今市日記 ( 納豆有時心和 )

いまいちすっきりしない納豆関連情報をメインにして日々の状況を書いています。

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・寺内タケシとバニーズ「太陽野郎 」 (1967年)

2022年06月07日 | 我が懐かしの歌
今日は我が懐かしのフェイバリット・ソングです。
今日、たまたまBSの民放を見ていたらその番組のCMに寺内タケシの全集のCD販売のが出てきて、「そういえば・・・」と思いだした
のが今回のこの曲です。
寺内タケシとバニーズの「太陽野郎 」です。
寺内タケシさんはベートーベンの「交響曲第5番運命」などをエレキギタ-でカバ-して注目を浴びていましたが、若いころの私が一番印象
に残っているのはこの曲ですね。

寺内タケシとバニーズ 「太陽野郎 」(1967年)

> YouTube 寺内タケシとバニーズ 「太陽野郎 」

寺内タケシとバニーズ 「太陽野郎」(数十年後?)

> YouTube 寺内タケシとバニーズ 「太陽野郎 」(数十年後?)

尚、1967年発売当時のものは登録後即無効になりましたのでYouTubeからご確認ください。
また、寺内タケシさんのご冥福をお祈り致します。

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ピーター・ポール&マリー「虹と共に消えた恋」

2022年03月26日 | 我が懐かしの歌
今日も我が懐かしのフェイバリット・ソングです。
昨日、ピーター・ポール&マリー(PPM)の「悲惨な戦争(The Cruel War)」を紹介しましたが、ピーター・ポール&マリーというと、
私の中ではこの曲を抜きにしてピーター・ポール&マリーを語ることはできないmustな曲である「虹と共に消えた恋」を紹介させていた
だきます。
これも昨日の「悲惨な戦争(The Cruel War)」と同じく反戦歌ですが、この曲はメロディーに惚れて若かりし頃の私は好きになりました。

ピーター・ポール&マリー(PPM)/虹と共に消えた恋(Gone The Rainbow)

> YouTube ピーター・ポール&マリー(PPM) 虹と共に消えた恋

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ピーター・ポール&マリー -悲惨な戦争

2022年03月25日 | 我が懐かしの歌
今日は久し振りに我が懐かしのフェイバリット・ソングです。
曲はピーター・ポール&マリー(PPM)の「悲惨な戦争(The Cruel War)」で1960年代のいわゆる反戦歌ですね。
2月24日、ロシアがウクライナに侵攻して悲惨な戦争が始まりこの曲を思い出しました。
戦争に、悲惨でない戦争なんてないと思います。
従ってそういう意味ではごく普通のタイトルだとは思いますが・・・。

この曲が出た当時はベトナム戦争の真っ只中でした。
私の中ではもはやわずかな単語でしか記憶に残っていませんが、記憶にあるものを記してみます。
 フランス植民地 トンキン湾事件 
 北ベトナム ハノイ ホ-チミン
 南ベトナム サイゴン グエンカオキ 
 ベトコン 枯葉剤 シャム双生児 ベトちゃん・ドクちゃん

ピーター・ポール&マリー(PPM) -悲惨な戦争(The Cruel War)-

> YouTube ピーター・ポール&マリー(PPM) -悲惨な戦争(The Cruel War)

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・サザンオ-ルスタ-ズ「 わすれじのレイドバック」

2021年01月14日 | 我が懐かしの歌
突然ですが、今日は我が懐かしのフェイバリット・ソングです。
今回はサザンオ-ルスタ-ズの「 わすれじのレイドバック」、1980年の曲です、今からもう40年
以上前の歌になるんですね。
今回の絵はいささか不本意でありますが、これぞ、というのが見つからなかったので見切り発車でござい
ます。
中央下の小さな枠を見ていただければと思います。
歌詞だけ聞いていると、ちょっとやばげな部分もありますが、メロディー的には非常に優れたカントリ-
ポップ調の曲だと思います。

サザンオ-ルスタ-ズ「 わすれじのレイドバック」

YouTube サザンオ-ルスタ-ズ「 わすれじのレイドバック」

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・高石ともやとザ・ナターシャー・セブン 「近江の子守唄」

