去年は「ミニマリストをめざそう!」で片付けにハマり、今年になって「一汁一菜」に目覚めた、というわけなんですが、
それって言ってみれば、衣・食・住をあらためて考え直そうとしている、といえばいいか。つまりは、
人間の暮らしの基本ですね。
70年以上も生きてきて、基本中の基本についてきちんと考えていなかった、というのはどうにも迂闊です。
でも、考えようによっては、長年生きてきたからこそ、大事なものが見えてきた、ということなのかもしれない。
ものは言いよう。
というわけで、あらためて自分の暮らしを見直しているところです。
身の回りにあるモノはもちろん、食についても、日々の行動についても、人間関係についても。
いろんなモノやコトで私の暮らしは成り立っているんだなあ・・。
中には簡単には解決できそうもない問題もあります。
が、もしも、あと100年生きられるとして、100年後に振り返ってみた時に、
これらの問題は、とっくに問題ではなくなっているはずです。
解決したのか忘れたのかあるいは放っておいたらいつのまにか消えたのか、わからないけど、時間がたてば問題は必ずや消えていく、はず。
今の痛みは今だからこそ。
今の苦しみも今だからこそ。
だから、それらがあるうちに十分味わっておくことが大事なのではないか、
とまあ、そんなことを思うに至っております。
どんな痛みも生きていればこそ、です。
5年ほど前にかさこ塾というフリーランスの人たちの塾に参加したことがありまして、たった一カ月でしたが、けっこう楽しくてね。毎回宿題が出て大変だったのですが、終わったときの達成感は忘れられません。私は最年長だったので、けっこうきつかった(他は皆40代とか50代・・)。
そのかさこ塾で最初の日に、イメージトレーニングをしました。
あと100年生きられるとしたら、何をしたいか、宝くじで1億円当たったら何に使うか、余命半年と宣言されたら何をするか・・などをその場で紙に書くのです。
その時に、そうか、あと100年生きられるとしたら、今の悩みって本当にちっぽけなんだなあと思ったのでした。
残念ながら、かさこ塾の塾生としては、大した成果を挙げることもなく現在に至っていますが、ブログだけは細々と続けています(かさこ塾では毎日ブログを書くのが必須課題でした)。
で、100年問題に戻りますが、
もしも私たちの寿命がもっと長かったなら、成し遂げられることも多いはず。
でも、気が付いた時にはすでに寿命が尽きかけている、というのが人間なのかもしれない。
そして、それは本来そういうもので、最後の最後に気づけばいいだけなのかもしれない。
ああ、あの時ああしていれば、こうしていれば、と後悔が押し寄せたとしても、それもまた人生で、
それがいいとか悪いとか誰も判断できないと思うのです。
後悔もまた味わいの一つと思えば、すべてはあるがままにあって、それを受け入れるかどうかが問われているのでしょう。
でもまあ、幸いなことに、今のところ、慙愧に堪えないといった経験はあまりないので(後悔は多々あるけど)、幸せな人生を送ってきたと思っています。
まだ少し残り時間があるので日々悪戦苦闘の連続ではありますが、
ともかく、衣食住という一番身近なところから、もう一度見直してみようと考えている今日この頃の、
雑感でした。