越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

映画評 テリー・ジョージ監督『The Promise 君への誓い』

2017年12月22日 | 映画

歴史の彼方から訴える ーーアルメニアン・ジェノサイド、アルメニアン・ディアスポラ
テリー・ジョージ監督『The Promise 君への誓い』
越川芳明 

 二〇世紀初頭のオスマン帝国が舞台だ。南部ののどかな山間の町を俯瞰するシーンで始まる。語り手のミカエル青年は、この町の薬剤師らしい。アルメニア人である彼の家は、この地で二百年も前から薬局をしていて、薬草や鉱物を使った先祖伝来の調合法を受け継いでいるという。その言葉から窺われるのは、この町ではトルコ人(イスラーム教徒)も少数民族のアルメニア人(キリスト教徒)も対立することなく同居しているということだ。

 ミカエル青年には大学で医学を学ぶという野心があり、故郷から遠い帝都コンスタンティノープル(現イスタンブール)に向かう。帝都では伯父の立派な邸宅に下宿させてもらうことになる。上流社会のパーティの様子が描かれ、この都会においても、少数派のアルメニア人は貿易や金融などで成功を収めていたり、知識人や中央官庁の役人としても、社会の上層部に食い込んでいたりすることが示唆される。

 とはいえ、映画のテーマは、他民族との融合によるダイバーシティ社会の建設といったものではなく、むしろ、他民族の抹殺である。一言で言えば、第一次世界大戦中のオスマン帝国による「アルメニア人の大虐殺(ルビ:ジェノサイド)」だ。

 今より百年以上前に、オスマン帝国はドイツやオーストリアと同盟を組み、イギリスやフランス、ロシアらの連合国と戦った。一説にドイツ軍顧問団の指示により、オスマン帝国(「統一と進歩委員会」の指導者)は、ロシアとの国境近く、アナトリア半島東部に住むアルメニア人の蜂起(国家への反逆行為)を恐れて、アルメニア人の強制移住を行なった。アルメニア人はシリアの砂漠地帯の強制収容所への「死の行進」を強制されたという。ミカエルの故郷でも、強制移住が行なわれ、彼の家族が巻き込まれる。

 問題は、強制移住だけでなく、その時に「アルメニア人の大虐殺」があったことだ。虐殺された人数は、数十万人から三百万人まで大きな隔たりがあるが、信頼できる学者の説によれば、六十万人から八十万人ぐらいだという。

 だが、この歴史的な事件については、当事者同士で合意を見ていない。被害者側のアルメニア人は、歴史の彼方から「ジェノサイド」を訴え、EU(欧州連合)はそれを認定しているが、トルコ共和国は、国家による計画的な「ジェノサイド」は認めていない。二〇一四年に、エルドアン首相は「強制移住」を認める発言をしているが・・・。優れた世界文学の書き手でノーベル賞作家のオルハン・パムクは、トルコがジェノサイドを認めるべきだとの発言をして、国内で物議を醸したことがある。

 一方、数多くのアルメニア人が住んでいるアメリカのカリフォルニア州には、ロサンジェルス郊外に、人口の約三割がアルメニア人だというグレンデール市がある。この「ジェノサイド」の認定をめぐって、アルメニア人の下院議員が積極的に国会に働きかけている。

 そういうわけで、このハリウッド映画は、視点人物の設定から言っても、「ジェノサイド」をめぐってアルメニア人の主張を取り入れた、「プロパガンダ映画」であり、啓蒙映画である。舞台がトルコであるにもかかわらず、全編で使われているのが英語である点も、アメリカ国民をはじめ、世界中の人々にこの事件を知らしめたいという意図が見える。

 そうした「ジェノサイド」のテーマを、この映画の中で補強するのが「サバイバル」の思想である。母を残して家族や親族を殺され、「(トルコ兵に)復讐をしてやりたい」と毒づくミカエルに、恋仲にあるアナが「サバイバルこそが復讐よ」と告げる。とにかくこの苦境を生き残り、後世に体験を伝えることが先決だ、と。

