「人が宝塚に求めるものは何か」と言い換えることもできそうですが
大劇場組なので「エリザベート」は過去作品になりつつあります
この夏のエリザ狂騒曲はすごかったなぁ
贔屓組がこんな大騒ぎに巻き込まれるとは思わなかったですよ
何でみんなこんなに「エリザベート」が好きなんでしょうね
普段月組を観ない宝塚ファンも、宝塚を観ないミュージカルファンも、エリザは観る、って人は結構いますね。
宝塚は初めての人も凄く多くて、エリザは最早ベルばら並みに“ザ・宝塚”の看板なのかもしれません。
今回の公演で10回目を迎えた、月組「エリザベート」。
演目が発表になった時はでした
でもフタを開けてみると、意外にも月組らしく上手くまとまっていて、こんなエリザもアリだな、と思えました
ここのところ1年おきに3回演っているので、慣れたのかもしれません
どの組のエリザも完璧とは言い難いですしね。
過去を振り返っても、主要役に歌ウマが揃っていたのは、別格と言っていい一路さんの初演と、寿美礼様の花組だけだったのでは、と思います。
私が最初に劇場で観たのは再演の雪組エリザで、観る前に予習として花組と宙組の映像を見てから観劇しました。
でもハマったのは雪組のエリザだったんですよね。
生は強し、ってことでしょうか映像では空間や音の拡がりと奥行きを体感することはできませんから。
余談ですが子どもの頃ピアノを習ってたので、クラシック音楽が好きでした(大して詳しいわけではありませんけど)
ただスタジオ録音のピアノ曲のCDが苦手で、たとえ聴衆の咳払いなどの雑音が入っていても、ホールで録音したものの方が好きでした。
空間の狭さを音に感じて息苦しくなるんです自分でも不思議で人に話したことは無かったんですが、
ある時たまたま音楽関係の人に話したら、録音の音域とか周波数とかの調整をするからじゃないかと言われたことがあります。
昔の話なのでうろ覚えですがそのままの音じゃないからね、と。
話を戻すと、水さんと、あさこさん(瀬奈じゅん)のトートを観たあと、しばらくエリザの上演がありませんでした。
5年ぶりに、みりおちゃん(明日海りお)のお披露目に決まった時は私の中で、もの凄い葛藤がありまして
「お子ちゃまのトートなんかイヤだ~」と当時ブログで暴れてました
実際に観てみれば、“若っ”って思ったのはともかくあの美貌ですから
そして“歌手枠”というほどではなくとも、十分歌ウマでお芝居もいいので、最近の3回の中では一番歌が良かったイメージがありますね。
そして宙組。太陽のような、まあくん(朝夏まなと)がトートと危惧する声もありましたが、
目力あるし屈折した役も良かったので、心配はしてませんでした。
ただロングの黒髪ストレートは、ポスターや制作発表では素敵でしたが、実際に舞台に上がってみると照明が暗いので微妙で
まあくん丸顔なので、髪が闇に溶けると、暗い舞台上で白くて丸い顔が強調されてしまうという
歌は、みりおん(実咲凛音)のシシィがやはり出色の出来で、お芝居も素晴らしかったので、歴代の中でも上位に来そうでした
でも、みりおん以外では“歌手枠”に入るほどの人はいませんでしたし、そこまで歌ウマな人がいたわけでもないので、
お歌のレベルは今回の月組と、どっこいかなぁと思います
二つ前の記事でも触れていますが、超絶歌上手が揃ったミュージカルが観たいのなら、四季とか外の舞台を観た方がいいと思います。
宝塚が歌のレベルを上げることだけを追究していったら、逆に宝塚らしさが失われるのではないでしょうか。
宝塚には宝塚にしか無いものがあるからこそ、存在する意義があるんです
そうは言っても“歌劇団”ですから劇団が歌える生徒を上げていく方向に舵をきったのは当然の成り行きでしょうね
オールドファンの中にはビジュアルさえよければ、歌えなくても大根でもOKという層がいますが
もうそういう時代は終わったんだろうな、という気がしています。
変化するからこそ100年続いてきたわけですし、公演の質を上げなければ生き残れない時代になってきてるんだろうと思います。
それでもやはり“宝塚らしさ”は残してほしいですよね。美しくなければ夢は見られませんから
ベルばらと並ぶ宝塚の看板作品に成長した「エリザベート」ではありますが、
ベルばらのように「~編」というようなスピンオフを上演できるわけではなく、
細かなマイナーチェンジはあっても、公演毎に大きく脚本や演出を変えられるわけではなく、基本は全て同じです。
ほぼ毎回同じなのに、上演した組、キャストによって受ける印象がガラッと違うのが面白いなと思います。
そして組やキャストの持ち味によって、異なる「エリザベート」を構築してまとめていくイケコ氏の凄さを改めて感じます。
みりおくんのトートが決まった時は、これじゃない感がもの凄くて拒否しそうだったんですけどねぇ
これまでの全ての「エリザベート」を振り返ってみたら、どれ一つとして同じものは無いし、それでいいんじゃない、
って楽しめるようになりました
“初めて観たエリザがその人にとってのベストエリザになる”から解放されたのかもしれません
