電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「上行結腸腫瘍」の手術は成功!

2004-11-02 10:31:29 | 日記・エッセイ・コラム
 中津川市民病院で、11月1日午後1時15分から父親の「上行結腸腫瘍」の手術があった。子どもを妻の実家に預けて、妻と二人で10月31日の午前に中津川に向かった。病院には、午後4時頃着き、父を見舞う。久しぶりに兄弟がそろう。父は翌日の手術のために下剤を飲んでおり、腸の中を空っぽにしており、点滴で栄養を補給していた。それでも元気で、自分でトイレに行ったりしていたが、さすがに翌日に手術を控えて多少心細そうに見えた。1日は、朝から病院に詰めていた。
 「上行結腸腫瘍」というのは、いわゆる結腸癌(大腸癌)である。一応、進行癌であるが他の器官への転移は認められず、「デュークス分類」でBないしC、または「ステージ分類」でⅡないしⅢ期だと思われるが、正確には開腹してみないとわからないという。大腸が狭窄していて、腫瘍からは出血しており、腸閉塞や貧血になりやすい状態だということで早急に手術したほうがよいということでこの日の手術になった。

 手術は、全身麻酔・硬膜外麻酔をした「右半結腸切除術」であり、合併症としては、①出血、再出血②縫合不全③腸閉塞④感染⑤心不全、不整脈の心臓合併症⑥肺炎、肺梗塞の肺合併症⑦痴呆等などの可能性があること、また高齢でもあり、様々な合併症、時には命に関わる危険性もあると言う。それで、本人および家族の同意書を作成し、署名した。

 大腸壁は胃壁と同じで、5つの層に分けられ、最も内側が粘膜、中心部分が、腸を動かす筋肉、そして最も外側が漿膜と呼ばれている。具体的には内側から粘膜、粘膜下層、固有筋層、漿膜下層、漿膜の5層になっている。大腸癌の進行はこれら5層のどの部分に達しているかで分類される。国際的に用いられている大腸癌の進行の分類としては、デュークス分類がある。また、日本で用いられている大腸癌の分類方法としては、ステージ分類がある。国立がんセンターの大腸癌の解説の「4.病期(ステージ)と生存率」にはつぎのようになっている。(デュークス分類の%は手術後の5年生存率)

デュークス分類
 デュークス A (95%): がんが大腸壁内にとどまるもの
 デュークス B (80%): がんが大腸壁を貫くがリンパ節転移の
              ないもの
 デュークス C (70%): リンパ節転移のあるもの
 デュークス D (25%): 腹膜、肝、肺などへの遠隔転移のあるもの

ステージ分類
 0期: がんが粘膜にとどまるもの
  I期: がんが大腸壁にとどまるもの
  II期: がんが大腸壁を越えているが、隣接臓器におよんで
    いないもの
  III期: がんが隣接臓器に浸潤(しんじゅん:周囲に拡がること)
    しているか、リンパ節転移のあるもの
 IV期: 腹膜、肝、肺などへの遠隔転移のあるもの

 結腸癌の開腹手術は普通次のように行われるという。

結腸(盲腸、上行結腸、横行結腸、下行結腸、S状結腸)のがんの手術は、病巣と共に口側と肛門側の腸管を10cmほど離して切除します。 同時に周囲のリンパ節の切除(リンパ節郭清と呼びます)を行います。
リンパ節郭清は、腺腫や粘膜内がんでは必要ありません。また、浸潤している大腸がんでも浸潤の程度がほんのわずかでリンパ節転移の危険因子(病巣先進部の組織型や脈管侵襲などを調べて決めます)がなければ必要ありません。しかし、大半の大腸がん(大腸癌)では病巣周囲のリンパ節郭清が必要です。
切除する結腸の量が多くても、術後の消化・吸収等の機能障害はほとんどおこりません。

 手術は1時15分から始まったが、その前に親族全員で父親を手術室まで見送った。手術時間は約2時間、手術後、3時半ごろ親族一同呼び集められて、切り取った患部を見せながら手術の結果を説明してくれた。小腸の一部から大腸まで約10センチ以上が切り取られ、硬くなった主要の部分が見える。他の器官への転移はないが、リンパ節には浸潤しており、第一群と第二群は切除したが、年齢・体力を考え、第三群は切除できなかったとのこと。この結果については、今後の経過を見ないと何ともいえないということだった。ただし、手術そのものは成功で、出血も15ccくらいで大変うまくいったということだ。

