ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

映画に登場するアスペルガー症候群について少し・・

2019-02-14 11:39:28 | 心理学

(これは2017年9月8日の記事です)

前回お話した通り、現在カウンセラーの通信教育受講中です。すでに2回目の添削問題を送ったところです。

で、気づいたのは、やはりこれは初歩の初歩であるということ。実際にカウンセラーとして活躍するためにはさらなる上級の資格が必要(というか取ったほうがよい)で、そのためにまた新しい科目を受講しなくてはいけないようです。

なるほどね、どおりで安いと思った。

とはいえ、結構楽しいです。

すでに最初のクライエント(?)が来てます。友人ですが。
もちろんまだインターンにもなっていないので実際にカウンセリングをした訳ではありません。でも、意外とみなさん心理学及び精神医学系の知識を持ち合わせていないようで、私程度の知識でも役に立つと言われました。

例えば、アスペルガー症候群。

かの「シャーロック」「イミテーション・ゲーム」のアラン・チューリングもアスペルガーだったのではと言われていますが、意外にみなさん知らないようです。



アスペルガー症候群の人たちの特徴としてよく挙げられるのが、コミュニケーションが苦手で、言葉の微妙なニュアンスを理解することが出来ず、額面通りに受け取るので誤解が生じやすい。また自分の行為を相手がどう受け取るかわからず、場の空気も読めない。共感力が乏しくユーモアや冗談を理解できない。音や光など五感が敏感で、時に過敏であるなど。
(なお、 アスペルガーは病気ではなく、自閉症の一種(広汎性発達障害とも呼ばれる)です)

一方で、ずば抜けた集中力を有し、世の中を変えるような偉大な仕事を成し遂げた人たちもいます。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、あるいはジョージ・ルーカスやアインシュタインなどもアスペルガーだったのではないか、と言われています。

「シャーロック」に関していえば、シーズン2の第二話「バスカヴィルの犬」に、シャーロックはアスペルガーだからね、とジョンが言及している場面がありますね。自分では「サイコパスではない、ハイファンクショニング・ソシオパス」だと言っていますが。シャーロックはやはりアスペルガーでしょう。

映画に登場するアスペルガー症候群の人たちは皆とてもユニークで素敵です。例えば「ドラゴンタトゥーの女」に登場するリスベット・サランデル。彼女はコンピュータに関してはずば抜けた才能を持ちつつも、対人関係が苦手で、ミカエルに恋心を抱きながら結局打ち明けることすらできずに失恋する。このリスベットが私は大好きです。(写真はハリウッド版ではなく、スウェーデン版。原作「ミレニアム」はもっと面白い)


「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の主人公オスカー少年は音に敏感で、常に周囲の音を打ち消すタンバリンを持ち歩き、時に耐えられなくなるとパニックを起こしたりします。

「レインマン」に登場するレイモンドはサヴァン症候群だとされています。サヴァン症候群とアスペルガー症候群は同じ自閉症に属しますが、知的障害を伴うかどうかに違いがあるようです。

というように、多くの映画や小説に取り上げられているのですが、日本ではまだ馴染みが薄く、時に、頭のおかしい人、というように捉えられたりもしていて、こうした面では日本はものすごく遅れているなあと感じます。

もちろん、私は精神科医ではないので診断をしたり治療法(あるいは対処法)を示したりはしません(してはいけない)。でも、その人の行動の傾向をきくと、どうやらアスペルガーなのでは、あるいはうつ病だと言われてるけど、実際は双極性障害なのでは、あるいはボーダーライン、あるいは統合失調症なのでは・・といった想像はある程度つきます。

でも、ここで気をつけなくてはいけないのは、あくまでも素人判断で診断はできないということ。ただ、よくわからない行動の裏にはこうした傾向が(病気や疾患とまではいえないかもしれない)が隠れている可能性があると想像してみる。そうすると、その人の違った側面が見えてくるかもしれません。そして、対応を変えることで関係が改善されるかもしれないし、あるいは自分の中にそうした傾向を見つけるかもしれない。

人間の心は測り難いけれど、見方を変えることである程度の予測や想像が出来、対応次第では人間関係が変化していくかもしれない。
それに、心理学や精神医学といえども万能ではないので(時代によって大きく変遷してきた歴史がある)、医者に診断された病名が正しいと言い切れない場合もあります。

その人が生きやすい環境を整えてあげること、理解する努力をして、相手に寄り添うことが大事なのは、他の病気でも同じですね。精神的な疾患、あるいはある種の傾向があるからといって特別扱いすることはできれば避けたいですね。

カウンセリングはそうしたいろんな見方や考え方を提示する一つの方法であると考えるのがいいかと思います。

(参考図書:「アスペルガー症候群」岡田尊司著 幻冬舎新書)

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グッドモーニング・ベトナム

2019-02-11 14:54:22 | 映画


ご無沙汰でした。
例によって確定申告の季節、あいもかわらず四苦八苦してます。
しまっておいたはずの領収書がなぜないんだ!

