前回、「一汁一菜でよいという提案」土井善晴著
について書きました。
この本には、更にこういう記述もあって驚きました。
「慎ましい暮らしは大事の備え」
日々の暮らしというのは、毎日同じことの繰り返しだからこそ、気づくことがたくさんある・・
喜びとなる気づきもありますが、他から紛れ込んできたものに気づくこともできる、というのです。
「大事が起こる前の小さな気配を見逃さない」ようになるというのです。
「千と千尋の神隠し」で湯婆婆が、
「ん?なんだろうね。なんか来たね。雨に紛れてろくでもないものが紛れ込んだかな?」
とカオナシが入り込んできたことを察知するシーンがありますが、あの感覚ですね。
湯婆婆は魔女なので感覚が鋭いのですが、実は私たちの誰もがこうした直観を持っているのだと思います。
それがメディアなどの強い刺激により、日常の小さな変化に気づかないほど鈍化している。
鈍化した感性を取り戻すには、まず日常を淡々と暮らすこと、同じことの繰り返しを丁寧に続けることが大事だと土井善晴氏はいいます。
自分自身を大切にしたいと思うなら、丁寧に生きることだといいます。
これって、「波動」を上げることに通じるのではないかと思いました。
恐れや不安、物欲や刺激に満ちたものは波動が低く、穏やかでリラックスした時に波動が上がる。
波動を上げることにより「引き寄せの法則」の効果が上がる、というあの「波動」です。
人間の身体もモノもすべては素粒子で出来ていて、素粒子は常に振動しています。
波動が低い状態というのは、この素粒子の振動数が低く、波動が高い状態というのは、振動数が高い状態だそうです。
そして、互いに同じ振動数を持つもの同士が引き寄せあうので、振動数を高く保つ(波動を上げる)と振動数の高いものが引き寄せられる、そういう仕組みになっているそうです。
「類は友を呼ぶ」という現象もこれですね。
すべての人やモノはこの波動(素粒子の振動数)で繋がっているからこそ、リラックスした心地よい状態でいるとき、日常の中の小さな変化にも気づくことができる、というわけ。
大地震や災害、あるいは大病の前触れに気づくばかりでなく、
日常のちょっとした変化に気づくことができれば、
私たちの暮らしはもっと豊かで楽しいものになるのではないか。
とりあえず、テレビを消してみよう、と思っています。
入院中はほとんどテレビを見ずに過ごしたので(たまに見たけど)、あのベッド上で日がな一日過ごした時間というのは実に貴重な時間だったのだ、と今更ながらに思っています。
たまに入院するのも悪くない、と入院生活を振り返っては思います。
また一カ月入院するのはちょっと嫌だけどね。