 手術室から個室に運び込まれ、麻酔からさめたところで、二人ぐらいずつで声をかける。意識ははっきりしており、父から返事がある。「お父さん、気分はどう?」「大丈夫だよ」「痛いところはない?」「うん、すこし痛い」そんな反応を確かめ、うれしかった。今日は、看護婦さんに任せて、皆帰ることになる。明日から、弟が個室で泊まり込みの看護をすることになった。すぐに、リハビリを始めるらしい。かなり痛いらしいが、明日からもう歩く練習も始めるという。そのために、大部屋に移るまで付き添いが必要とのこと。

 本人は、自分が癌だと言うことを知っており、手術の前に実家の隣の甥に自分が癌で手術が必要だと言うことを伝えていたそうだ。頭ははっきりしており、毎日の新聞の差し入れを要望し、見舞客については全てノートのメモしていた。私が手術前に会ったときも、そのノートを見せてくれた。20日くらいで退院できるということだが、退院後どうするかは、また改めて兄弟で相談することにする。中津川の実家を離れるのはいやだと言うと思うが、体調と相談しながら決めようとみんなで確認した。病院を出るともう薄暗くなっていた。私は妻と二人で、1日の夕方5時頃中央高速自動車道の中津川インターに入り、埼玉に向かった。
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「つま恋」と大井川鐵道

2004-10-23 22:25:11 | 日記・エッセイ・コラム
 会社の慰安旅行でヤマハリゾート「つま恋」に行く。飯能駅6時59分の急行で池袋に行き、そのまま地下鉄に乗り東京駅へ。東京駅の駅の構内の書店で、「ファイナンシャル・ジャパン」の創刊号を買い、東京駅8時56分の「こだま」に乗る。掛川に10時44分に着く。そこからバスで「つま恋」へ。「つま恋」に着いたのは、11時頃。みんなで記念撮影をしてから、昼食。幹事さんは、事前にビールを配ったりしていたが、昼食にお酒が出なかったのにはびっくりした。まあ、食後、運動をして欲しいと言うことかもしれない。確かに、「つま恋」に着いたとき、既にできあがっていたような人はいた。

 いろいろなことができるのだが、私は同年代の同僚と原動機付きの自転車でサイクリングをした。サイクリングは、埼玉県の森林公園のサイクリングコースが好きで、子どもを連れて行き、自転車で良く回る。一周14キロ以上もあり、途中休憩したり、植物園を見学したりと遊びながら行くと、2時間近くはあっという間にたつ。そのつもりで、自転車を借りたのだが、さすがに坂道が多く、原動機付きでも少し苦しい。ただ、距離が短いので、すぐに回ることができた。いい運動にはなった。

 14時には、「つま恋」を出発して、大井川鐵道でSLに乗り、また掛川に戻ることになっており、あまり時間がなかったので、私たちは、自転車に乗って回っただけで終わってしまった。要領のいい人たちは、あらかじめ用意していたテニス用具を持ってテニスをしたり、食後すぐゴルフのショートコースに駆けつけたりして、それなりに楽しんでいた。

 「つま恋」は、土曜日だったが比較的空いていた。次の大井川鐵道は、家山駅から新金谷駅まで、SL列車に乗る。まだ、紅葉には早く、青々とした木々を見ながら、大井川に沿って列車は下った。いろいろな映画のロケーションに使われているだけあって、列車の窓からの景色は情緒がある。台風が過ぎたばかりか、川の水が白く濁っていたが、大井川の広い河床をうねる水もきらきらと輝き、気に入った。

 新金谷駅の前の「プラザ・ココ」でお土産を買い、バスに乗り掛川駅へ。16時40分の東京行きの「こだま」に乗る。何故だか、社内では酎ハイや梅酒などお酒はたっぷりあり、みんなで宴会になった。その場に居ない人のうわさ話に花を咲かせていたのを聞いていたが、きっと私の居ないときは私が酒の肴になるのだなと、感心した。それはそれなりに、話題を提供し役に立つのだ。

 東京駅に着いたのは、18時23分だったが、降りる前に新潟の地震のニュースを知る。新潟出身の人がおり、彼女の携帯に電話が入ったのが最初の情報で、その後はみんなが携帯で情報を集めていた。震度6くらいの地震が何回かあったらしいという情報はわかったが、それ以上はよくわからない。東京駅に着いて地下鉄に乗り換えていたとき、大きな地震の揺れを感じた。まだ、地震の余震が続いているらしかった。家に帰り着いたのが20時で、地震の被害の大きさに改めてびっくりした。地震のニュースを除けば、いい運動になったし、今日1日は、本のことを忘れていられて気楽だった。