 彼女自身は海の藻屑と消えてしまうが、彼女の言葉をミカエルは忠実に守る。

 ミカエルはアメリカに渡り、彼にとって唯一の親族となってしまった伯父の娘の結婚式に「アルメニア人の大虐殺」を生き延びた同胞を招く。そこでアナとの約束を果たすのだ。その時、この映画で初めてアルメニア語が出てくる。ミカエルは「神が子供たちを祝福し、守ってくれますように。子供たちが無事に戻ってきますように」とアルメニア語で祈り、「彼らもここにいる!」と、強制移住の間に無残にも亡くなった死者たちに言及する。映画のタイトルにある「君への誓い」は、そうした死者たちのために果たすべき、ミカエルの執念のこもった使命感に呼応している。

 最後にクレジットが流れる直前に、ウィリアム・サローヤンの言葉が引用されている。言うまでもなく、サローヤンは小説『わが名はアラム』や戯曲『君が人生の時』などでよく知られているアルメニア系の作家である。彼の両親は、このジェノサイドを生き延びた人たちだ。

 サローヤンはこう言う。「世界のいかなる権力が/この民族(アルメニア人)を消せるのだろうか(中略)消し去れるか試してみよ/彼らが笑い 歌い 祈ることがなくなるかを/どこかで彼ら二人が出会えば 新しいアルメニアが生まれるのだ」と。

 サローヤンは最晩年の一九七九年に、自身のルーツでもある、アルメニア人の「ディアスポラ」を扱った劇作「Haratch」を発表している。
(『すばる』2018年1月号)

書評 今福龍太『ハーフ・ブリード』

2017年12月22日 | 書評

絶望を希望に反転する思想 
今福龍太『ハーフ・ブリード』
越川芳明
 
 メキシコで頻繁に使われる独特なスペイン語表現で、直訳すれば「犯された女の息子」を意味する罵倒語「イホ・デ・チンガーダ(こんちくしょう)!」がある。
 その語がメキシコ人の神話的な起源にかかわるということは、注目に値する。十六世紀のスペイン人征服者によるインディオ女性の「凌辱」から生まれた「私生児」というルーツ。それは自分ではどうしようもない過去の「恥辱」である。
 通常「混血児」を意味する「ハーフ・ブリード」とは、そうした理不尽な「恥辱」を抱えて生きている人たちのことだ。その中には曖昧な性の境界地帯に生きる同性愛者やトランスジェンダーの人たちも含まれる。
 アメリカに渡ったメキシコ人は「チカーノ」と呼ばれ、トランプ大統領の支持者たちを代表とする白人社会で、さらなる差別や障害に遭い、出口のない「閉塞感」に駆り立てられる。
 本書は、あえてそうした逆境を引き受け、「自由」に向けて血のにじむような意識変革を成し遂げたチカーノ詩人たちの思想を、著者の浩瀚な知識に基づいて、熱くかつ詳細に語った優れた研究書である。
 著者は「絶望」を「希望」に反転させるダイナミックなチカーノの思想を長い年月をかけて追い求めてきた。先人の詩人や思想家の本を何度も読み返し、自らが社会の最底辺の側に立って行動することで、おのれの思想を鍛え直してきた。
 チカーノ運動の第一世代のアルリスタから始まり、南西部の大地に根を下ろした抵抗のレスビアン詩人アンサルドゥーアや、国境地帯の文化の多層性を多様な仮面と声で例証したゴメス=ペーニャ、監獄詩人のサンティアゴ・バカ、ベケット劇のスペシャリストで監獄俳優のリック・クルーシー、根気よく国境の壁の写真を撮り続ける写真家のギリェルモ・ガリンドなど、大勢の一線級のチカーノ・アーティストたちが出てくる。
 中でも、著者によって特権的に「きみ」と呼びかけられる詩人のアルフレード・アルテアガは良き先人として、ちょうど地獄めぐりをするダンテのための案内人ベアトリーチェの役割を果たす。
 「思想には羽が必要である」(p.73←ゲラでトル)と、著者はいう。本書にはたくさんの優れたチカーノ詩が訳出されている。それらが強靭なチカーノ思想を軽やかに空高く飛翔させる「羽」であることは言うまでもない。