大劇場組なので「エリザベート」は過去作品になりつつあります
この夏のエリザ狂騒曲はすごかったなぁ
贔屓組がこんな大騒ぎに巻き込まれるとは思わなかったですよ
何でみんなこんなに「エリザベート」が好きなんでしょうね
普段月組を観ない宝塚ファンも、宝塚を観ないミュージカルファンも、エリザは観る、って人は結構いますね。
宝塚は初めての人も凄く多くて、エリザは最早ベルばら並みに“ザ・宝塚”の看板なのかもしれません。
今回の公演で10回目を迎えた、月組「エリザベート」。
演目が発表になった時はでした
でもフタを開けてみると、意外にも月組らしく上手くまとまっていて、こんなエリザもアリだな、と思えました
ここのところ1年おきに3回演っているので、慣れたのかもしれません
どの組のエリザも完璧とは言い難いですしね。
過去を振り返っても、主要役に歌ウマが揃っていたのは、別格と言っていい一路さんの初演と、寿美礼様の花組だけだったのでは、と思います。
私が最初に劇場で観たのは再演の雪組エリザで、観る前に予習として花組と宙組の映像を見てから観劇しました。
でもハマったのは雪組のエリザだったんですよね。
生は強し、ってことでしょうか映像では空間や音の拡がりと奥行きを体感することはできませんから。
余談ですが子どもの頃ピアノを習ってたので、クラシック音楽が好きでした(大して詳しいわけではありませんけど)
ただスタジオ録音のピアノ曲のCDが苦手で、たとえ聴衆の咳払いなどの雑音が入っていても、ホールで録音したものの方が好きでした。
空間の狭さを音に感じて息苦しくなるんです自分でも不思議で人に話したことは無かったんですが、
ある時たまたま音楽関係の人に話したら、録音の音域とか周波数とかの調整をするからじゃないかと言われたことがあります。
昔の話なのでうろ覚えですがそのままの音じゃないからね、と。
話を戻すと、水さんと、あさこさん(瀬奈じゅん)のトートを観たあと、しばらくエリザの上演がありませんでした。
5年ぶりに、みりおちゃん(明日海りお)のお披露目に決まった時は私の中で、もの凄い葛藤がありまして
「お子ちゃまのトートなんかイヤだ~」と当時ブログで暴れてました
実際に観てみれば、“若っ”って思ったのはともかくあの美貌ですから
そして“歌手枠”というほどではなくとも、十分歌ウマでお芝居もいいので、最近の3回の中では一番歌が良かったイメージがありますね。
そして宙組。太陽のような、まあくん(朝夏まなと)がトートと危惧する声もありましたが、
目力あるし屈折した役も良かったので、心配はしてませんでした。
ただロングの黒髪ストレートは、ポスターや制作発表では素敵でしたが、実際に舞台に上がってみると照明が暗いので微妙で
まあくん丸顔なので、髪が闇に溶けると、暗い舞台上で白くて丸い顔が強調されてしまうという
歌は、みりおん(実咲凛音)のシシィがやはり出色の出来で、お芝居も素晴らしかったので、歴代の中でも上位に来そうでした
でも、みりおん以外では“歌手枠”に入るほどの人はいませんでしたし、そこまで歌ウマな人がいたわけでもないので、
お歌のレベルは今回の月組と、どっこいかなぁと思います
二つ前の記事でも触れていますが、超絶歌上手が揃ったミュージカルが観たいのなら、四季とか外の舞台を観た方がいいと思います。
宝塚が歌のレベルを上げることだけを追究していったら、逆に宝塚らしさが失われるのではないでしょうか。
宝塚には宝塚にしか無いものがあるからこそ、存在する意義があるんです
そうは言っても“歌劇団”ですから劇団が歌える生徒を上げていく方向に舵をきったのは当然の成り行きでしょうね
オールドファンの中にはビジュアルさえよければ、歌えなくても大根でもOKという層がいますが
もうそういう時代は終わったんだろうな、という気がしています。
変化するからこそ100年続いてきたわけですし、公演の質を上げなければ生き残れない時代になってきてるんだろうと思います。
それでもやはり“宝塚らしさ”は残してほしいですよね。美しくなければ夢は見られませんから
ベルばらと並ぶ宝塚の看板作品に成長した「エリザベート」ではありますが、
ベルばらのように「~編」というようなスピンオフを上演できるわけではなく、
細かなマイナーチェンジはあっても、公演毎に大きく脚本や演出を変えられるわけではなく、基本は全て同じです。
ほぼ毎回同じなのに、上演した組、キャストによって受ける印象がガラッと違うのが面白いなと思います。
そして組やキャストの持ち味によって、異なる「エリザベート」を構築してまとめていくイケコ氏の凄さを改めて感じます。
みりおくんのトートが決まった時は、これじゃない感がもの凄くて拒否しそうだったんですけどねぇ
これまでの全ての「エリザベート」を振り返ってみたら、どれ一つとして同じものは無いし、それでいいんじゃない、
って楽しめるようになりました
“初めて観たエリザがその人にとってのベストエリザになる”から解放されたのかもしれません