今日の映画は
「グッドモーニング・ベトナム」
(1987年アメリカ。バリー・レヴィンソン監督。主演のロビン・ウィリアムズはアカデミー主演男優賞とゴールデングローブ賞を受賞)

ベトナムといえば、私の世代はベトナム戦争。
ベトナムは当時、南北に分かれていて、北ベトナムが共産圏(ソ連、中国が支援)、南ベトナムがアメリカによる傀儡政権。

アメリカは、インドシナ半島の共産主義化を食い止めるために戦ったと言ってましたが、実体は、ソ連共産主義とアメリカ資本主義との代理戦争だったわけ。アメリカが撒き散らした枯れ葉剤により、ベトちゃんドクちゃんのような結合双生児が生まれたことを憶えている人も多いかと思います。

ベ平連、といっても若い人たちは知らないかもしれないけれど
「ベトナムに平和を!市民連合」の略称で、作家の小田実、鶴見俊輔、開高健らの呼びかけで結成された市民運動のグループ名称です。当時、若者たちを中心にして反戦運動が広がりを見せており、私もデモに参加しました。

この映画の舞台は1965年のサイゴン(現在のホーチミン市)。まさにアメリカが北爆(北ベトナムに空爆)を開始した年であり、べ兵連が始動した年です。ここからアメリカは泥沼の戦争に突入していきます。終結したのは1975年。アメリカがはじめて負けた戦争でもあります。

主人公のクロンナウアー(ロビン・ウィリアムズ)は軍のラジオのDJとしてサイゴンに派遣され、コミカルなトークで多くの兵士の人気を集めますが、堅物の上官はこれが気にいらず、何とかして彼を追いやろうとします。
その間に、クロンナウアー自身が資本主義アメリカを象徴するかのように、金にモノをいわせて美少女を追いかけ、彼女が所属する英語教室の教師の職まで手に入れます。

彼は純粋にベトナムの美少女トリンが好きだったわけですが、そこには金さえ払えば何をしてもいいというアメリカ的感覚も潜んでいた、そのことに彼は最後になってようやく気づくわけです。

美少女の兄ツアンがとてもいい。彼はクロンナウアの友人となり何くれとなく親切に教えてくれ、しかも最後に彼の命を救うのですが、実はベトコン(南ベトナム解放民族戦線)だったことが発覚し、クロンナウアはグアムに左遷させられます。

とにかくロビン・ウィリアムズがすごい。
彼のマシンガントークはハンパなく、最近見たアメリカのスタンダップコメディの中でも群を抜いたスピード感です。
百聞は一見にしかず、とにかく見て聞いてほしいです。

ベトナム戦争を描きながら、流血の惨事なしに(少しあるけど)戦争の愚かさを見事に描いた映画です。

クロンナウアのいかにもアメリカ的な勘違いは見ていて痛快だし、美少女トリンの兄のツアンがまたいい。

ツアンがベトコンだったと知ったクロンナウアは、
「親友だったのに、信じていたのに、敵だったなんて!」と叫びますが、ツアンもまた、
「アメリカ軍の無差別攻撃で自分の母や周りの人達を亡くした、敵は自らの利益のためにベトナムで戦うお前達じゃないか。僕はお前を助けたバカ者だ」
と、涙ながらに反駁して姿を消します。

ここでようやく、クロンナウアは、アメリカ軍による南ベトナムへの「支援」は、実はアメリカによる傀儡であり利益確保であったという事実に気づくわけです。

アメリカ軍の兵士たちも皆若くして戦場に送られています。この人たちのうち何人が生きて母国に帰れたのだろうと思うと胸が痛みます。
ベトナム戦争の犠牲者は両国合わせて600万人とも言われていて、壮絶な戦争だったことがわかります。

あれから半世紀が過ぎ、ベトナムは近代化してホーチミン市は東京のような大都会に生まれ変わったといいます。

GWにベトナムに行こうと思っています。
そこで今ベトナムについての本を読んでいる最中です。また何かいい映画&本があったら紹介しますね。

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東京ゴッドファーザーズ

2019-02-09 16:27:19 | 映画


(これは2017年11月12日の記事です)

いつも行く美容院の美容師さんが無類の映画好きで、私は彼と映画の話をするのを楽しみにしています。

その彼が教えてくれたアニメ「東京ゴッドファーザーズ」を見ました。

普段アニメはあまり見ないんだけどね。(ジブリは全部見てるけど)