(『日経新聞』2017年11月25日朝刊に、若干、手を入れました。)

書評 若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

2017年12月22日 | 書評
若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』 越川芳明  冬でもめったに気温が二十度以下にはならない常夏キューバ。二〇一五年の春にアメリカとの国交を回復して以来、欧米の観光客で賑わっている。  ハバナには、世界中のどこに行っても見られないものが二つある。一つは、一九五〇年代のアメリカ製クラシックカーが今なお健在なことだ。もちろん、エンジンや内装は改造されているが、ボディは元のままだ。  もう一つは、旧市街地から何キロも続く海岸通り。日が落ちる頃には、住民たちが浜風にあたりに散歩に訪れる。この海岸通りには、世界中の観光地にあるスターバックスやマクドナルドの建物がない。まだ「新自由主義」に汚染されていない「聖域」に欧米の観光客も憧れるのかもしれない。  ハバナをめぐるこの旅日記にも、海岸通りが出てくる。著者は言う。「この景色は、なぜぼくをこんなにも素敵な気分にしてくれるんだろう?」と。ふと著者は広告の看板がないことに気づく。東京やニューヨークは広告だらけで、それによって「必要のないものも、持ってないないと不幸だ」といった、物質主義の価値観を無意識のうちに押しつけられる。  風景はそこにあっても、見る人の心の有り様によって、映る姿が違ってくる。著者は、「広告の看板がなくて、修理しまくったクラシックカーが走っている、この風景はほとんどユーモアに近い強い意志だ」と言いはなつ。そこに解放感の笑いがこみ上げてくる。  ハバナ湾のカバーニャ要塞や革命広場、コッペリア・アイスクリーム店などハバナの名所を精力的に歩きまわる。だが、実は、著者が自分に向かって行う「内省(つぶやき)」にこそ、本書の真骨頂がある。とりわけ、亡くなったばかりの父親をめぐる感慨は読者の胸を打つ。 「亡くなって遠くに行ってしまうのかと思っていたが、不思議なことにこの世界に親父が充満しているのだ」と発見する。スケジュールに追われる日常を振り返るためにこそ、わざわざ遠いキューバに旅したとも思えるほどに、誠実で自虐的な言葉に溢れた好著だ。

書評 木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』

2017年12月22日 | 書評
愚直な行動力、あふれる熱い詩情 
木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』
越川芳明 

  一九九〇年代半ばごろから十年以上にわたって、東村山市の多磨全生園をはじめ、全国のハンセン病療養所を訪ねてハンセン病者の詩人たちにインタビューした。これは、その「探訪記」であり「聞き語り」である。

 一九五〇年代前半に、詩人の大江満雄が編集に尽力した『いのちの芽』という、ハンセン病者たちの詩の詞華集(ルビ:アンソロジー)がある。著者が訪ねたのはその詞華集に作品を寄せた、知られざる詩人たちである。大江がハンセン病療養所の人々にどのような影響を与えたのか、大江とハンセン病者との間に、どのような交流があったのか、聞いてまわる。

 かつて『「忘れられた日本人」の舞台を旅するーー宮本常一の軌跡』(河出書房新社)でも、著者の愚直なまでの行動力と、淡々とした筆づかいの中にふとのぞく熱い詩情に魅せられたが、本書でも僕の期待は裏切られなかった。現在の「忘れられた日本人」とも言うべきハンセン病者の文芸活動に焦点をあてて、それを歴史に刻んでおこうという姿勢に心打たれる。

 著者と大江満雄との関係についても触れておくべきだろう。著者は、中学生の頃に一度この詩人にあっているという。そのとき、「老人の性」という特集を組んでいた雑誌を差し出される。大江がそこに書いていたものは、ハンセン病療養所に暮らす女性との対話だった。著者は、自分を子供扱いしなかった大江に強烈な印象を受ける。大江の死後、絶版で読めなくなっていた大江の著作集の刊行に奔走し、『大江満雄集 詩と評論』(思想の科学社)の編者として名前を連ねることになる。さらに、ハンセン病をめぐる大江の文章を集めて、『癩者の憲章ーー大江満雄ハンセン病集』(大月書店)を編纂した。ここには、たった一度の出会いで強烈な印象を残した大江にたいする、著者の常に変わらぬ熱意と敬意がうかがわれる。
 
