月組my初日が(他の組の公演も)飛んでしまったので、映画見て「応天の門」買ってきました
落ち込んでる時にこんな暗そうな映画見るんかいって感じでしたけど
東映ムビステ第3弾で脚本が刀ステの末満さん、気になる役者さんが何人か出てたので。
日頃明るい話の方が好きと言いながら、末満さんの鬱展開は癖になるというか、不思議と嫌いじゃないんですよね何でだろう
以下、ネタバレ全開ですが、私の解釈は間違ってるんじゃないかという気がしてしょうがないです。
なにせ末満さんなので、騙されてるんじゃないかと疑ってます
記憶を失い襤褸を纏った男が次々と刺客に襲われながら、自分が何者で何故狙われるのかを捜す物語。
名無しと呼ばれるその男の過去が少しずつ明らかになっていく話なのですが。
事の発端は双子が生まれたこと。
跡継ぎ問題で争いが起きやすいので、海外でも双子の片方を養子に出したり捨てたりした歴史がありますよね。
縁起が悪いとか、けもの腹とか忌み嫌われて殺されることも
そんな殺されて埋められた子どもが息を吹き返し、通りかかったならず者に育てられて無法者に育っていく。
親の犠牲になった子どもという意味では「どろろ」の百鬼丸に似ています。
でも出会った人たちが違うんですよね。寿海さんや、どろろのような人たちに出会っていたらまた変わっていたかもしれない
旭太郎(くたろう)と名付けられた少年に、罪の意識はあまり無さそうでしたが、
罪を犯さずには生きられない自分の運命には常に絶望し、呪い続けていたように思います。
乱暴者で子どもに対しても容赦ない育ての親に対しても嫌悪感しかなく、仲間と共に襲って殺してしまう。
そして出来て間がなく、治安も良くなかった江戸に流れて、やりたい放題
彼らを討伐しようと組織された者たちの中に、自分と同じ顔の人間を見つけた時の驚き
「この世のどこかに、陽のあたる場所にいるもう一人のお前がいるのかもな。」
立派なお屋敷の道場主として、美しい妻と子どもたちと幸せに暮らすもう一人の自分。
どれほど妬ましく悔しかったか、そこにいるのは自分の方だったかもしれないんですから。
ぬくぬくといい暮らしをしてきた自分の片割れ対する憎しみと怒り。
とはいえ双子の兄弟は知らないことでしょうし罪は無いんですけどね
旭太郎がもし、真っ当な人間に育っていたら、偶然の出会いはもう少し幸せな出会いになったでしょうに。
双子の片割れ宇内陽之介を物陰から見つめ続ける旭太郎は何を考えていたのか。
陽之介に対する理不尽な復讐か、それとも入れ替わって「陽のあたる場所」で暮らしたいという欲望?
記憶を失くし大勢の追手を斬り伏せ、自分の過去を捜しながら、最後に対決する同じ顔をした二人。
生き残った方に向かって狂言作者が問いかける「で、あんた誰?」に対して、
微笑んだところで映画は終わっています。
素直に考えれば生き残ったのは旭太郎。
俺には笑い方がわからない、と言っていた旭太郎が初めて見せた笑顔だと。
でもその笑顔は嬉しそうでも幸せそうでも痛快そうでもないのは、
たとえ陽之介を殺しても自分は陽之介にはなれないと思い知ったからなのかもしれない。
ところが生き残ったのは本当に旭太郎?っていう疑念がわいてくるんですよね。どこかで入れ替わったんじゃないかと
崖から落ちて記憶を失くしたのは実は陽之介かもしれない。落ちたのではなく突き落とされたのかも。
そして断片的に記憶を取り戻し、自分は陽之介だと言っても誰も信じてくれない。
それは偽りの記憶、そう思い込んでるだけだと言われる。
妻子や友人の仇である旭太郎を討っても、幸せな時は永遠に戻らない。
あるいはお前は陽之介ではないと否定され続ける、絶望的な微笑?かもしれない。
ムビステの舞台の方は来月始まりますが、実は映画の前日譚なんですよね。
映画は無駄が無くてとってもシャープ。それだけで見事に完結していてそれ以上語ることあるの?っていう感じなんです。
だからこそ、何か仕掛けがあるんじゃないか、って疑ってしまう
生き残ったのが実は陽之介の方じゃないかと考えるのもそう。
映画では描かれてませんでしたが、陽之介にも裏の顔があって人格者じゃないのかもしれず、
妻子を殺したのも旭太郎に見せかけて陽之介なのかもしれない
舞台を観たら色んな謎が解けるかしらねというわけで気になるのでチケット取りました
観れるといいな