越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

管啓次郎さんとの対談

2010年05月31日 | 音楽、踊り、祭り
青山ブックストア(表参道)でおこなった管啓次郎さんとのトーク「旅と翻訳」が「図書新聞」(2010年5月29日号と6月5日号)に載りました。これは、第1回分です。

『図書新聞』2010年5月29日
○翻訳者たちは昇天する
越川 英語で「翻訳」というのはtranslate(トランスレイト)、翻訳者というのはtranslator(トランスレイター)ですが、それらは、ラテン語からきていて、「移す」という意味のtransという語と「運ぶ」という意味のlateという語の合成語です。それに似た単語でtranscribe(トランスクライブ)というのがあります。scribeは「書く」行為をしめす動詞ですが、名詞はscript(スクリプト)、皆様もご存知のとおり、「台本」です。
 で、transcribeというのは、今僕がこういうふうに喋っていたりする言葉、皆さんの耳に響いている言葉を、目で読む「活字」に直すという行為をいいます。いわゆる「テープ起こし」ですね。楽器で弾いた音を五線譜上に記号に写すこともその動詞で表現します。
 面白いのは、もうすたれてしまったのだけれど、translateに昇天するって意味があるんですよね。昇天、トリップする人。だからその意味からいうと、translatorというのは技術を磨く職人というよりは、才能ですね。ナチュラル・ハイになれる者、というのでしょうか。こじつけめいてはいますけど、そういう人かなという気がするんですよね。

管 さすが越川さん、英文科の先生ですね(笑)。Translationには数学用語で平行移動という意味もあるようですが、言語から言語へと横滑りするうちに、地上を離れて空に飛び出すみたいな動きが入ってくるのでしょうか。

越川 今回僕が訳したエリクソンの新刊『エクスタシーの湖』ですが、原題は、『Our Ecstatic Days』といいまして、これは直訳すると「われわれが恍惚となる日々」くらいになるんですね。それではちょっとまだるっこしい。今回はロサンゼルスが街ごと水浸しになって湖が出現する、そんな話です。「エクスタシーの湖」という、わかったようななわからないような、ちょっと詩的なタイトルをつけてみました。主人公の女性には幼い息子がいるんですが、その子が湖でいなくなって、彼女が潜って探しにいったら、もうひとつの湖に出てしまう、っていう話なんですね。

管 読もうと思って、申し訳ないことにまだ半分も読んでいないのですが。すごく複雑な小説ですよね。

越川 いや、あんまり複雑じゃないですよ(会場笑)。いろいろな話が出てくるので、それをひとつにまとめよう、ジグソーパズルを完成しようとすると、とても苦労します。でもそんなことは忘れて、細部を楽しめればいいんだと思うんですね。全体がどうなっているかは、正直なところ一回読んだだけではわからないですから。三十回くらい読むとばっちりジグソーパズルのピースがはまるかもしれないですが。

管 なるほど。苦行ですね、それは(笑)。

越川 だからそれはですね、SM的な愛情しかありえないんじゃないかな(笑)。苦行って思っちゃうと読めなくなっちゃうので。ただ、中で展開されるイメージや場面は凄いものがありますよ。詩を読むように、読めばいいのかも。
 さっき言った主人公の女性が見失った子どもは、実は別の場所で成長しているんですね。この子が家の「病気」…シック・ハウスっていうと何だか違うものみたいですが(笑)、病んだ家を診る女医と一緒に行動しているんです。そんなシーンの中で、「十三の喪失の部屋」という場面があります。「記憶の喪失の部屋」とか「家族の喪失の部屋」とか、ダンテの『神曲』の地獄篇のような、人間の心の闇を映し出すような旅ですね。このシーンなんかは、訳していてもちょっと震えました。個人的にはあれが一番すごい場面かなと思うんだけど。そういうふうにして読んでいけば全然不条理じゃないんですけどね。あら筋で成り立っている村上春樹の小説を期待するときついのかもしれないけど、物語のコアな塊というか、そういうのを感じて読んでいけば全然難しくない。

管 訳していて震えるって、いいですね。

越川 うん。僕は基本的に英語できないんですけど(笑)。ただ僕は、エリクソンと個人的につきあっていて、彼がしゃべっているのを実際聞いているから、彼の本を読んでいても彼がしゃべってくれているような感じで読めるんですよね。単語は聞けばわかりますし。英文解釈じゃないですから、一言一言正確でなくてもいいわけですし。

管 越川さん、訳しながら泣いたことありますか?

