電脳くおりあ

Anyone can say anything about anything...by Tim Berners-Lee

ネットの可能性

2007-05-13 21:11:38 | デジタル・インターネット

 梅田望夫と茂木健一郎の『フューチャリスト宣言』(ちくま新書/2007.5.10)を読んだ。これほどインターネットの可能性に楽天的な文章を読んだのは初めてだ。確かに、タイトルがそうなのだから、インターネットの可能性を信じるしかないのだが。ただ、私も、彼らと同じように考えているところがあって、素直に納得しているところもある。Web2.0という言葉には色々な定義があるが、ある意味では、インターネットは紙以上の存在になってしまったということだ。もう既に、インターネットは、メディアでない。それは、一つの大きな共同の仮想空間だというべきだと思う。大前研一風に言えばそれは、新大陸だ。この本では、梅田望夫の発言のほうが面白かった。

 ヤフーやMSNのトップページは、まだ、何となく雑誌の表紙か目次のような印象を与える。しかし、グーグルのトップページは、まさしく、Web2.0に相応しく、グーグル的としか、言いようがない。このグーグルのトップページについて、梅田望夫は次のように語っている。

グーグルの画面というのは、深い思想に基づいています。そのときのユーザーが必要としている情報しか出さないということです。その人が必要としているときに必要としている情報を正しい場所に出す、という考え方が貫かれているわけです。つまりグーグルにポンと飛んできた人は、検索をしたいだけで広告を見たいわけじゃない。だからあそこには一切広告は出さない。デザインの美しさから画面を真っ白にしたいんじゃなくて、検索したくてグーグルに飛んできた人に広告を見せる気はないという意思表示なんです。(『フューチャリスト宣言』p23より)

ところで、グーグルは、広告収入で莫大な利益を上げている。言っていることとやっていることが矛盾しているようだが、その点について、梅田は次のように解説している。

グーグルという会社はいろんな意味で思想を先に作ります。「我々は邪悪なことはしない」とかね。そんな大げさなことを言うから「邪悪とはなんぞや」といろいろもめるんだけど、そういう思想の一つに、必要とされるところにのみ情報を置くんだというのがある。広告とは情報である、という思想なんです。検索した後に出てくる広告というのは、検索した言葉が既に入力された以上、その人にとって価値がある情報のはずだ、だからそこに出しているんだ、そういう論理です。その思想に合わないところの場所には、一切広告はださない。(同上p24より)

 何となく分かったような分からないような言い方だが、グーグルというものの存在の意義については、何となく分かる。今のところ、グーグルもユーチューブを買収して映像というものの意味を探っている状態だが、インターネットを流れるデジタルのテキストのレベルにおいては、世界と支配しつつあり、インターネットの世界に一つの革命をもたらしたことだけは確かのようだ。そして、それはマイクロソフトに対抗しうる企業が初めて現れたということでもある。グーグルのような企業は、どこかの会社に属していたらおそらく実現できないものである。

 勿論、ユーチューブのような企業を作ることでも、おそらく日本ではできないと思われる。日本の優良なデジタル企業で、ユーチューブのような発想をしたら、すべて潰されてしまうに違いない。それほど、日本の企業の場合は、お互いに依存しあっているところがある。それなら、企業に属さないで、こうした起業が可能だろうか? それは、今のところ分からない。一部、ITバブルの頃、渋谷の一角が日本のシリコンバレーと呼ばれたことがあったが、いつの間にか、損沿いそのものが忘れ去られようとしている。私には、携帯にうつつを抜かしている日本の国家戦略が間違っているような気がする。携帯の害というのは、本当は携帯がダークサイトとつながるからではない。

ネットの上で何かを中途半端に有料にして生計を立てようというのは、うまくいきません。パスワードが入って検索エンジンに引っかからなくなるから、ネットは絶対に有料にしちゃいけないんです。無料にしてそれで広告が入るかといったら、先進国でまともな生活ができるほどは普通は入らない。一方、リアルというのは不自由だからこそ、お金を使って自由を求めます。だから永久にリアルの世界でお金が圧倒的に回る。この二つの世界での生計の立て方とか、それから知的満足のしかたとか、いろいろ組み合わせて戦略的に考えていく必要があります。(同上p105・106より)

 私には、この梅田の言葉が、よく分かる。携帯サイトは、常にリアルを引きずっているのだ。リアルの中の便利さ、心地よさ、人間関係づくりに依存して存在しているのが、携帯サイトのあり方だ。だから、携帯電話でのビジネスは、インターネットに吸収されない限り、どうしても限界に突き当たる。残念ながら、今のところ、人がどれほど批判しいようが、検索エンジンによって検索されないサイトは、存在しないと同じであるのだ。おそらく、SNSの世界と携帯電話の世界は、かなり似ているように思われる。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ハナ(犬)がフィラリアに | トップ | アインシュタインでなくダー... »

コメントを投稿

デジタル・インターネット」カテゴリの最新記事