考えてみると、私は「専業主婦」というものを一度もやったことがありません。
自分の食い扶持は自分で稼ぐ、というのが人間としての基本だと思っていて、結婚していた間もずっとフルタイムで働いていたからです。
(単に良い夫に恵まれなかっただけとも言えるが)
とはいえ、一時期は「専業主婦」に憧れました。
いいなあ、一日中家にいて家事だけしていればいいなんて、天国じゃないの、
と思っていた。
ところが、「専業主婦はそんなに楽な仕事じゃない!」と専業主婦をやっている友人たちから反撃を食らったのでした。
たしかに専業主婦は「主婦」という仕事を「専業」しているけれど、その割に収入は高くない。誰かの計算によると、専業主婦は月30万円もらってもおかしくないという。
でも、奥さんに毎月30万円払う夫なんていませんよね。それどころか、
「誰に食わしてもらってると思ってるんだ!」などと威張り散らされ、まるで奴隷のように扱われている専業主婦たちも多くいるようです。
(中には夫を上手にコントロールしている妻たちもいるようですが・・)
まあ、それはともかく、
専業主婦の友人たちは、長年の苦労の末、私なんかに比べると圧倒的に家事が得意で上手です。隙間時間を上手に活用する術も心得ている。
料理もうまいし家の中も片付いていて、その上で趣味に時間を費やしたり、ボランティア活動をしたりしていて、人生を丁寧に生きているなあと思います。
それに比べて私は「丁寧さ」からは程遠いところで生きてきたのだなあ、と片付けを始めてからつくづく思うようになりました。
何しろ、とりあえず子どもらに飯を喰わせ、とりあえずゴミだらけなのでそこいらを片付け、とりあえず服はお古で間に合わせ、とりあえず使える食器があればよく(欠けていても気にしない)、とりあえず夏休みには子どもらを映画館に連れていく(映画が一番安いので)・・
というふうに、とりあえず生きてきたきた気がします。
私の人生というのは、「とりあえずビール!」みたいな「とりあえず」の人生だったのだなあ・・
とりあえず生きてりゃいいか・・みたいな。
私の優先順位の中に「快適さ」や「丁寧な暮らし」あるいは「将来の展望」だの「生活設計」だのといったコンセプトはほぼ皆無だった。
で、気がついたら、家の中は不用品であふれかえり、トイレも風呂場も埃だらけのカビだらけ。台所のシンクは水垢で汚れ、そこいらじゅうに汚れがこびりついて最早除去できない分厚い層を形成している・・ということに、ようやく気づいたわけです。
私の優先順位はといえば、とりあえず金を稼ぐ、そのためにとりあえず必要なスキルを身につける、日本語教師や英語、レイキやカウンセリングなど将来役にたちそうなことをやる。とりあえず本を読む、とりあえず映画は見ておく。とりあえず、とりあえず・・
という風にどこか追い立てられるようにして生きてきた気がします。
結局のところ、それは、家族を優先させるのではなく、私自身を優先する生き方だったんじゃないの?
で、それって男の生き方だよね。
俺は一家の主だ!と威張ってる男の生き方そのもの。
ああ、なんてことだろう。
家族のために一生懸命働いてきたつもりが、実は自分のエゴのために生きてきたんじゃないの・・
ああ、本当になんてことだろう。
でも、幸いなことに、我家の子どもたちは、そんな私に文句も言わず(多少は言うけど)、しっかりと自立して自分の人生を歩みだしているので、これはもう子どもたちに感謝しかない、と心からそう思っています。
散々批判してきた男たちの生き方をまさか自分がしていようとは、ああ、夢にも思わなかった。
でも、いくつになっても気づいたときに改めればいい、と言い訳したい気もします。
結局のところ、これしか生きられなかったのだから、一番自分らしい道を歩んでいるのかもしれない・・
まあ、そう思うことにしよう。
まだまだ新たな気づきがあるかもしれません。
かくのごとく、お片付けってけっこう怖いことでもあります。
心してかからねば。