先日、退院後3カ月の外来診察がありました。
骨はほぼくっついてきたのですが、やはり親指と人差し指が少し曲がり始め、中指の骨が足裏に少し出てきて、ここが裸足になると当たって痛いのです。
(手術三か月後の右足。テーピングは常時している)
先生曰く、親指と人差し指の骨を短くしたので、中指の骨が足裏に少し出てきたのだとか。
「中指ももう少し短くしましょうか。親指のボルトを抜くときについでに手術しましょう。一週間くらいの入院でできますから。なんならついでに左足の手術もしちゃいますか?」
外科医って人の足切るのが好きなのか?
ってちょっと思った。
一週間の入院でもけっこうきついのに、まして左足も同時となると、一カ月の入院は避けられない。さらに、回復までに三か月かかるとなると、来年の秋まで旅行には行けなくなる・・
「考えておきます」と返事をすると、
「じゃあ、また次回の様子を見てから決めましょう」
ということで、次回2月の診察予約を取ったのですが、
いやはや、病院もコロナで患者が減ったので患者獲得にやっきになってるのか、なんて邪推してしまいました。
とはいえ、下北沢病院て私はけっこう好きです。担当の先生たちも好きです。
何かいいのよねえ。
古巣に戻ったような、何ともいえない気分になるのですよ。
入院中は決して快適とはいえなかったのですが、看護師さんたちに見守られ、三食昼寝付きで小さな窓のある病室で自分の身体の痛み以外のことを考える必要はなく、ただひたすら退院の日を待ちわびていた・・
あの一カ月は、思い返すたびに、そう悪くない経験だった気がしてくるのです。
もう一回くらいなら行ってもいいかも、
なんて思い始めるところがヤバい、と思っています。
患者になる、ということは、健常者との間の一線を超えて病気の世界の住人になることで、
そのおかげで一定期間のあいだ、娑婆の喧騒から逃れる免罪符がもらえる、ということでもあるのです。
もちろん、引き換えに自由を失い、社会から隔絶され、病院のルールを守らねばならず、チョコもアイスもビールもワインもご法度で、外の世界と接触することもかなわない。
いわば囚人なのですが、
この囚人には、医師や看護師、理学療法士という看守がいて、脱走しないよう見張られながら、同時に守ってもらえる、という大きなアドバンテージがあるのです。
これまでずっと誰かを守らねばならない立場にいて、誰かに守ってもらったり世話してもらったことのない、特に専業主婦たちにとっては、これは大きなアドバンテージでもあるのですね。
私もまた、あの狭い空間に閉じ込められるのはもう嫌だと思うと同時に、もう一回くらいならやってもいいかも、
と思ったりするのも、そういう訳なのでしょう。
でも、守ってもらえるのは特定の病気に関してだけであって、そのせいで足腰が弱くなっても体力が落ち頭がボケてきても、当方は責任は負いませんということなのだけどね。
どっちを取るか、足裏の骨の痛みを取るか、とりあえず歩ける間はこのままでもいいとするか、
思案のしどころです。
数か月したらまた状況が変わるかもしれないしね。
それまでは、自分でしっかりリハビリすることが必要なようです。
同時に、体力の回復も必要なのでそろそろジム通いを復活させようかと思っています。
確実に言えるのは、右足に関しては手術前より格段に良くなったこと。
病院で作ったインソールを靴に装着すると、痛みを全く感じることなく1時間くらいなら歩けるようになりました。インソールの威力は凄い。
購入後一年半が過ぎたら、保険でまた新しいインソールが作れるそうです。外の靴用と室内履き用にもう一足作ろうかと思っています(一足47700円もするので保険適用されないと無理)。
足指の感覚も戻ってきていて、日に日に回復しているのを実感しています。
だからね、来年こそは旅行に行くつもり。
手術なんてしてらんないよ。