電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

『学力の新しいルール』

2005-10-10 21:49:03 | 子ども・教育
 広島県尾道市立土堂小学校校長の陰山英男さんのサイト『陰山学級物語』を見ていて、来春から立命館小学校の副校長になるという新聞記事を巡り、ちょっとしたフレームがあり、気になった。そこでは、陰山さんは、特別ないいわけはしていないし、言うべき時が来たら正式にお話ししますという答弁と近著『学力の新しいルール』(文藝春秋刊/2005.9.10)を読んで欲しいということが書かれていた。土堂小学校の父兄は、途中で投げ出すような行為はおかしいという意見だし、ほかの陰山支持者は、陰山さんは尾道市だけの存在ではないので、立命館大学へ移って全国の父兄や教師を相手にするのは、次の発展段階としては当然ではないかという意見が出ていた。私は、とりあえず上記の本を早速読んでみた。
 陰山さんによれば、現在の学力問題の要因は、1981年と1993年にあるという。この二つの時期は、色々な教育統計を見て陰山さんが発見したようであるが、1981年は子どもたちの体力テストの調査で体力が大きく下がり始めた年であり、1993年はもう一度大きく下がった年である。つまり、2段階で子どもたちの体力が落ちていったという。

 多少のタイムラグがありますが、1981年度にピークだった校内暴力の発生件数は、1986年に底を打つのですが、1993年くらいから再び急上昇していきます。
 50メートル走、ソフトボール投げ、不登校生徒の数の推移、校内暴力発生件数、四つのことなった事柄について調べたグラフが、傾向においてぴたりと一致しているのです。
 すなわち、1981年と1993年にがくんと体力が落ち、そして不登校と校内暴力が増加している。(『学力の新しいルール』・p26)


 それでは、最初の1981年に何が起きたかというと「子どもたちが眠らなくなった」ということだという。1981年というのは陰山さんが教師になった年であるそうだが、この辺りから子どもたちの生活を変える社会的な幾つかの変化があった。一つは、テレビが「一家に一台」から「一人に一台」になったこと。そして、二つめが82年に登場したファミコンである。そして、三つめが81年に増加のピークに達したコンビニエンスストア。この三つが、子どもを夜型に変え、次第に深夜遅くまで眠らなくなっていったという。つまり、早寝、早起きで、朝食をしっかり取り、適度に運動をする子どもの学力は次第に伸びて行くという統計があるのに、子どもたちは眠らなくなり、夜型になり、次第に体力まで落ちてきたという。これが、1981年から始まった社会的な変化だという。

 次の1993年ごろには何があったか。実は、1981年から始まった、学校の荒廃に対して、「画一的な管理教育」「詰め込み教育」が悪いという世論が起こり、そこで1992年に「新・学力観」が打ち出され、それにもとづいて新学習指導要領が施行されたのが1992年4月だった。この「新・学力観」は、1981年以降の社会構造の変化による子どもたちの知力・体力の衰えを、それまでの指導要領の詰め込み主義が原因だ都勘違いしたところに大きな問題があるという。

 「新・学力観」では、これまで日本の教育の水準を支えていた、小学校段階における読み・書き・計算の基礎の反復練習を、「新しい社会には役には立たないもの」としてばっさりと削り、「問題解決型」の授業をすることが奨励されました。
 これが今日の「総合学習」のもとになるもので、調査をして、まとめて、自ら意見を発表するということを子どもたちに求めていったのです。(同上・p59)

 「新・学力観」の結果、「個性の尊重」「考える力育成」という口当たりのいいキャッチフレーズのもと、基礎基本の反復練習・生活指導を軸としたそれまでの日本の教育の基盤が切り捨てられていったという。こうしたことから、陰山さんは、1981年問題の解決としての「学力の新しいルール」として生活習慣の改善を提案し、1993年問題の解決策として「基礎基本の反復練習をおろそかにしない」ということを提案しているわけだ。

 少なくとも、陰山さんは尾道市立土堂小学校でそれを実践して成果を上げていることは確かだ。土堂小学校では、いわゆる陰山メソッドとして有名な100ます計算ばかりではなく、漢字の前倒し学習、1年生からのそろばん、手書き入力によるコンピュータでの学習などに挑戦し、さらに生活習慣の改善をして、朝型に生活を切り換えさせている。土堂小学校を訪れた時、東北大学の川島隆太教授は「家族と対話しているとき、子どもの脳はもっとも活性化する」といったそうだ。

 さて、ほかにも幾つか面白い実践と提案をして、「学力の新しいルール」を提案しているが、私が気になったのは、「陰山先生は土堂小学校の校長をいつまで続けるのですか」という問いかけに対して次のように答えているところだ。

 これは、教育プランの実践が、私がいなくなることによって終了してしまうことを意味します。校長の個人的な指導力に頼った実践では、校長がいなくなれば実践は終了してしまいます。つまり、校長公募では、限界があるのです。私の在職が三年か、五年か、六年か。いずれにせよ、いずれ実践の継続の問題は発生します。
 それから、もう一つ問題があります。それはプランの立案者が校長では、確かに実践を具現化するには最高ですが、他の学校や地域の方々にこのプランを提供できないというデメリットがあるのです。(同上・p185)


 これに対する解決策として、「教育シンクタンクの設立」を提案している。教育シンクタンクは、一定の教育プランを作り、教材とともに学校や教育委員会に提案をする組織だ。「教育シンクタンクはカリキュラムと教材、そして現場の指導と、これらを一貫して責任を持つ組織であることが望ましい」という。これは、現場で実践をし、校長となり現場で指導してきた陰山さんの現段階の一つの結論かも知れない。そして、次のステップが、立命館大学の教授であり、立命館小学校の副校長ということかも知れない。もちろん、そうでないかも知れない。それは、いずれ、陰山さん本人の口から語られるだろうと思う。
コメント (2)
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