電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

碁盤と碁石と碁笥

2005-07-12 22:06:17 | デジタル・インターネット
 囲碁は論語などにも登場し、紀元前700年ごろの中国でたしなまれていたようだ。この辺の歴史については、日本棋院のHPの中の「囲碁の歴史」が参考になる。古来の中国では、「琴棋書画」を君子のたしなみとして、子供の頃からしっかり学ばせていたようだ。三国志演義のよれば、ケガをした関羽が、麻酔の代わりに、囲碁をしながら医者に毒矢の傷の手術をうけたという話があるが、関羽は武力に優れていただけでなく、君子のたしなみももっていたらしい。
 囲碁がいつの頃日本に伝わったかは不明であるが、遅くとも奈良時代にはかなり普及していたようだ。701年に定められた「大宝律令」の中の僧尼令に「スゴロクやバクチは禁止するが、碁琴は禁止しない」ということが決められているが、これによれば僧侶や尼の中にもかなり普及していたことが伺われる。碁琴の碁は、もちろん囲碁のことだが、平安時代になれば、源氏物語絵巻にも貴族の女性達が囲碁に興ずる場面が登場しいている。平安時代の貴族の女性達には囲碁の教養は必修科目であったようだ。

 ところで、囲碁をするためには、碁盤と碁石と碁笥が必要である。碁笥(ごけ)というのは、碁石を入れておく器のことである。碁盤は、桂(かつら)と榧(かや)が多く使われているが、榧の碁盤は最高級品となっている。値段の方も、榧の方が一桁高い。碁石は、古くは本物の白い石、黒い石が使われていたが、1700年頃、白石用に貝殻が使われるようになった。白石には日向産の蛤が最高級品とされているが、現在大部分がメキシコ産の蛤貝を使用している。碁石は、厚みがあり、純白で縞目の多いものほど高級品とされ、蛤のどこの部分からくり抜くかによって雪印・月印・実用品に分類されている。黒石のほうは、三重県熊野産の那智黒が最良とされている。碁笥の方は、いろいろで、桜があったり、栗があったり、かりんがあったりと様々で、木目の美しさを競っている。

 勿論、普及品としては、碁石はガラス製のものとプラスチック製のものがあり、碁笥もプラスチックのものがある。私たちが普通に囲碁をするときは、たいてい桂碁盤の足のない平碁盤で、碁石はガラスで、碁笥はプラスチックというのが多いようだ。現に我が家の囲碁セットもそうである。ガラスやプラスチック製のものは、加工が可能で、最近は目に優しいグリーン碁石というものまである。このグリーン碁石というのは作家の夏樹静子さんが考案したものだということを「カラフルな毎日」というブログを書いているりつさんに教えて頂いた。

 昔は、1日に10数局囲碁を打っても平気だったが、今はとてもそんなに打てない。義理の兄が初段くらいで、私と時々打つが、休みの日に酒を飲みながら打ってもせいぜい3局くらいで終わる。碁盤に向かってじっと集中して考えているのが疲れる原因だと思ったいたのだが、ひょっとしたら、黒石と白石のコントラストが疲れさせるかもしれない。ただ、いい碁盤と碁石があれば、とても目に優しいので、そんなに疲れないとも思われる。むしろ、インターネットの場合は、パソコン上のモニターで見るので、これは確実に疲れるように思われる。

 だいたい、一時間半くらいじっとパソコンのモニターを眺めているのはかなりの目の酷使のような気がする。これも一緒のテレビゲームと同じようなことになるのかもしれない。勿論、画面はただ単に碁盤のシミュレーションであり、そこにどんなバーチャルの世界も存在していないのであり、ただそこに手で打つのではなく、自動的に浮かび上がってくる相手の碁石が誰の意志によってそこにおかれたのがが不明だということだけがこちらを不安にさせるだけだ。

 いま、私は、囲碁のことばかりを書いたが、将棋も同じような問題をもっていると思う。私の将棋の腕前は囲碁よりだいぶ落ちるが、それなりにできることはできる。将棋は、囲碁と違って、日本独自のルールであり、囲碁ほど世界的でない。将棋に対してはチェスが対抗馬だが、こちらはコンピュータが名人と対戦するほど進歩している。将棋の方は、囲碁と同じで、まだまだプロには勝てないようだ。これは、囲碁も将棋も取られたところに打てたり、どこに打ってもよかったり、将棋の場合は取った駒を使えたりと、チェスとはかなり様相を異にしていて計算がとても難しいためである。チェスの場合は、最初の駒の配置からただ一定のルールで動くことにより王様を取るだけなので、その分計算が簡単(それでもIBMの超大型コンピュータで計算するのだが)らしい。

 そういう意味では、私より強い相手がコンピュータであることはあり得ないのであるが、理論的な問題とは別に、私の感性は相手がコンピュータであるかのような錯覚を覚えることになる。もっとも前にも述べたことであるが、それは私にそれだけの力量がないだけの話であり、いつか、私にもそうした高度な世界での人間らしさを感じることができるときがくることを願って、囲碁をもう少し勉強してみようと思うようになった。何となく向上心に目覚めたりしている今日このごろではある。
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