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親父の手術日が決まる

2004-10-19 21:47:15 | 日記・エッセイ・コラム
 18日と19日に岐阜県中津川市に行ってきた。仕事や友人に会うことも兼ねてスケジュールを組んだので、中津川市に行ったのは、正確には18日の夕方から19日の午前中ということになる。親父は中津川市民病院の内科に入院しており、内科の検査が一通り終わったところだった。胃カメラを飲んだり、小腸や大腸を内視鏡で調べたりで、かなりぐったりしたそうだが、私が行ったときは、元気だった。家にひとりでいるよりは、病院にいたほうが安心だ。

 内科の先生の話では、大腸以外はいたって健康で、いまなら手術に丁度良いという判断だった。入院してすぐの最初の大腸内視鏡検査の写真と最近のバリウム注腸検査の写真を見せられ、大腸の様子を説明してくれた。内視鏡写真では出血している様子がわかるし、バリウムによる画像を見ると、確かに盲腸から少し大腸に入ったところ(上行結腸)がかなり狭くなっているのがわかる。結腸癌であり、結腸の場合、切除する範囲が広くても術後の機能障害はあまり問題にならないということで、できれば早く手術したほうが良いという。

 本人に手術の話をしたそうだ。本人は大体内容を理解して手術をして欲しいと言っているようだが、とにかく、耳も遠いので、家族の人の同意が欲しいとのことだ。このことは、親父に確認した。「大腸に大きなポリープができており、そこから出血したり、詰まったりして、貧血や便秘などが起きており、さらにひどくなって行きそうなので、切った方が良いという話があり、是非手術してくれと言った」と親父は言う。癌とは言わないが、大体の病状は把握しているようだった。心臓や肺を鍛えるために吹いたり吸ったりするとボールがあがる器具を貰って試していた。

 手術は外科の管轄であり、そのための検査が今週あり、21日に最終的な打ち合わせをすることになった。当日は、中津川市にすんでいる次男と名古屋の三男とて立ち会って貰うことにした。特別何もなければ、手術日は、11月1日(月曜日)で、来週から外科の病棟に移動することになるそうだ。

 18日の夜は、ホテルの小料理屋で弟たちと夕食を食べながら、今後の予定を決めた。最終的には、手術が終わった段階でもう一度細部を詰めることにした。手術の前に、親父を昼間1日か2日家に連れて行き、家の整理をすることに決める。こちらのほうは、弟二人に任せた。こういうときは、埼玉に住んでいるのは不便だ。とりあえず、手術日の11月1日と11月15日に中津川に行き、一泊することを決める。後は、こまめに連絡を取り合うことにした。

 今朝は、名古屋に向かう前に、病院に寄り、親父を見舞う。親父の要望があったので、売店で新聞を買い、親父に渡す。眼鏡なしで新聞を読めるくらいだからかなり元気だ。補聴器の電池がなくなり使えないので、耳元で話さないとなかなか意思疎通が図れない。補聴器は、21日に弟が来るときに持ってくることになっている。1時間ほどいた。何となく寂しそうだったが、世話をする看護婦さんなどに東京にいる長男だと紹介してくれた。4人部屋だったが、患者さんと付き添いの人に挨拶してから、病院を出た。

 病院の正面玄関にあるバス停のほうに歩いていきながら、昔ここをひとりで歩いたときのことを思い出した。16年ほど前、母親が脳塞栓でこの病院に入院し、その見舞いに東京から駆けつけたことがあった。私が独身だった頃で、まだ元気だった母親が若い看護婦さんに、私を目の前にして、私の嫁さんにならないかどうか口説いたことがあった。その時の母親の声が、とてもリアルな感覚として甦ってきた。


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2004年酒蔵コンサート

2004-10-17 22:46:48 | 日記・エッセイ・コラム
 埼玉県日高市に、1844年(弘化元)創業の造り酒屋・長澤酒造がある。昔からの味を守る君が旗、高麗王、かわせみの里の各ブランドと季節の酒を販売している。今年は創業160周年である。元々は、新潟県が出自だという。160年の記念に屏風がつくられ、山頭火と良寛の詩が書かれていた。作者の又野龍也さんによれば、山頭火も良寛も新潟出身でしかも酒が好きだという。

 その長澤酒造では、毎年酒蔵コンサートがが開かれる。1989年から始まったというコンサートで、長澤酒造の酒蔵で行われていたが、最近は人数が多くなり、酒蔵の前の屋根のある広場で行われている。ジャズとクラシックが日を変えて行われる。私は、クラシックのほうに参加した。夕方6時開演で、途中30分の休憩があり、そのときたっぷり長澤酒造のお酒を味わうことができる。大体、9時ぐらいにコンサートは終わる。

