ダイヤモンドの結晶面のような多彩な物語の光を放つ
ハリー・マシューズ(木原義彦訳)『シガレット』
越川芳明
この小説は、十五の断章とエピローグからなる構成に大きな特徴がある。それぞれの断章は、まるで屈折率や分散率の高いダイヤモンド結晶面のように、多彩な物語の光を解き放つ。
いま、あなたの前にある断章は二つ視点を持ち、「アランとエリザベス」とか「オリバーとエリザベス」といった、対話法(ダイアローグ)めいたタイトルが付けられているが、二人が対話を交わすとは限らない。あくまで視点のぶつかり合いによる対話法であり、あなたはそのすれ違いから生じるアイロニーを楽しむ。そういう仕掛けなのだ。
あなたは、互いに矛盾することもある対話法の空白を埋めながら読み進める。どうせジグソーパズルの絵は完成しないのだから、誤読を怖れる必要はない。むしろ、このパズルはあなたによる創造的な誤読を誘発しているとさえ言える。
そういう意味で、これはあなたからの積極的なレスポンス、あなたの鑑賞/干渉を要求する「芸術小説」だ。ちなみに、本書は『人生 その使用法』で有名なジョルジュ・ペレックに捧げられているが、そのペレックやクノー、カルヴィーノらからなる<ウリポ>という芸術家集団に、著者ハリー・マシューズも所属している。彼らは一様に、過去から現在へと時間軸に沿って話を進める凡庸なナラティヴ(通常、あらすじと呼ばれる)を回避して、独自のフィクション、独自の言語宇宙を創造しようとする。
だからといって、怖れるには当たらない。語りのエクリチュール自体は、非常にオーソドックスだから。内容も日常生活の機微、というか男と女、男と男、女と女の愛憎とすれちがい。舞台は、芸術をもビジネスに変えてしまう魔法の都市ニューヨーク・シティと、その都市の富裕層が夏の避暑地として滞在する州北部オールバニー市近郊。時代は、大恐慌からアメリカが立ち直った一九三〇年代後半と、米ソ冷戦のさなかキューバ危機のあった一九六〇年代前半。
視点となる登場人物は、全部で十三人いる。彼らは夫婦だったり、恋人だったり、親子だったり、愛人だったり、ビジネスパートナーだったりして、互いに何らかの関係性が存在する。
たとえば、象徴的なのはある父娘(ルビ:おやこ)だ。保険代理店業の立場を利用して大規模な保険金詐欺で大金を稼ぎ、富裕層の一角に食い込むオーウェンと、ヒッピー時代の洗礼を受け、芸術家を志すその娘フィービ。一方がなりふり構わぬ金の亡者ならば、他方は<反資本主義>の権化。父親は娘に自分とちがった芸術家の道を歩ませたくて、幼い頃から英才教育をほどこすが、いざ娘が自立しようと新進画家に弟子入りしたとたんに、その道を閉ざそうとする。おまけに、娘が甲状腺の異常から体調を崩すと、娘の主治医らに自分の偏見を吹き込んで誤診を招く。
この小説の大きなテーマの一つは、アメリカにおけるそうした親子間をはじめとして、夫婦間の、男女(ジェンダー)間の、芸術家とエージェント(画廊)間の支配/被支配関係であり、その逆転現象である。そのような現象の口火を切る<激動の六〇年代>といった時代性は、神経衰弱に陥ったフィービがケネディ大統領に送る狂気の手紙のように、「隠し絵」として深層に描き込まれている。
この小説では、ある断章で視点として大きく扱われる人物も、別の断章では背後に引っ込んで、マイナーな人物に変わる。すべての登場人物が、それなりに主役の役をこなす。とはいえ、著者の世界観や芸術観を反映しているという意味で、他の人物より重要な登場人物が二人いる。エリザベスという謎の女性であり、モリスという狂気の批評家である。
二人に共通するのは、ともにセクシュアリティに関して因習的な価値観から解放されているという点だ。エリザベスは、さまざまな男性と関係しながら誰からも支配されず、また俗物の夫(アラン)の支配に甘んじている保守的な女性(モード)の性的抑圧を解いてやったりする。さらに、絵のモデルとして新進画家(ウォルター)に霊感を与え、かれを一躍スターにする。
一方、芸術批評家のモリスは年下の男(ルイス)にSMのてほどきをしながら、文章修行をほどこす。モリスが与える文章レッスンの一つは、「芸術は、連続性や一貫性という<自然らしさ>を回避するところから始まる」というものだ。言うまでもなく、この小説はこうしたモリスの芸術論を反映させた芸術実践に他ならない。
最後に、小説の冒頭と最後のエピローグだけに登場する語り手の「私」について触れておこう。モリスに先立たれたルイスとおぼしき人物のこの「私」は、死に取り憑かれている。「生ける死者は空想の領域の存在ではない。彼らこそ地球の住民だ」と、自らも死者の霊域に踏み込んだかのような発言をしている。というのも、マシューズのみならず、あなたにとっても、ミューズ(芸術の女神)の霊感と死者たちの霊感、これこそが芸術家に真の芸術を創出させる源だからだ。
(『読書人』2013年9月27日号)
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