去年のちょうど今頃(12月18日)、
「ずっとやりたかったことを、やりなさい」(ジュリア・キャメロン著 サンマーク出版)
という本を紹介しました。
それからしばらくの間、
モーニングページやらアーティストデートやらを実践しました。
アーティストデートは、「散歩日和」というテーマで、ここでも何回か取り上げました。
結果、歩きすぎて外反母趾が悪化し、今年の手術に至った、
(重症の外反母趾なので長時間歩くと悪化することを最近になって知った)
という訳で、考えてみるとアホな話ですが、
あれはあれで楽しかった。
私には何でもすぐ試してみたがる癖があり、しかもやり過ぎてしまう傾向があって、
それが裏目に出ることが少なくない。
自分の状態を把握する前に飛びつく、という悪い癖です。
健康体じゃない、というところがすっぽ抜けていたわけです。
痛みがないのも、歩けるのも、強い薬を大量に使用し、足裏の魚の目を削りながら、何とかだましだまし体を使っていたからだ、ということをすっかり忘れていたのですね。
自分の身体を大事にしてこなかったツケがまわってきたというわけ。
それを今回思い知らされました。
自分の身体を自分で管理しないでどうする。
でも、慎重になりすぎても人生つまらない。
せっかく地球に生まれてきたのだから、やっぱり冒険しないとね、となって、
つい、面白い方、楽しい方に走ってしまう癖はどうにもならない。
入院生活を経験したので、少しは自重するようになったのですが、
これって、どうやら、左脳の言語脳でモノを考える癖がついているせいかもしれません。
5月20日の記事に書いた、ジル・ボルト・テイラーの本、
「奇跡の脳/脳科学者の脳が壊れたとき」
にもありますが、おしゃべりな左脳が壊れたとき、隠れていた右脳が働きだし、まるでニルヴァーナにいるような恍惚感を覚えたとあります。
私たちの存在というのは、自分で自覚しているよりはるかに大きなもので、
大きな可能性を秘めていることがわかります。
なので、自分の身体に気をつけるのはもちろん大事ですが、
それで制限を設けてしまうと、やはり行動が限られてくる。
悩ましいところです。
これからはどんどん体力が衰え、行動範囲も狭まっていくことでしょうが、
どうすれば、この制限だらけの肉体をもう少し自由に使えるようになるのか、
考えているところです。
そうね、まずは、お掃除から始めようかしら。