 今日のプログラムは、「樹々と水と酒によせて」ということで、とても面白い演奏だった。曲目は、すべて川崎絵都夫さんの作曲で「木々の歌」「森の神」「せせらぎの詩」「歓びの樹」「酒林五重奏曲」であった。特に、「酒林五重奏曲」は10年前に創業150周年の時の記念の曲で、当時の社長・故長澤稔さんの「酒林 蔵を見つめて 旬を告ぐ」「五代目の 酒屋に生きて 寒造り」という二つの句に触発されて作られて曲だという。

 今野強さんの司会で始まったコンサートは、三味線・山崎千鶴子さん、琵琶・田原順子さん、箏・合田真貴子さん、尺八・林真山さん、ヴァイオリン・松本克巳さん、チェロ・江原望さんの演奏と樋口とし子さんの朗読で行われた。私は、尺八とヴァイオリンの掛け合いとハーモニーの良さに感動した。尺八がまるでフルートのように、ヴァイオリンと溶け合っていた。全体として、日本の自然を歌い上げる楽器の組み合わせとして、素晴らしいと思った。

 この長澤酒造の五代目の夫人が、私の知り合い上尾の友人のお姉さんだった。夫人は、また私の義理の母とも懇意の人で、今回のコンサートには、義理の母と二人参加した。上尾の友人は奥さんをつれてきていた。休憩時間に、友人とたっぷり「大吟醸」を味わった。彼の奥さんが団塊の世代で、私と同じ学年だったが、彼女が酒豪で、私や友人より酒に強うそうだった。それにしても、久しぶりに楽しいひとときを過ごせた。明日は、岐阜への出張で、夕方はそのまま中津川に行き、父を見舞いに行く予定だ。

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台風の被害は植木鉢ひとつ。

2004-10-10 10:24:43 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日は、台風で大変な一日になるかと思ったが、比較的穏やかな1日になった。金曜日から台風の影響で雨が続き、昨日は一日中雨だった。ところが、朝方家のすぐ近くを消防自動車が走っていく音で目が覚めた。我が家から100メートルくらいのところで火事があった。火事は、民家の2階の部屋を焼いた。ぼや程度で終わり良かったが、雨の日に火事ということもあるのだと変なところに感心した。

 子どもの意見も聞いて、市ヶ谷の囲碁教室に通うことを今日から止めることになった。すこし遠いし、子どもが塾に行くようになり、それが気に入ってらしいので、少し土曜日にゆとりを持たせたいということになる。私も土曜日に会社へ行くのとほぼ同じ時間に東京まで出かけるのは疲れる。私が都合が悪いと、妻が出かけるわけだが、それも疲れるらしい。その代わり、土曜日の午前中は私と2,3局対局することにする。また、近くで良い碁会所が見つかったらそこに通うことにするという約束をした。

 午前中、台風が静岡から関東地方に上陸するとニュースが流れ、台風の進路予想では埼玉県も暴風域に入りそうなので心配になった。それで、NHKテレビの台風のニュースをこまめにチェック。インターネットでもチェックしたが、インターネットの台風情報は少し遅れる。NHKニュースの場合、現在時点の台風の位置がわかるような図が出てきて、台風の向き、位置がとてもわかりやすい。また、実況のニュースで現在の状態もよくわかる。こういう点は、テレビにかなわないな思った。

 妻と子どもは、台風が来るまでに帰ってくることにして、早めに日高の実家に行った。1時半から、子どもの習字教室があった。私は、ひとりで読書。時々、激しい雨になったりしていた。そんな中、岐阜の友人から、また宿儺かぼちゃが届いた。前に送ってもらった宿儺かぼちゃについて、お礼の手紙を送ったのだが、そのとき、「普通のかぼちゃのあじだった」と書いたら、「そんなことはない、栗みたいにホクホクで、美味しいサツマイモみたいな味がするはずだ。それは、きっと時期が悪かったのだ。美味しそうなのが取れたらまた送る」という返事があった。今度のはきっと美味しいのだろう。

 夕方、妻と子どもが帰ってきてからのことである。多少風が出てきたかなと思っていたら、玄関の脇に鉢植えにして置いてあったコニファーが風で倒れ、鉢が割れてしまった。一番、風の心配のなさそうなところにおいてあったのだが、かなり背が高く伸びていて、不安定であったのかもしれない。結局これが、我が家の台風の唯一の被害になった。「鉢で良かったのよ。これで、パパが風に吹かれて倒れたりしたら大変なんだから」と妻は言っていたが、妻の気に入っていた植木鉢だったので、多少口惜しそうだった。夜のニュースで、台風が千葉市内を通り、三陸沖に抜けていきそうになっており、これでこの台風が逸れたことがわかって、安心した。


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