事実にもとづく革命ドラマ
『チェ 28歳の革命』『チェ39歳 別れの手紙』
越川芳明
唯一外国人(アルゼンチン人)でありながら、グランマ号に乗ってバチスタ独裁政権との戦いに加わることを許され、戦いに勝利してからはキューバ革命のヒーローとして、また若くして志半ばで斃(たお)れてからは、理不尽な圧政と戦う世界中の抑圧された人々から<正義の戦い>のイコンとして崇められてきたエルネスト・ゲバラ。
その<正義の戦い>のヒーローをめぐるこの映画、奇しくもキューバ革命五十周年にあたる二〇〇九年一月に公開される。
映画は、第一部『28歳の革命』と第二部『39歳 別れの手紙』からなる。
聞くところによれば、もともと製作サイドはボリビアの山中で負け戦を強いられたゲバラの映画(第二部にあたる)を作りたかったようであるが、なぜチェがボリビアに出向くのか、その説明が必要なのでキューバ革命を扱った第一部を作る必要が生じたという。
しかし、皮肉なことに、映画としては第一部のほうが断然素晴らしい。
それというのも、第一部ではソダーバーグの手腕がいかんなく発揮されているからだ。そこでは語りの構造が複雑であり、直線的な時間軸にそって物語が進行しない。
一方、第二部は、ゲバラの『ボリビア日記』にもとづいて退屈にほかならない直線的な時間軸で語られており、作り手の側に安易なところが見られる。
ソダーバーグ監督自身も、インタビューで、「膨大なリサーチから集めたエピソードを、どのように編集し、組み立てるかが問題だった」と、述べている。
逆にいえば、「編集や組み立て」というのは監督による「ゲバラ解釈」に他ならず、第一部では十分に行なわれているが、第二部ではその解釈を、チェを演じたベニチオ・デル・トロに委ねてしまっている。
第一部『28歳の革命』を見てみよう。
ここでは一九五二年から一九六四年までを扱っているが、まず二つの外枠の時間(一九五二年と一九六四年)をモノクロでしめし、外枠で括られたその間の時間帯をカラーで映し出し、モノクロとカラーの二つの映像を交互に繋ぎあわせている。
冒頭は、一九六四年に国連でのスピーチのためにゲバラがニューヨークを訪れた時に行なわれたテレビインタビューのシーンだ。
真っ暗な中でマイクチェックスをしているチェの声だけが聞こえてくる。
すぐに、「1952年3月」のクレジットと共に、バチスタ軍事独裁政権が発足し、巨大な船から大挙してアメリカ兵がキューバに上陸し、首都ハバナでカジノやナイトクラブが隆盛を見せる光景がモノクロで示される。
基本的に、モノクロ映像は、親米時代(キューバの上流階級や指導者が米国の資本家やマフィアと結託していた)から反米時代へと移行したキューバの政治的ベクトルを示唆している。
そうしたモノクロ映像の中に、いわゆる「チェ語録」なるものが数多く挿入されている。
とりわけ、米国による中南米の国々への政治的、軍事的介入を批判したり、資本主義の矛盾をついたりする名セリフは皮肉とエッジが利いている。
第一部『28歳の革命』がもし大々的にアメリカで公開されるならば、小国の歴史などに無関心な大多数のアメリカ国民にとって批判ともとれる衝撃的な映画になるはずだ。
第一部のそうしたモノクロ映像の間に差し挟まれるのは、一九五五年のメキシコシティにおけるカストロとチェの出会い、五六年十一月のグランマ号でのキューバへの出発、五六年から五九年一月までつづくシエラ・マエストラやサンタ・クララでの戦いのシーンだ。
だが、強調されるのは、ゲバラが真の革命家になったのが戦いそのものによってというより、負傷したゲリラ兵士を移送する地味な役を負わされたことによってであるという点だ。