越川 難しすぎて泣くことはありますけど(笑)。

管 僕はよくありますよ。エイミー・ベンダーの短編なんか、訳しながらあまりに感動して。作者も書き終えたとき泣いただろうと思ったりして。

越川 それは本当に、失われた意味でのtranslatorですね。「昇天する人」。

管 まあ、バカですから。『エクスタシーの湖』は、タイポグラフィックな冒険というか、さまざまな工夫がなされていますね。

越川 翻訳本は佐々木暁さんというアートディレクターの作品ですが、やっぱりデザインが凄いですね。しかも二段組だから、原本をそのまま写しただけでは駄目なので、佐々木さんなりのアレンジが加わっています。
 一番難しいのは、ダブル・ナレーションというか、普通のナレーションに、物語の途中から一行だけのナレーションが加わって、最後に二つのナレーションがばっちり重なり合うんですよ。それをどうやって日本語訳の本に移植するか。普通、英語を日本語に翻訳すると、圧倒的に活字の量が増えてしまうので、一行のナレーションの部分をどうやって最後にぴったり合わせるかというのは、技術的な意味でとても難しかったですね。人づてに聞いた話ですが、豊崎由美さんがウラ技というか、この小説を読むための攻略法を編み出してくれたそうです。それによれば、最初に、この一行だけのナレーションを読んでしまうというのです。そうすると、「苦行」が「快楽」に変わるらしいですよ(笑)。

○ニューメキシコという場所
越川 エリクソンの作品にはニューメキシコもよく出てきますね。最近はニューメキシコのプエブロもしょっちゅう出てきます。エリクソンには「インディアン」の血も混ざっていることもあって。北欧と「インディアン」の異なる血が混在している。彼の風貌なんかそういう感じがしますね。内的な他者として、先住民ということは意識していると思いますね。

管 確かに、エリクソンは北欧系の名前。

越川 僕のニューメキシコ体験はもう五~六年くらい前ですね。初めてアルバカーキに行くことになって、管さんにどこに行ったらいいかアドバイスを求めたら、アコマを薦められた。それでレンタカーを飛ばして行ってみたんです。アコマには「スカイ・シティ」の別名がありますが、いいところでしたね。
 いいところ、というのは、先ほどの翻訳のことにひきつけて言うなら、翻訳も旅も、やっぱり日常から外れていくってことだと思うのね。日常と同じ体験ではないことをする、自分ではない自分がひょっとしたらいるかもしれないというか。そういう体験ができれば一番いいんですよね。で、アコマに行ったときは「何だこれ」というような----(笑)、強烈な体験をしました。

管 そもそもなぜ、ニューメキシコに行かれたんでしたっけ?

越川 ジミー・サンティアゴ・バカという詩人がいるのですが、彼に会いに出かけたんです。そしたら彼、本当のバカでね!(笑)いい詩人なんですよ。彼は僕と同じ年なんですけど、ニューヨリカンのピニェロと同じ監獄詩人で、二十歳くらいまでは文字を知らなかったんです。ドラッグ売買の容疑か何かで逮捕されて、五年くらい牢獄に入っていたときにはじめて字を習った。アメリカの刑務所って、中に学校があるらしいんですね。そこで詩を教えてもらって、あるとき自分の書いた詩を文芸誌に送ってみたら、小切手で二十ドルが送られてきた。そしたら「こんなので二十ドル貰えるんなら、俺いくらでも稼げるじゃん!」と思ったらしい(笑)。それから自分の人生を題材に詩を書いていったら、一杯できちゃったらしいのね。今ではアメリカの一流詩人ですけど。管さんも訳されていますね。

