電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

学校教育制度は変わるか?

2004-09-04 16:17:57 | 子ども・教育
 1ヶ月ほど前のことになるが、河村文部科学相が、「義務教育の改革案」を発表した。その改革案は、8月11日から文科省のHPに掲載され、「意見募集」が行われている。この改革案については、朝日新聞の8月8日の記事が、詳しい。
……河村文部科学相は、50年以上続いてきた義務教育9年間の分割方法「6・3制」を市町村が独自に変更できるようにすることなどを盛り込んだ義務教育制度改革案をまとめた。国が制度を支える原則を変えないまま、地方ができるだけ自由に学校教育に取り組めるようにするのが目的。近く公表し、具体化を事務方に指示する。教員免許の「更新制」導入など、学校への信頼回復に向けた施策も盛り込んだ。
 いろいろ問題を含んだ改革案であるが、次の4つの柱で構成されている。
 1 義務教育制度の弾力化
 2 教員養成の大幅改革
 3 学校・教育委員会の改革
 4 国による義務教育保障機能の明確化

 このうち、1の「義務教育制度の弾力化」が、私たちに直接目に見える形で、学校教育制度の変化として現れそうなところだ。「義務教育制度の弾力化」については、先ほどの朝日新聞の記事では、次のように触れられている。
……しかし近年、不登校やいじめなどの問題行動が中学校に入ると急増することなどから「6・3制は現代の子どもの心や体の発達度に合っていない」といった声が出ている。学習指導要領にとらわれない教え方ができる研究開発学校制度などを利用して、広島県呉市や東京都品川区など一部で、9年間を前・中・後期の3段階に分ける「4・3・2制」や、2段階の長さを変える「5・4制」「4・5制」が試みられている。
 こうした状況を踏まえ、文科相案は「6・3制」を弾力化し、学校を設置する市町村が9年間の枠の中で自由に定められるようにすることを構想。小中一貫校を可能にするなど、より保護者や地域のニーズに応じた学校教育ができると見込んでいる。
 本当にそうなるだろうか。これから、ときどき、検証していきたいと思う。ところで、なぜ、学制発布記念日(8月2日)でもないのに、今日こんなことに触れたのか。妻に怒られそうだが、子供を連れて市ヶ谷の日本棋院にいき、子供が囲碁教室に行っている間に宮脇書店によったとき、読売新聞社会部著『教育再生』(中公新書)をまた買ってしまったのだ。この本は、今年の5月10日に発行されているが、私は3冊も買ってしまった。いずれも、読むつもりで本棚に入れ、そのままになっていたのだ。つまり、読んでいないのだ。これから、さらに買わないようにするには、読むことだし、買ったことを忘れないようにすることだ。そのために、学校についてすこし詳しく考えてみようと思ったわけだ。そして、「学制」について、すこしブラウジングしてみた。

 というわけで、簡単に、6・3制になるまでの日本の近代教育のおさらい。筑波大学付属図書館の「貴重書展示室常設展」の中の特別展:『幕末・明治の生活と教育』は、なかなか面白い。これは、平成8年10月のものだが、こうしてインターネットで普通に見られるのはありがたい。この中の出品目録に、「学制発布と明治初頭の教科書」というものがあり、その前書きに次のように、「学制発布」の説明がある。小学校の6年生の歴史の時間で習うはずだ。
……わが国における近代の学校教育制度は、明治5年8月の「学制」の発布に始まる。「学制」は明治政府が定めた学校制度や教員養成に関する基本的な規定である。初等教育については、国民のすべてが就学すべきことを定め、発布から数年間に全国で2万校以上の小学校が整備され、約40%の就学率が達成された。
 文部省では学制発布の翌9月に「小学教則」を交付し、小学校における具体的な教育内容を提示した。当時はまだ教科書の編纂事業が充分に進んでおらず、「小学教則」に示された小学校用の教科書は、民間の出版物が大半を占めた。しかしその内容は、それまで寺子屋で使われていた往来物を排し、福沢諭吉や箕作麟祥など、文明開化に指導的な役割を果たした啓蒙家の著書・訳書を採択するなど、合理主義的な思想に基づき教育の刷新を計ろうとする意欲的なものであった。
 また教育方法も改まり、寺子屋での個別教育に代わり、学年別の一斉教育が行われ、今日の授業スタイルが作られた。
 このときは、下等小学4年と上等小学4年の8年制であったようである。
……学制によって全国民の小学校就学が定められたが、発布当時はまだ教科書が整備されていなかったため、民間で出版された啓蒙書や翻訳書が各教科の教科書として用いられた。「小学教則」に示された標準教科書のなかから、主なものを以下に挙げる。なお、それぞれに等級と教科名を記したが、当時の小学は、下等小学(半年毎に下級の8級から上級の1級まで4年間)と上等小学(同4年間)の8年制であった。
 この後、1881年に初等科3年、中等科3年、高等科2年の3・3・2制に改革され、1886年には尋常小学校4年、高等小学校4年の4・4制になり、尋常小学校が義務化された。1907年に尋常小学校6年、高等小学校2年の6・2制となり、1914年に小学校が国民学校に改正された。小学校6年、中学校3年の6・3制の義務教育が導入されたのは、教育基本法ができ、新たに学校教育法が定められた1947年のことである。私が、生まれる1年前のことだ。ついでに、明治5年8月2日の太政官布告第二一四号の一部も掲載しておこう。
……人々自ら其身を立て其産を治め其業を昌(さかん)にして以て其生を遂(とげ)るゆえんのものは他なし身を修め智を開き才芸を長ずるによるなり - されば学問は身を立つるの財本というべきものにして、人たるもの誰か学ばずして可ならんや - 之に依て今般文部省において学制を定め追々教則をも改正し布告に及ぶべきにつき自今以後一般の人民必ず邑(むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す、人の父兄たるもの宜しく此意を体認し其愛育の情を厚くし其子弟をして必ず学に従事せしめざるべからざるものなり、高上の学に至っては其の人の材能に任かすといえども幼童の子弟は男女の別なく小学に従事せしめざるものは、其父兄の越度(おちど)たるべき事(以下略)
 これを読むと、なんだか、身につまされるような気がしないでもない。

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