つまり、ここでは、ゲリラ兵士としてよりも、医師としてのゲバラがつよく印象づけられる。第一部では、ゲバラが真の革命家として目覚めていく、その進化のプロセスに重点があり、そこにソダーバーグの解釈が色濃く現われている。
しかし、ゲバラには軍人としての要素もあり、それは第二部『39歳 別れの手紙』で強調される。
というのも、こちらでは一九六六年から六七年にかけてボリビアの山地で展開したゲリラ戦が題材になっているからだ。
ゲバラはカストロに「別れの手紙」を書いて、ラモンという偽名でボリビアに潜入し、キューバから隠密裏に入国した部下のゲリラたちと合流した。
キューバ革命と同じように山間地からゲリラ戦を展開しようとするが、ボリビア共産党からの支持(ゲリラ兵と物資の供給)を絶たれ、ボリビア軍によっておどされた地元の農民たちの協力も得られず、次第に孤立していく。
ゲバラと部下たちは、米国の特殊部隊による訓練を受けたボリビア政府軍の掃討作戦に遭ってあえなく敗れ去る。
では、なぜ圧倒的な軍事力(人員と武器)を前に負け戦を強いられるゲバラを描いたのだろうか。
第二部は、グランマ号でキューバに向かうゲバラの十一年前のシーンで終わっている。
革命の始まりに戻るという、そうした円環構造から読み取れるメッセージは、「革命は終わらない」ということだろう。
ゲバラは処刑される前に、ボリビア軍の士官に「ボリビアの農民は君たちを裏切ったではないか」と問われて、「彼らはわれわれの失敗で目覚めるかもしれない」と答える。
これは非常に意味深長な言葉だ。
二〇〇六年には、先住民出身のモラレスが大統領に就任して、左派政権が誕生したからである。
ボリビアのモラレス大統領は、就任演説で自分のなすべき任務がゲバラの戦いにつづくものであることを表明した。
もし第二部に、そうしたゲバラの予言性にまで言及する意図があったとすれば、別の構造を取っていたに違いないし、第一部を凌ぐ映画になっていたはずだ。
(『すばる』2009年1月号、310ー11頁)
『チェ 28歳の革命』『チェ39歳 別れの手紙』
越川芳明
唯一外国人(アルゼンチン人)でありながら、グランマ号に乗ってバチスタ独裁政権との戦いに加わることを許され、戦いに勝利してからはキューバ革命のヒーローとして、また若くして志半ばで斃(たお)れてからは、理不尽な圧政と戦う世界中の抑圧された人々から<正義の戦い>のイコンとして崇められてきたエルネスト・ゲバラ。
その<正義の戦い>のヒーローをめぐるこの映画、奇しくもキューバ革命五十周年にあたる二〇〇九年一月に公開される。
映画は、第一部『28歳の革命』と第二部『39歳 別れの手紙』からなる。
聞くところによれば、もともと製作サイドはボリビアの山中で負け戦を強いられたゲバラの映画(第二部にあたる)を作りたかったようであるが、なぜチェがボリビアに出向くのか、その説明が必要なのでキューバ革命を扱った第一部を作る必要が生じたという。
しかし、皮肉なことに、映画としては第一部のほうが断然素晴らしい。
それというのも、第一部ではソダーバーグの手腕がいかんなく発揮されているからだ。そこでは語りの構造が複雑であり、直線的な時間軸にそって物語が進行しない。
一方、第二部は、ゲバラの『ボリビア日記』にもとづいて退屈にほかならない直線的な時間軸で語られており、作り手の側に安易なところが見られる。
ソダーバーグ監督自身も、インタビューで、「膨大なリサーチから集めたエピソードを、どのように編集し、組み立てるかが問題だった」と、述べている。
逆にいえば、「編集や組み立て」というのは監督による「ゲバラ解釈」に他ならず、第一部では十分に行なわれているが、第二部ではその解釈を、チェを演じたベニチオ・デル・トロに委ねてしまっている。
第一部『28歳の革命』を見てみよう。
