越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

旦敬介『ライティング・マシーン──ウィリアム・S・バロウズ』(インスクリプト)

2011年04月20日 | 小説
旦敬介『ライティング・マシーン──ウィリアム・S・バロウズ』
 
 これはただの作家論ではない。

 小説のように簡潔で読みやすい文体、奇人の評伝のようにぶっ飛んだエピソードの数々、文学研究としての精緻な分析が相まって、酒で言えば超レアな吟醸酒の味わいと言えばいいのだろうか。

 一見淡々と語られているようだが、実は完成までに十年以上の時を要したという熟成された文章は、僕の知的好奇心をくすぐらずにはおかなかった。

 バロウズの「逃亡」の旅(ニューヨーク、米南部、メキシコ、ペルー、タンジール、コペンハーゲンなど)が「ジャンキー」で「クィア」な異形の「作家」を誕生させる。

 その誕生のプロセスを丹念にたどりながら、旦敬介自身の個人的な世界放浪が差し挟まれる「一種同時進行的な私小説」(「あとがき」より)である。

 面白くないはずがない。
 
 とりわけ、同じようにドラッグと旅を肯定したケルアックとバロウズの創作観の違いに対する鮮やかな分析が光る。
 
 なぜ僕がバロウズに比べて、ケルアックにあまり魅力を感じないのかが分かった。

 後期バロウズに関する執筆が予告されている。

 楽しみだ。

死者のいる風景第三回(その2)

2011年04月20日 | 音楽、踊り、祭り
 僕は、正月のとても寒い時期に、愛知県と長野県の県境、天龍川沿いの山間の村で見た「花祭り」を思い出した。

 真夜中に、神社で神楽を披露し、いろいろと鬼が出てきて厄払いをする、とても古い行事だ。

 ロドリゴが言葉を続けた。

 「一六世紀にバスコ・デ・キロガというフラシスコ会派の司祭がやってきて、この地のタラスコ族の先住民人に、ごとに異なる工芸を教えて、彼らの想像力に火をつけたんだ。

 たとえば、ギターの得意なパラチョ、陶器の得意なツィンツィンツァン、銅製品や毛織物の得意なサンタ・クララ。

 仮面の製作は、パッツクアロから湖沿いに一二キロほどいったトクアロというが有名だよ。

 メキシコの仮面というのは、個人的な考えだけど、先住民たちによる多神教の世界観を表現する手立てじゃないか。

 ヨーロッパ人のカトリック教会は、善と悪をきっちり分けて考えていたけど、先住民はそうでなかった。

 <悪魔>の仮面でも、どこか憎めない。

 完全なる<悪>じゃない。

 難しいことを言えば、両義的だ」
 
 夜明け前の三時頃、僕はパッツクアロから十数キロほど離れた小雨の煙るツィンツィンツァンの墓地にいた。

 ロウソクや色鮮やかな花や供え物が豪勢に飾られた墓地は、真っ暗闇にそこだけ煌(きら)びやかに浮き上がる優美な御殿みたいだった。

 僕は、先祖の霊を迎えるために墓の前で酒を飲んで寝ずの晩をしていた陽気な若者に勧められて、寒さしのぎに酒をがぶ飲みした。

 翌朝、起きてびっくりした。

 靴は泥だらけだった。外に出てみると、レンタカーの前輪の一つがパンクしているではないか。

 タイヤのホイールもなくなっている。
 
 ひょっとして、あの世から帰ってきた死者に悪戯(いたずら)されたのだろうか。
 
 ロドリゴは人を信用するな、と僕に言った。

 人の中にまさか死者も入っているとは思わなかった。

(『Spectator』vol.23,Spring & Summer 2011, p.198)