またまた台湾映画の超大作を見てしまいました。
「セデック・バレ」
第一部 太陽旗・第二部 虹の橋
(魏徳聖ウェイ・ダーシェン監督 2011年)
ウェイ・ダーシェン監督は「KANO1931海の向こうの甲子園」の脚本家でもあります。
第一部、第二部合わせて4時間半という長編にも関わらず、一気に見てしまいました。
なにしろ映画製作にかける情熱がビンビン伝わってきて、観る者を釘付けにしてしまうからです。
嘉義農林が甲子園に出場したのが1931年、ほぼ同時期の1930年に台湾で起きた霧社事件という抗日蜂起事件を題材にした一大スペクタクルです。
私はこの事件自体知らなかったので、とても勉強になりました。
日本人なら見ておくべき映画です。
日清戦争が終わり、台湾が日本に割譲された1985年から1945年までの50年間、台湾は日本の統治下にありました。
当時はまだ、大陸からやってきた漢民族より土着の原住民の方が多かった時代で、特に山岳地方には高砂族と後に呼ばれるようになる蕃人たちの部族が群雄割拠していました。(追記・訂正参照)
彼らは自分たちの狩場を守ることこそが、先祖から伝わる「掟(ガヤ)」であると信じていました。
対立する部族や侵入者を容赦なく切り捨て、頭部を持ち帰ることで、一人前の男であると認められ、顔に入れ墨を施されます。いわゆる首狩り族ですね。
首狩りは、先祖から言い伝えられてきた習わしであり、彼らの掟であり、宗教儀式でもあります。そして、伝説と共に子どもたちに受け継がれていきます。
彼らの生活様式は(首狩りは別として)アメリカインディアンやNZのマオリ、オーストラリアのアボリジニ、日本のアイヌに通じるところがあります。自然の中で自然と共存しつつ、自分たちが必要とする分だけ狩りをする、そういう生活をしている人たちです。
中でもセデック族のモーナ・ルダオは部族の頭でありヒーローでありました。
ストーリーはこのモーナ・ルダオを中心にセデック族の人たちの暮らしぶりが日本の統治下で変化していき、その結果、彼らがついに日本人の圧政に耐えかねて蜂起せざるをえないところまで追い込まれていく、その様子を描いています。
第一部は、モーナたち蕃族(とかつて日本人が呼んでいた高砂族)の部族抗争の時代から、日本が「文明」を持ち込み、彼らの狩場を占拠して彼らを奴隷のように扱うようになった時代へ、そして、ついに、モーナたちが蜂起するまでを描きます。
ここで描かれる日本人は、「KANO」で描かれた近藤監督のような心の広い人たちではなく、傲慢で狭量であからさまに蕃人を蔑み、力で抑えつけようとする人たちでした。
この後、太平洋戦争に突き進む中で、こうした傲慢で卑劣な将校たちが多数輩出し、相手国のみならず日本人兵士をも虐待するということが頻発していきます。戦争というのは人間の最も卑しむべき部分を増大させるようです。
モーナは対立していた部族に団結しようと呼びかけますが、集まったのは6部族300人のみ。なぜ勝ち目のない戦いをするのかと問う者もいました。
「死んで何が得られる?」と問われてモーナは答えます。
「セデックの誇りだ!」
「文明が我々に屈服を強いるなら、俺たちは蛮族の誇りを見せてやる」
そしてついに、彼らは日本人の運動会に乗じて、日本人を悉く惨殺し斬首する「血の儀式」を決行するのです。
第二部は、この霧社事件の後の日本の反撃を描きます。日本は彼らに毒ガス攻撃をし、空から爆弾を落とし、彼らを山の中に追い詰めていきます。そして、彼らは女子どもと一緒に自害していく、そうした様子が描かれます。
悲劇に終わりますが、彼ら自身は掟に従い誇り高く生きたので、言い伝えにあるように虹の橋を渡り、先祖に温かく迎えられる、という結末。
第一部で、モーナが川辺で亡き父の霊に会い、共に歌うシーンはとても美しいです。
世界じゅうで、今、文明が岐路に立たされている気がします。
物質文明は結局のところ、人を幸せにはしないし、小さなウイルスで滅んでしまう脆弱な人間を作っただけかもしれない、とも思います。
モーナ・ルダオの精悍な顔つき、山岳地帯を駆け巡って狩りをして暮らしてきた彼らの身体能力の高さは、文明人には遠く及ばないものです。
でも、たった一つの爆弾で、その彼らを殲滅させることはできる。それが文明というものの正体なのかもしれません。首狩りと爆弾、どっちが野蛮だろう。
かなり血生臭く骨太でグイグイ迫ってくる映画なので、心して挑戦してみてくださいまし。
見ごたえあるよ。
(追記・訂正)
台湾では18世紀から19世紀にかけて大陸から移住してきた漢民族が増えていったそうです。なので「大陸からやってきた漢民族より土着の原住民の方が多かった」という記述は不確かです。また原住民の部族は高砂族の他にも多数あったそうです)