ここでは一九五二年から一九六四年までを扱っているが、まず二つの外枠の時間(一九五二年と一九六四年)をモノクロでしめし、外枠で括られたその間の時間帯をカラーで映し出し、モノクロとカラーの二つの映像を交互に繋ぎあわせている。
冒頭は、一九六四年に国連でのスピーチのためにゲバラがニューヨークを訪れた時に行なわれたテレビインタビューのシーンだ。
真っ暗な中でマイクチェックスをしているチェの声だけが聞こえてくる。
すぐに、「1952年3月」のクレジットと共に、バチスタ軍事独裁政権が発足し、巨大な船から大挙してアメリカ兵がキューバに上陸し、首都ハバナでカジノやナイトクラブが隆盛を見せる光景がモノクロで示される。
基本的に、モノクロ映像は、親米時代(キューバの上流階級や指導者が米国の資本家やマフィアと結託していた)から反米時代へと移行したキューバの政治的ベクトルを示唆している。
そうしたモノクロ映像の中に、いわゆる「チェ語録」なるものが数多く挿入されている。
とりわけ、米国による中南米の国々への政治的、軍事的介入を批判したり、資本主義の矛盾をついたりする名セリフは皮肉とエッジが利いている。
第一部『28歳の革命』がもし大々的にアメリカで公開されるならば、小国の歴史などに無関心な大多数のアメリカ国民にとって批判ともとれる衝撃的な映画になるはずだ。
第一部のそうしたモノクロ映像の間に差し挟まれるのは、一九五五年のメキシコシティにおけるカストロとチェの出会い、五六年十一月のグランマ号でのキューバへの出発、五六年から五九年一月までつづくシエラ・マエストラやサンタ・クララでの戦いのシーンだ。
だが、強調されるのは、ゲバラが真の革命家になったのが戦いそのものによってというより、負傷したゲリラ兵士を移送する地味な役を負わされたことによってであるという点だ。
つまり、ここでは、ゲリラ兵士としてよりも、医師としてのゲバラがつよく印象づけられる。第一部では、ゲバラが真の革命家として目覚めていく、その進化のプロセスに重点があり、そこにソダーバーグの解釈が色濃く現われている。
しかし、ゲバラには軍人としての要素もあり、それは第二部『39歳 別れの手紙』で強調される。
というのも、こちらでは一九六六年から六七年にかけてボリビアの山地で展開したゲリラ戦が題材になっているからだ。
ゲバラはカストロに「別れの手紙」を書いて、ラモンという偽名でボリビアに潜入し、キューバから隠密裏に入国した部下のゲリラたちと合流した。
キューバ革命と同じように山間地からゲリラ戦を展開しようとするが、ボリビア共産党からの支持(ゲリラ兵と物資の供給)を絶たれ、ボリビア軍によっておどされた地元の農民たちの協力も得られず、次第に孤立していく。
ゲバラと部下たちは、米国の特殊部隊による訓練を受けたボリビア政府軍の掃討作戦に遭ってあえなく敗れ去る。
では、なぜ圧倒的な軍事力(人員と武器)を前に負け戦を強いられるゲバラを描いたのだろうか。
第二部は、グランマ号でキューバに向かうゲバラの十一年前のシーンで終わっている。
革命の始まりに戻るという、そうした円環構造から読み取れるメッセージは、「革命は終わらない」ということだろう。
ゲバラは処刑される前に、ボリビア軍の士官に「ボリビアの農民は君たちを裏切ったではないか」と問われて、「彼らはわれわれの失敗で目覚めるかもしれない」と答える。
これは非常に意味深長な言葉だ。
二〇〇六年には、先住民出身のモラレスが大統領に就任して、左派政権が誕生したからである。
ボリビアのモラレス大統領は、就任演説で自分のなすべき任務がゲバラの戦いにつづくものであることを表明した。
もし第二部に、そうしたゲバラの予言性にまで言及する意図があったとすれば、別の構造を取っていたに違いないし、第一部を凌ぐ映画になっていたはずだ。
(『すばる』2009年1月号、310ー11頁)