2020年12月15日 | 我が懐かしの歌
何か、久し振りの我が懐かしのフェイバリット・ソングです。
ネタもなくなったのでやめていましたが、くまさんというかたからのコメントをいただいて、何の脈絡もなく
若い頃聴いていた高石ともやとザ・ナターシャー・セブン の「近江の子守唄」という曲を思い出しました。
この曲を歌っているのはリ-ダ-の高石ともやではなく、メンバーの坂庭省悟のソロで2分足らずの短い曲で
すが沁みます。
また、滋賀県に昔から伝わる子守歌なのか、高石ともやとザ・ナターシャー・セブン のオリジナルなのかも
しりません。

高石ともやとザ・ナターシャー・セブン 近江の子守唄


YouTube 高石ともやとザ・ナターシャー・セブン 近江の子守唄

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・谷山浩子 「窓」 

2019年12月02日 | 我が懐かしの歌
谷山浩子さんといえば大石吾朗がパーソナリティを務めたラジオ番組、「コッキーポップ」でNSPなどと並んである
意味常連さんでした。
「コッキーポップ」は「ヤマハポピュラーソングコンテスト」(ポプコン)で入賞した曲を中心とした選曲で構成、私
の高校から大学時代にかけての放送ですごく新鮮に感じて毎日のように聴いていました。
この谷山浩子さんの「窓」も懐かしい曲です。

谷山浩子 「窓」 ♫


YouTube谷山浩子「窓」

我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・雨のバラード/湯原昌幸

2019年11月01日 | 我が懐かしの歌

この曲はもともとグループサウンズのスイングウエストのデビュ-曲だったと思うのですがメンバ―だった湯原昌幸がソロデビュ-

するにあたって選んだのもこの「雨のバラード」だったように私は記憶しています。

私は特に湯原昌幸が好きだったわけではなく、逆にどちらかと言うと嫌いなタイプだったような気がします。

ただ、妻と何十年か前に結婚して、おばあちゃん(妻の母親)からまれに湯原昌幸の名前が出てくることがありました。

おばあちゃんは今、90歳を越えていますが、矍鑠としていて認知症とは全く無縁で足も達者で元気にしています。

そのおばあちゃんは昔、東京の下町で小学校の教師をしていたそうです。

そしてその時の教え子にたまたま湯原昌幸がいたようです。

おばあちゃんは「湯原くん」と言っていますが、他の子と違っていたのは「その頃から髪の毛を7:3に分けていたね。」ということ

だけです。昔気質で多くを語りません。

雨のバラード/湯原昌幸 

YouTube 雨のバラード/湯原昌幸


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・下田逸郎「踊り子」

2019年10月01日 | 我が懐かしの歌

高校のころか大学の前半のころかはっきりとした記憶はありませんが、毎日夜の10時~11時の間くらいだったと

思うのですが、ラジオで下田逸郎がパ-ソナイティを務める短い番組をやっていました。

番組の名称も全く覚えていませんが、この番組のオ-プニングには必ずこの「踊り子」の前奏部分が流れてきてラジオ

からそれが聴こえてくると「わぁ、始まった」と慌てて聞き入ったのを思い出します。

オ-プニングが終わって、下田逸郎がボソボソと少し喋り、曲を1曲か2曲流して終わり、という感じでしたが何故

か毎日楽しみにしていました。

 

下田逸郎「踊り子」

YouTube 下田逸郎「踊り子」

追)投稿するなり削除されましたのでYouTubeでお聴きいただければ、と思います。


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・梢 みわ 「恋のバイカル」

2019年09月01日 | 我が懐かしの歌

バイカル湖は最大水深が1,634 - 1,741mと世界で最も深い湖だそうです。

そんな湖をテ―マにして1968年5月に発売されたのが梢 みわの「恋のバイカル」です。

そのころ聴いたときは斬新な曲だと思っていましたが今回改めて聴いてみると、すごく昭和感の強い、何か艶歌っぽい

曲でした。

でもこの歌はまぎれもなく私の青い春を飾る一曲であることに間違いありません。

梢 みわ 「恋のバイカル」 1968

YouTube 梢 みわ 「恋のバイカル」


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ノラ「懐かしのメロディー」

2019年08月01日 | 我が懐かしの歌

札幌で学生生活を送っていた1970年代前半、札幌駅前に東急百貨店ができてちょっとひやかしで行ってみたら

その屋上にたまたまノラというグル―プが来ていて数曲持ち歌をデモで歌ってくれました。

その中のひとつがこの「懐かしのメロディー」です。

4人グル―プですが全員神奈川大学の学生だと司会の方が紹介されていました。

ここで聴いて気に入ってすぐにレコ-ドを買いにいきましたがまさにこのジャケットでした。

「え?、神奈川大学ってどこにあるんだ?」って、ちょっと気になりましたがそのときはそのまま流してしまい、知

らないまま20数年が経過しました。

しかし何ということか次男が神奈川大学に入学して20数年振りに私の疑問は解決しました。

最寄駅は渋谷から出ている東急東横線の東白楽という駅でもうすぐ横浜という感じでした。

一度だけ行った記憶があります。

 