 本書では、知られざる詩人たちの手になる多くの優れた詩が、大江の評とともに、紹介されている。ここで取りあげられなかったならば、おそらく一般の目に触れることはなかったに違いない、いずれも選り抜きの、社会性と隠喩表現に富んだ詩ばかりである。

 中でも、瀬戸内海の長島愛生園の小島幸二(本名は近藤宏一)という、盲目の詩人は忘れがたい。盲目というハンデキャップに加えて、指先が知覚麻痺になり、唯一の残された舌先で点字を読むのである。

「唇で頁をくると ふっと匂うしみの匂い/舌先にとけこむ ほろ苦い味/点 点 点/
・・・・・・・・・・・・点は文字となり/文字は言葉となって流れる」

 大江はこの盲目詩人の作品を読んで「詩人というものは盲人になるとき、はっきりするとおもいます。一流の詩人でも、このような詩人に学ばねばならぬとおもいます」と語った。それにたいして、著者はこう付け加える。「大江が舌で点字を読むことを教え、近藤さんが舌読を身につけ、それを詩に表現し、今度は大江の心を動かす。この相互の響きあいが、無言のうちにおこなわれていたのである」

 著者が草津の栗生楽泉園で面会した亡命ロシア人の子トロチェフも忘れがたい。ロシア革命から逃れてきたロシア人貴族の二世という数奇な生まれと、ハンセン病を発症して以来、目覚めたという詩作をめぐって、著者はこう言う。「この世に住む人びとを単色で眺める、というのとは違ったものの見方を教えてくれる」と。

 多様な人間の存在と生き方を認めようとする姿勢は、本書全体に反映されている。ともすれば、「絶望と死」というステレオタイプなレッテルを貼られやすいハンセン病者の、様々な「個性」が浮き彫りにされているのだ。

 さらに、一般読者にとっては知られざる事実の数々が披露される。例えば、戦後間もなく、米国で発見された特効薬プロミンが日本にも入ってきて、ハンセン病は不治の病ではなくなったが、それでも偏見と隔離政策はなくならなかった。とはいえ、ハンセン病者への理解者もいた。例えば、一九五三年から草津の栗生楽泉園で患者たちの自主的な活動として「教養講座」が開設され、スポーツや芸術や医学をめぐって、鶴見俊輔(哲学)、佐藤忠男(映画)、大西巨人(作家)、山本健吉(文芸評論)らが講演を行なっている。

そうした文化人の中でも、大江満雄の関与はひときわ目立つ。全国のハンセン病療養所を訪れて、詩の指導にあたったほか、各療養所で発行する同人誌の詩の選者になったりした。大江は社会常識にとらわれなかったらしい。患者に対して、隔離政策も何のその平気で彼らの懐に入っていった。患者の書く詩に対しても、絶望や死をめぐる作品でなく、社会性のある未来に向かう詩を奨励した。

 大江自身には、「癩者の憲章」という素晴らしい詩がある。

「ぼくは抵抗します。/癩菌の植民地化に。(中略)ぼくは憎悪の中の愛です。/癩菌よ癩民族のために栄よと非癩者を憎しみながら、/その滅亡を、ひそかに祈っている少年です。」

 最後に、タイトルの「来者」とは、大江満雄の造語であるという。「ハンセン病」という言い換えは、かつての「らい病」への差別を忘却させることになりかねない。そう考え、「過去に負の存在とされた「癩者」を、私たちに未来を啓示する「来るべき者」と、読み替える方法をとったのだ。著者はその大江の詩人らしい読み替えを再利用したというわけである。

 先ごろ、政府は隔離政策という「負の歴史」を後世に伝えるために、全国のハンセン病療養所の、老朽化が進んでいる施設を緊急に補修工事することを決めた。

 本書は、ハンセン病者の詩人の紹介という体裁をとっているが、実は、著者自身が自負するように「知られざる戦後史、文学史、社会運動史」の優れた実戦の書なのである。

(『図書新聞』2017年12月9日号)