「ガーンジー島の読書会の秘密」でも書きましたが、過酷な状況にある人々は精神の自由や安らぎを求めて、できるだけ人とつながろうとします。
人々と交流することで、かろうじて精神の安定を保つことができるからです。
人々の分断、孤独は人々を追い詰めていきます。
現在のコロナ禍は、第二次世界大戦中の窮状とは比ぶべくもありませんが、戦争とはまた少し違う意味で、人々を分断し孤立化させているような気がしてなりません。
そして、いつのまにかこうした状況に慣らされていく・・。
それこそが何より怖いことなんじゃないかしら。
コロナが終われば、また元に戻るさ。
と言う人たちもいますが、果たしてコロナが終わった後の世界はコロナの前の世界と同じだろうか。
私は同じではないだろうと思います。
なぜなら、すでに私たちは多くの奇妙な出来事にすっかり慣らされているからです。
今年の初めには想像もしなかった以下の出来事が今ではすっかり日常の光景になっています。
・常にマスクを着用する。
・スーパー等のレジ待ちでは、1メートル間隔のソーシャルディスタンスを保つ。
・レジや受付にはビニールシートが張ってある。
・飲食店でも、隣の席との間にビニールシートがある。そして、できるだけ会話は控えるようにと言われる。
・スーパーやデパートの入口には消毒薬が常備され、人々は店内に入る前に手を消毒しなければならない。
・ジムでは30分置きの換気と次亜塩素酸水の噴霧で室内消毒が行われ、スタッフは皆プラスティックのフェイスガードをつけている。
・電車の中ではだれもが無言で、マスクを着用し、万が一くしゃみでもしようものなら、周囲から恐ろしい目で睨まれる。
こうして、私たちの日常はあっという間に変わってしまいました。
不思議なのは、スーパーのレジ待ちではソーシャルディスタンスを保つべしと言われているのに、通勤電車はあいかわらず満員で、街では人々はマスクこそしているものの、けっこう密な状態でにぎわっていること。
一方で、誰もいない公園でもマスクを着用している人が多く、ジョギングする時もマスクを着用と言われているので、この暑い最中、熱中症が増えていること。
東京では新型コロナの新たな感染者が連日また100人を超えてきていて、再び自粛か、と危ぶまれていますが、
よくよく考えてみたら、インフルエンザの患者は毎年1千万人、死者は3千人を超えています(日本だけで)。
現在、世界では、新型コロナに感染した人は1千万人を超え、死者も50万人を超えてきています。アメリカでは一日の新規感染者が4万人を超えたようです。
こうした国々では、かなり神経質に予防措置をとる必要があるでしょうが、日本では100人台って、桁がずいぶん違うよね。インフルエンザに比べるとかなり少ないし。
それなのに、この慣らされようってどうなの?
人々が分断され孤立化し、もう元には戻らないかもしれないのに気づかないでいる。
日本人て本当に従順で、素直にお上に従い、互いに監視しあったりして(同調圧力も強いので)疑うということをしない民族なのだなあ、と思う今日この頃です。
「…お嬢さん。この娑婆には辛い事、悲しい事がたくさんある。だが忘れるこった。忘れて日が暮れりゃあ明日になる。…ああ、明日も天気か」
っていうのが日本人の心情だものねえ。
このままでいいのだろうか、関の弥太っぺ。