ノラ・懐かしのメロディー

YouTube ノラ・懐かしのメロディー


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ブルー・コメッツ 「むらさき日記」

2019年07月01日 | 我が懐かしの歌

今回はあのグル-プサンズ、ブルー・コメッツの「 むらさき日記」です。

まあ、当時のグル-プサウンズらしからぬ歌謡曲っぽいメロディ-ですね。

この曲は1970年9月というますから昭和45年の発売ということになりますが、発売当時には全く

知りませんでした。

グル-プサウンズのブ-ムが去ってから20~30年経って「懐かしのグル-プサウンズ」のようなカ

セットテ-プをたまたま見つけて買った中に入っていました。

尚、このユ-チュ-ブの画像は全く愛想がありません。

楽曲に集中していただけたら、と思います。

 

ブルー・コメッツ むらさき日記

YouTube ブルー・コメッツ むらさき日記


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ビリーバンバン ・さよならをするために

2019年06月01日 | 我が懐かしの歌

この曲は1972年に日本テレビで放映されたドラマ「3丁目4番地」の主題歌です。

浅丘ルリ子と原田芳雄が主演で石坂浩二も出ていました。

浅丘ルリ子、石坂浩二のご両人はこのドラマで、結ばれたのも有名な話です。

なお、この曲の作詞は石坂浩二でした。

作曲は坂田晃一、昭和に残る名曲だと私は思います。

ビリーバンバン / さよならをするために

YouTube さよならをするために


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・ダウンタウンブギウギバンド「愛しのティナ」

2019年04月01日 | 我が懐かしの歌

札幌で過ごした学生時代、仲間たちとたまに行ったスナックみたいな飲み屋。

スナックみたいなところでしたが、スナックより格は間違いなく下のお店でした。

店に入ったとたんに店員がテ-ブルチャ-ジを集金にきて、あとは通常の飲み屋さんと同じで飲み、食い

した分を払います。

でもト-タル的には安いお店でしたのでたまに行ってました。

我々が学生のころというのはまだカラオケなんていうのは本格的にでる前でしたのカラオケではありません

が、なんと言ったらいいのか、あえて言えば画像付きのジュ-クボックスとでもいうものがそのお店に

はありました。

その店の何カ所かにテレビが置いてあって、何か曲をリクエストすると、しばらくしてその曲のビデオが流れ

るという感じです。

そこにいくと仲間の誰とはなく、最初にリクエストしたのがこの曲でした。

ダウンタウンブギウギバンドの曲でしたが、ダウンタウンブギウギバンドらしからぬところがみんなお気に入

りのようでした。

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「愛しのティナ」 ( 1977年)

YouTube ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「愛しのティナ」

 


我が懐かしのフェイバリット・ソング・・・五木ひろし「愛しつづけるボレロ」

2019年03月01日 | 我が懐かしの歌
今日は五木ひろしの「愛しつづけるボレロ」です。1982年の発売です。

かつて「タイムショック」という1分間に12問答えるクイズ番組がありました。
今もたまにやっていますが、当時は毎週放送のレギュラ-番組で、確か俳優の田宮二郎が
司会をやっていたと思います。
さて、これを受けて、これもかつての話ですが、小説家の五木寛之さんが何かのト-ク番
組に出ていて「タイムショックの問題に五木寛之と五木ひろし、歌を歌えるのはどっち?」
というのが出たと言って怒っていたのを思い出します。
小説家の五木寛之さんだってうまい、へたは別として当然歌は歌えますからね。
多分答えは「両方」だったと思うのですが残念ながらこの時の放送を私は見ていませんで
した。

この「愛しつづけるボレロ」という曲も若い頃に結構思い入れがある歌でしたがそれを話す
と自慢話になってしまうので、今回はやめておきましょう。

五木ひろし 愛しつづけるボレロ  (1982)160302 vL HD

YouTube 五木ひろし「愛しつづけるボレロ」