越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

書評 ジョナサン・フランゼン『フリーダム』

2013年03月27日 | 書評

米中流家族30年の物語  ジョナサン・フランゼン『フリーダム』

越川芳明

 フランゼンは、米国中西部の家族を描くのを得意にしているが、この小説も、中西部ミネソタ州に生まれた一家に属する人々の成長物語だ。

 時代はレーガンの八十年代から、ブッシュ・ジュニアが二期目の当選をする二〇〇四年を経て、オバマが大統領に就任するあたりまでの約三十年間にわたる。

 たとえば、やがて一家の長になるウォルターは、成績優秀の苦学生で、地元ミネソタの大学で法律を学び、リベラル派の弁護士になる。環境問題や人口問題に関心を持ち、規制を緩めるレーガン政権には反対だ。その一方、新しい世紀に入ると、図らずしてテキサスのネオコンの片棒を担ぐような仕事に就く。

 息子ジョーイは、長じて東部のエリート大学に進み、父が毛嫌いする共和党のシンパになり、ブッシュ・ジュニアのはじめたイラク戦争の後始末で儲けようとする怪しい下請け会社に関わり合いを持つ。

 興味深いのは、書名にもなっている「自由」だ。ヨーロッパでのしがらみを断ち切って、新大陸で国家を建設した歴史を持つ米国人は、「自由」という理念に憧れ、それに「不自由」なまでに縛られる。富裕層は競争の「自由」を訴え、それが人間の「幸福」であると考え、時の政権が「自由」政策を取ることを望むが、その政策によって不幸になる人が出ても、それは無視する。

 そんな保守主義時代に、ウォルターの家族はそれぞれ自分の道を「自由」に選ぶ。だが、互いに勝手に「自由」を求めたときに諍いが起こり、やがて夫婦の心は離れ、家族はばらばらになる。

 この小説の真骨頂は、家族内の諍いを戦争に喩えながら、背景にある大きな「戦争」に読者の想像力を向けさせるところにある。

 「戦争」がやがて終わるように、家族にも和解が訪れる。日本語訳は、そんな家族の愛憎の機微をそれぞれの視点から巧みに訳し分けており、読んでいて楽しい。

(『北海道新聞』2013年3月24日朝刊)