で、これは「おおっ!」という作品だったので紹介します。
日本のアニメもここまで来てるのか。
(2003年公開だからそんなに新しくもないけど)

もっとも監督の今敏(こんさとし)をグーグルしたら、「機動警察パトレイバー」や「ジョジョの奇妙な冒険」「パプリカ」等に関わっている人らしく、納得です。

コミカルな物語に社会派の視点も乗せて、アニメならではのご都合主義で、これが笑えて、実にいい物語に仕上がっています。

そして、これまたゲイがからむ話なんですねえ。
日本にもあったのね、ゲイストーリー。

クリスマスの夜、ホームレスの三人組(ゲイのハナ、元競輪選手のギン、家出少女のミユキ)はゴミ置き場で赤ん坊を拾います。ハナは自分の子として育てるといって「きよこ」という名前までつけるのですが、ホームレスにその資格はないとギンに言われ、三人は赤ん坊の両親探しに奔走するという話です。

これがねえ、笑えて泣けて、しかもお涙頂戴ではなく、話の展開に意外性もあり、最後までハラハラしながら見てしまう。

はたして、赤ん坊の両親は見つかるのか、妻子は死んだというギンの話は本当なのか、ミユキがホームレスになった経緯は、ハナの前歴は・・等々、見応え十分です。

これを見て思い出したのが、ドラマ「メンタリスト」のシーズン4・21話「「ルビー色の魔法の靴」です。


これもオカマショーの人たちが一人の少年を救う話で、すっごくよかったのでお勧めです。

ゲイの人たちって、どこかピュアなところがあって好きです。私にはゲイの知り合いがけっこういて(日本にもフィリピンにも)皆とても明るくて楽しい人たちです。ゲイの男性って、女性とはまた少し違う安心感があっていいのよねえ。

でも、日本はまだまだ遅れていて、ゲイと聞くだけで顔をしかめる人が多くて、何とかならないものかと思っています。

フィリピンなんてすっごくオープンです。ゲイの人たち皆いきいきとしてるしね。
日本もフィリピンを見習うべきだと思います。

皆さんも、ぜひお近くのゲイの人たちとお近づきになることをお勧めします。
きっと幸せを分けてくれますよ。

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わたしを離さないで

2019-02-08 18:19:52 | 映画

(これは2017年8月22日の記事です)

Amazonプライムで映画「わたしを離さないで」を見た。

わたしを離さないで (マーク・ロマネク監督 2010年公開 イギリス映画)

カズオイシグロの同名小説を映画化したもので、すでに2回見たし、小説も2回読んでいる。大好きな作品である。
(なお日本のテレビドラマの方は見ていない)

俳優陣が、キャリー・マリガン(華麗なギャッツビー)、アンドリュー・ガーフィールド(スパイダーマン)、キーラ・ナイトレイ(パイレーツオブカリビアン)、そしてシャーロット・ランプリング(まぼろし)など何気に豪華キャスト。

もちろん小説の方がはるかにいいのだが、映画もよくできている。見るたびにいろんなことを思うのだが、今回は特に、
最後のシーンがずしりと来た。(以下ネタバレ)

キャシーとトミーが絵を携えてかつてのヘールシャムの先生を訪ね「二人が本当の恋人なら提供を猶予される」という噂が事実かどうか、また事実だとしたらヘールシャムで絵を描かせたのは、彼らの魂を探り、二人が本当の恋人になりうるかどうか測るためだったのではないかと問いかけ、二人は本当の恋人同士なので提供を猶予してほしいと願い出る場面。

厳格なエミリ先生は二人にこう告げる。

「絵を描かせたのは、魂を探るためではなく、あなたたちに魂があるかを知るためだった」

つまり、彼らが人間であるかどうか調べてみたかったというわけ。まるで実験動物を見るような冷たい目でエミリ先生はそう言い放つ。 あなたたちは人間とは違う生き物なのだと突きつけるのだ。

それがどれほど残酷なことか、エミリ先生は想像しない。なぜなら、彼女は恐れているから。

姿形は同じでも、ヘールシャムの子どもたちはエミリ先生たちの側が自分たちの都合に合わせて作り上げたいわば実験動物。その彼らに心があり魂があるとしたら、臓器提供そのものが立ち行かなくなる。それを何より恐れているのだ。

差別は恐れから生まれる。

恐れるから線を引き、自分たちとは違う生き物であると断定する。

自分たちとは違う生き物なので倫理は適用されない。生かすも殺すも自由。それは倫理上の問題にならない。

エイリアン映画、ゾンビ映画がこの論法で成り立っている。相手はエイリアン、ゾンビなので惨殺しても構わない。なぜなら彼らは自分たちの世界を侵す侵略者だから。実際の戦争もまたしかり。

