電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

「Chabo!第1回ファンの集い」

2008-12-07 21:16:48 | 生活・文化

 12月4日の夜7時から、「Chabo!第1回ファンの集い」が、かつしかシンフォニーヒルズ(モーツァルトホール)で開催された。当日は、約1000人ぐらいの人が参加したのではないかと思われる。「Chabo!」の発起人の勝間和代さんとJENの事務局長の木山啓子さんの二人の、「Chabo!」の活動紹介とJENの活動紹介から始まり、二つのパネルディスカッションが行われた。テーマは「Chabo! 著者が教える 夢を叶える私の方法 」で、第1部のパネリストは、久恒啓一さん、山田昌弘さん、竹川美奈子さん。そして、第2部のパネリストは、和田裕美さん、勝間和代さん、神田昌典さんだった。皆さん、若い人たちに人気の人たちばかりだ。

 このパネリストたちは、私より10歳から20歳以上若い人たちであり、彼らの多少恥ずかしそうに語る成功物語に私は多少戸惑いを感じながらも、時代の流れを思った。私たちが学生の頃にやっていたことは、学生運動などを通して、社会をどう変えていくかということだった。そして、当然のことながら、私たちは挫折した。もともと、組合運動や学生運動には限界があり、そこでどれだけ突っ張っていても、社会の多くの人たちは誰もついてきてくれない。しかし、今の若い人たちは少し違ってはいるが、社会を変えていこうという動きを始めているらしい。

 パネリストたちの成功物語は、それなりに面白い。彼らは、みな、自分たちが夢を持ち、そしてその夢を自分に言い聞かせることをしている中に、なぜかそれが実現できてしまったと語っていた。社会の中で成功するということは、おそらく偶然の要素が強いが、夢を実現をするということは夢を持つことからしか始まらない。そして、彼らは、それを実現してきたのである。その点だけは、確かである。ただ、夢の実現のためには、多分、方法や近道があるわけではなく、あるのはただ夢を持つということだけが正しいことなのだと思う。

 私は、パネリストたちの話を聞きながら、彼らが一様に、自分のためだけでなく人のためということを強調していたことを考えていた。彼らは、自分で、自分の夢を実現してきた。そして、その夢というのは、たとえば、勝間さんの夢が象徴しているように、20代で1000万円の収入を得ることというように、お金を稼ぐことである。彼らは、そういうことをさらりと言ってのける。問題は、そこからだ。お金を稼ぐためには、ただ自分のためだけのことを考えていてはだめだと主張していた。ある意味では、その主張がこのChaboのような活動に結びついたいるとも言える。

 今回のパネリストたちの仕事の共通性として、日常的な生活の仕方から、大企業の中での成功の仕方まで幅広いが、いずれも、現代をどう生きていったらよいかについて何らかのコミットメントをしているということだ。彼らがそこで成功できたのは、多分、コンサルタントの本質を把握していたからだと思われる。それは、自分のためではなく、「彼らのために考える」ということだ。つまり、人の役に立たない限り、コンサルタントの存在理由はないからだ。そして、彼らは、成功すればするほど、仕事が増えることはまた確かなことだ。

 彼らがやっていることは、とてもいいことではある。しかし、私が、危うさを感じるとしたら、Chaboの会員になって特定の本の印税の20%を寄付するというプログラムにある。それは、本は売れるものだという前提に立っている。確かに、彼らは、すでに2000万円ほど寄付したというのだから、本の売り上げ印税が1億ほどあったということである。彼らの今の勢いからいえば、ここ当分はまだ増え続けるだろうと思われる。しかし、いつかそれは頭打ちになるのではないだろうか。それとも、たくさんの人が会員になるから大丈夫なのだろうか。そんなことは、考えても仕方がないかもしれないが。もちろん、本の印税というシステムはいずれ変えれば済むことかもしれない。

 いずれにしても、私が勝間さんに感心するのは、まず、売れている人が協力すべきだという発想をしていることだ。要するに、もうけたら還元すべきだと彼女は言っている。そして、この発送は、サラリーマンの発想でないことだけは確かだ。これは、起業家の発想である。この発想は、勝間さんだけでなく、特に新しい事業をおこしている人たちの発想だ。起業家というのは、自分のためであると同時に、人のためになるということをやることが大切なのだ。ある意味では、とことん、人のためになるとはどういうことかを考えることが、起業家の資格であると勝間さんは言っているのだ。大前研一さんを目標に生きてきたという勝間さんの面目躍如たる姿が、私にはまぶしかった。

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