電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

Web上の安全性ということ

2012-03-04 21:40:57 | デジタル・インターネット

 ある人にFacebookをやらないかと言ったら、情報が漏れそうで怖いと言う。それと同じような言い方を別の人からも聞いた。その人は、ケータイでは、迷惑メールを受け付けないように設定しているから大丈夫だと言っていた。多分、その人は迷惑メールを見ていないので、自分のところには来ていないのだと思っているらしい。私は、受け付けない設定にはしていない。どんなメールがくるのかは、本当はよく見ておくべきだ。勿論自信がない人は、受け付けない設定にしたほうが、安全かもしれないが。

 Facebookは、実名で登録することになっているのでそれが怖いらと思うらしい。そして、アメリカの一私企業がそうしたデータを管理しているというところがさらに怖いという。しかし、それが怖いなら、私たちは、銀行やNTT、ケータイ電話会社などにもっと詳細なデータを渡している。国には、更にもっといろいろなデータを渡している。多分、渡してはいけないデータをもっている人は、怖いのだろうと思う。しかし、実際のところ、Facebookの登録に必要なのは、自分の実名とメールアドレスだけだ。勿論、そこで書き込んだり、アップしたりしたデータは、Facebookに自由に使われるということは覚悟すべきだが。

 本当は、私たちが普段やっているケータイやネットでのメールのやりとりについては、そんなに気を付けていないことのほうが恐ろしいことである。多分、FacebookやGoogleの登録に恐れを抱くような人たちのほうが、最もだまされやすいのではないかと思う。セキュリティーというのは、秘密にしなければならないものが多ければ多いほど難しいのだ。だから、私は、自分のパソコンや、会社のパソコンより、GoogleやFacebookのシステムの方が、安全だと思う。ただ、Web上ではつい無防備になって、自分の秘密をさらすことは止めた方がよい。勿論、FacebookやGoogleの安全性というのは、相対的なものであり、絶対ではないことだけは確かである。

 最近、学校が安全のために、門を閉ざし、了解を得なければ入れなくなった。確かに、不審者は中に簡単には入れなくなった。しかし、本当の不審者対策としては不十分だと思う。父兄や教師や児童の犯罪はそれでは防げないのだし、彼らの関係者も防げない。それに、密室になった空間は、本当は怖い空間なのだ。そこで起こっていることが見えないからだ。もっと学校が地域に開かれていて、自由に出入りできたら、もっと犯罪が起きる危険は減るのではないかと私は思う。むしろ、そうした対策を講じなかったことの責任を回避するために、防備しているのかもしれない。

 オープンであることによって、身の危険を曝すことになる人と、逆に安全になる人とがいる。確かなことは、政治家は、前者であり、名もない庶民は後者だ。おそらく、中国や北朝鮮では、それは、はっきりしている。きっと、中国や北朝鮮のシステムとGoogleやFacebookのシステムとどちらが安全かと問われたら、はっきりしている。勿論、私たちは、サラリーマンであることが多いので、隠さなければならないことも多い。しかし、私たちは、情報がオープンになることによって、身の安全を確保できることもあるということは知っておいたほうがよいと思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 4年に1度の誕生日(2月29日) | トップ | 吉本隆明逝く »

コメントを投稿

デジタル・インターネット」カテゴリの最新記事