恐れは過剰反応を引き出し、境界線を強固なものにして防護壁を高く築き上げる。そして、いくら高くしても十分ではないと彼らは思い始める。
それがエミリ先生とマダムの態度に現れている。

でも、キャシーたちが望んだのは、普通の人たちと同じになることではなく、ただ少しの猶予をもらえないだろうかということだったのに。

それがこの物語の核心である。

魂があるかどうか疑わしいのは、エミリ先生たちの側なのだが。

最後にキャシーは自分に問いかける。

「私たちと私たちが救った人たちに違いがあるのか。皆『終了』する。
『生』を理解することなく、命は尽きるのだ・・」

ここは
「生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し」
という空海の言葉を彷彿とさせる。
カズオ・イシグロはやはり日本人なのだなあと思う。

そして、
この問題はいずれ人工知能の問題として再び浮上してくるだろうという気がする。

人工知能が感情を持ち始めた時、人間の側はどこで線を引き、彼らにどう対応するのか。

その一例を描いたのが「エクス・マキナ」で、この映画も非常に興味深く面白かった。

(旧ないない島通信より「エクス・マキナ」について)

http://blog.goo.ne.jp/neko-pin/e/6795bbe64214a7a49d8baaabfc69c5fb
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パッセンジャー

2019-02-07 10:05:14 | 映画


(これは2017年8月29日の記事です)
映画「パッセンジャー」は劇場で観たかった映画だ。

何しろ宇宙モノは劇場の大スクリーンで見るのと小さなPCで見るのとでは天と地ほどの差があるから。
でも残念ながら劇場公開を逃したので、大スクリーンをイメージしながら、我が家のPCで観た。

これは宇宙を舞台にしたアダムとイブの物語である。
(以下少々ネタバレ)

宇宙船アヴァロン号には5000人の移民が冬眠状態で乗船している。移住する星へは120年かかる。

だが、主人公のジムは、なぜか一人だけ航行途中30年が経過した時点で目覚めてしまう。
広い宇宙船の中で彼はたった一人ぼっち。話し相手はアンドロイドのバーテンダーのアーサーのみ。

アヴァロン号にはあらゆるものが備わっており(娯楽施設、スポーツ施設など)、故障箇所も自動で修復できるという優れもの。

だが、残り90年をジムはたった一人で過ごさなくてはいけない。いっそのこと死んでしまおうと、船外に宇宙服なしで飛び出そうとしたりするが、やはり死ねず。

一年半が経過したころ、まだ冬眠状態にある美しい女性オーロラに惹かれて、逡巡した挙句、ジムは彼女を目覚めさせてしまう。

アダムの骨から生まれたイブの誕生だ。

でも、アンドロイドのアーサーが彼女に秘密を明かしてしまい、オーロラはジムを非難し(私を殺したのも同然よ)、彼から遠ざかっていく。

広い宇宙船の中でたった二人の人間がいがみ合ったまま、この先の88年をどうやって過ごすというのか。

・・というのがメインのストーリーなのだが、この先、予期せぬ展開も待ち受けており、なかなかエキサイティングな映画であった。

孤島ならぬ、宇宙船内で目覚めた二人の人間。

だが、孤島と違うのは、二人の背後には冬眠中の5000人がいること。
彼らのミスは5000人の命に関わるのだ。いってみれば二人の子孫に当たる人々である。
彼らがこの先の88年をどう生きるかは、この未来の人たちの運命を左右することになるのだ。

私たちは普通、自分の人生の選択が未来の誰かに影響を与えるなどと考えない。

私の人生の選択は私の人生だけのことだと思いがち。
でも、実際のところ、私の日々の選択は未来の子どもたちの運命をも左右するかもしれないのだ。

そのことに、普段は全く思い至らない。なぜなら彼らは見えないから。

でも、宇宙船内にいる5000人のクルーや乗客たちは冬眠状態にあるので、見ることはできるし、存在していると確かに感じられるが、それでも実感は薄いだろう。

その彼らの為にも、ジムとオーロラはしっかりと宇宙船を守り、生き続けなくてはいけない。
いろんな事件が発生し、彼らはそのことに気づくのである。

アダムとイブは、アダムとイブだけの人生を生きているのではない。

彼らの人生はその後の末裔たちの運命をも左右するのだと。

私の未来に待ち受けている多くの人々(血縁に関わらず)のことを、かすかだけれど意識することができた。

そして、最後のシーンの素敵なこと。

二人はこの無機質な宇宙船を有機的な場所に変えて、素敵に生きてきたのだとわかる。

未来のアダムとイブは、こうしてさらにその先の未来の人たちに多大な貢献を果たした、というわけ。

ジェニファー・ローレンスが素敵です。

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