管 僕もニューメキシコとの出会いははっきりしているんですよ。むかしハワイ大学で人類学を勉強していたのですが、そこであるとき地理学教室の前を通ったら、ニューメキシコの白黒の風景写真が貼ってあったんです。それがすごかった。茫然とした。山があって原野がずっとひろがってという単なる風景写真だったんですが、雲の影が映っている。それがよかった。空気が乾燥して、澄み切っているのがわかる。雲の影が異常に濃い。影が山の山腹を走っている感じで。山も木なんか全然生えていなくて、砂と岩ばかり。その強烈な風景写真に頭が感光したみたいになって、これは行かなくてはと思った。二十数年前の話ですけれど。

越川 エドワード・アビーという作家が『砂の楽園』というノンフィクションを書いています。また、コーマック・マッカーシーは八〇年代以降、このへんの砂漠を舞台にした小説ばかり書いていますが、最近翻訳が出た『ブラッド・メリディアン』もいいですね。あとは映画で、ギジェルモ・アリアーガのBurning Plainという映画があります。『ある日、欲望の大地で』という邦題にされてしまっていますが(笑)、南西部および国境地帯を舞台にした、とてもいい映画です。ここの環境はアメリカの中でも東部とはずいぶん違う、ひとつのユニークな文化を形成しているんだなと思いますね。よそ者である画家のオキーフや、作家のローレンスが惹かれたのがよくわかる。

○旅する書き手たちとの出会い
越川 ハワイからニューメキシコに行かれたというお話でしたが、誰か旅をしている書き手の中で、お手本のような人はいらっしゃいますか?

管 書き手というか、人生の中で一番「この人に会ってなかったら今こうはなってなかったな」と思う人は、文化人類学者の西江雅之先生ですね。西江さんという人は変わった人で、文化人類学者・言語学者・アフリカ研究者のすべてを兼ね備えている。そして歩くのがとても速い。
 西江さんはもともとスワヒリ語を勉強していて、二十歳くらいのときに日本で最初のスワヒリ語の辞書を作りました。その後、サハラ砂漠を徒歩で縦断して。アフリカではマサイ族の遊牧民たちと一緒に暮らしていたんだけれども、彼らに「お前は歩くのが速すぎる」って文句を言われたらしいです(笑)。いろいろな伝説の持ち主ですね、三十ヶ国語くらい喋るとか。お風呂は一年に一回くらいしか入らない。泳ぐのも大嫌いで、海なんかハワイに行っても絶対入らない。高校生のころは体操選手だったそうですが、なんかそんな身体性と知識のスタイルが、完全に一致している。

越川 僕も西江さんのお宅に伺う機会があったのですが、ガマ屋敷というあだ名がついた家に住んでいますね。大きいヘビの抜け殻からマサイ族のペニスケースまで、本当にいろいろなものが置いてありました。 

管 あそこは最高におもしろい場所です。アフリカ研究や言語学の本のコレクションだけじゃなくて、個人博物館にしてもいいくらい、本当にいろいろなものが置いてありますね。さりげなく置いてある写真が、マン・レイが撮影したマックス・エルンストの生写真だったりします。『西江雅之の驚異の部屋(ルビ=ヴンダーカマー)』みたいな本を作りたい。
 僕は学生のころ文学にも言語学・人類学にも興味があったのですが、当時、西江先生がカリブ海の人々が話すクレオル言語のフィールド調査をしていて、その話を授業でうかがって、クレオル言語の世界を知ったんです。1980年ごろのこと。それでまあ、よし、ぼくもカリブ海に行ってみようと。それから段々人生が熱帯化し、同時に貧困化も進んだ(笑)。

越川 でも、カリブ海でのご経験は『オムニフォン』っていう素晴らしい本に結実してるじゃないですか。僕は出たときに書評を書かせていただきましたけど、ちょっとこれはかなわないなと思いましたね。脱帽の一語に尽きます。