ていたので行ってみました。聞いたことがない神社だったのですが、実は、崇神天皇にまで遡る由緒正しい神社だったようです。日本大国魂大神と天照大神が宮中に共に祀られていたのですが、あまりにもその力が強すぎ、御殿を共にすることに恐れを抱いた天皇は、別々に祀ることにし、天照大神はあちこちを巡った末に伊勢神宮へ、日本大国魂大神は市磯邑(大和郷)に移されたのが、大和神社の始まりとなったそうです。その後、何度か移動した後、中世に現在の地に移りましたが、火災により勢力が衰えたとのことです(「天理観光ガイド・大和神社」などによる)。





これが参道です。大変、広い神社でした。





途中にあった増御子神社。







そして、本殿です。近くの幼稚園児の作ったかざぐるまが飾られていました。





「たかおおかみ」神社で、水の神様のようです。あまりにも込み入った字だったので、つい写しました。



この神社は「戦艦大和ゆかりの神社」としても有名なようです。船の中に分霊が祀られていたとのことです。