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書評 木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』

2017年12月22日 | 書評
愚直な行動力、あふれる熱い詩情 
木村哲也『来者の群像 大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』
越川芳明 

  一九九〇年代半ばごろから十年以上にわたって、東村山市の多磨全生園をはじめ、全国のハンセン病療養所を訪ねてハンセン病者の詩人たちにインタビューした。これは、その「探訪記」であり「聞き語り」である。

 一九五〇年代前半に、詩人の大江満雄が編集に尽力した『いのちの芽』という、ハンセン病者たちの詩の詞華集(ルビ:アンソロジー)がある。著者が訪ねたのはその詞華集に作品を寄せた、知られざる詩人たちである。大江がハンセン病療養所の人々にどのような影響を与えたのか、大江とハンセン病者との間に、どのような交流があったのか、聞いてまわる。

 かつて『「忘れられた日本人」の舞台を旅するーー宮本常一の軌跡』(河出書房新社)でも、著者の愚直なまでの行動力と、淡々とした筆づかいの中にふとのぞく熱い詩情に魅せられたが、本書でも僕の期待は裏切られなかった。現在の「忘れられた日本人」とも言うべきハンセン病者の文芸活動に焦点をあてて、それを歴史に刻んでおこうという姿勢に心打たれる。

 著者と大江満雄との関係についても触れておくべきだろう。著者は、中学生の頃に一度この詩人にあっているという。そのとき、「老人の性」という特集を組んでいた雑誌を差し出される。大江がそこに書いていたものは、ハンセン病療養所に暮らす女性との対話だった。著者は、自分を子供扱いしなかった大江に強烈な印象を受ける。大江の死後、絶版で読めなくなっていた大江の著作集の刊行に奔走し、『大江満雄集 詩と評論』(思想の科学社)の編者として名前を連ねることになる。さらに、ハンセン病をめぐる大江の文章を集めて、『癩者の憲章ーー大江満雄ハンセン病集』(大月書店)を編纂した。ここには、たった一度の出会いで強烈な印象を残した大江にたいする、著者の常に変わらぬ熱意と敬意がうかがわれる。
 
 本書では、知られざる詩人たちの手になる多くの優れた詩が、大江の評とともに、紹介されている。ここで取りあげられなかったならば、おそらく一般の目に触れることはなかったに違いない、いずれも選り抜きの、社会性と隠喩表現に富んだ詩ばかりである。

 中でも、瀬戸内海の長島愛生園の小島幸二(本名は近藤宏一)という、盲目の詩人は忘れがたい。盲目というハンデキャップに加えて、指先が知覚麻痺になり、唯一の残された舌先で点字を読むのである。

「唇で頁をくると ふっと匂うしみの匂い/舌先にとけこむ ほろ苦い味/点 点 点/
・・・・・・・・・・・・点は文字となり/文字は言葉となって流れる」

 大江はこの盲目詩人の作品を読んで「詩人というものは盲人になるとき、はっきりするとおもいます。一流の詩人でも、このような詩人に学ばねばならぬとおもいます」と語った。それにたいして、著者はこう付け加える。「大江が舌で点字を読むことを教え、近藤さんが舌読を身につけ、それを詩に表現し、今度は大江の心を動かす。この相互の響きあいが、無言のうちにおこなわれていたのである」

 著者が草津の栗生楽泉園で面会した亡命ロシア人の子トロチェフも忘れがたい。ロシア革命から逃れてきたロシア人貴族の二世という数奇な生まれと、ハンセン病を発症して以来、目覚めたという詩作をめぐって、著者はこう言う。「この世に住む人びとを単色で眺める、というのとは違ったものの見方を教えてくれる」と。

 多様な人間の存在と生き方を認めようとする姿勢は、本書全体に反映されている。ともすれば、「絶望と死」というステレオタイプなレッテルを貼られやすいハンセン病者の、様々な「個性」が浮き彫りにされているのだ。

 さらに、一般読者にとっては知られざる事実の数々が披露される。例えば、戦後間もなく、米国で発見された特効薬プロミンが日本にも入ってきて、ハンセン病は不治の病ではなくなったが、それでも偏見と隔離政策はなくならなかった。とはいえ、ハンセン病者への理解者もいた。例えば、一九五三年から草津の栗生楽泉園で患者たちの自主的な活動として「教養講座」が開設され、スポーツや芸術や医学をめぐって、鶴見俊輔(哲学)、佐藤忠男(映画)、大西巨人(作家)、山本健吉(文芸評論)らが講演を行なっている。

そうした文化人の中でも、大江満雄の関与はひときわ目立つ。全国のハンセン病療養所を訪れて、詩の指導にあたったほか、各療養所で発行する同人誌の詩の選者になったりした。大江は社会常識にとらわれなかったらしい。患者に対して、隔離政策も何のその平気で彼らの懐に入っていった。患者の書く詩に対しても、絶望や死をめぐる作品でなく、社会性のある未来に向かう詩を奨励した。

 大江自身には、「癩者の憲章」という素晴らしい詩がある。

「ぼくは抵抗します。/癩菌の植民地化に。(中略)ぼくは憎悪の中の愛です。/癩菌よ癩民族のために栄よと非癩者を憎しみながら、/その滅亡を、ひそかに祈っている少年です。」

 最後に、タイトルの「来者」とは、大江満雄の造語であるという。「ハンセン病」という言い換えは、かつての「らい病」への差別を忘却させることになりかねない。そう考え、「過去に負の存在とされた「癩者」を、私たちに未来を啓示する「来るべき者」と、読み替える方法をとったのだ。著者はその大江の詩人らしい読み替えを再利用したというわけである。

 先ごろ、政府は隔離政策という「負の歴史」を後世に伝えるために、全国のハンセン病療養所の、老朽化が進んでいる施設を緊急に補修工事することを決めた。

 本書は、ハンセン病者の詩人の紹介という体裁をとっているが、実は、著者自身が自負するように「知られざる戦後史、文学史、社会運動史」の優れた実戦の書なのである。

(『図書新聞』2017年12月9日号)


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